第6話 六

「益次郎がやったのではないと申すか」

「はい。違います」

「どうしてそう思う」

「人足の何人かに聞いたのですが、荒木が上流に向かってから、益次郎はずっと検査の現場に居たということです。中々戻らない荒木を探しに行っても、すぐに戻ったそうで、時間的にも状況からも、殺すには無理があります」


 仲里が腕を組んで頷いた。

 この日調べ上げた内容を仲里に報告していた。まずは荒木が最後に会っていた益次郎を疑ったが、見当が外れた。


「それに、よくよく考えると、殺す理由がありません。荒木が死んで検査が遅れて困るのは近江屋です」

「なるほど、確かに、近江屋が殺されなければならぬ理由が、分からぬなぁ」


 仲里が考えるように首を傾げた。

「であれば仕事以外の揉め事になるか。何か、荒木が抱えていた問題など聞こえてこぬか」

「はい。真面目一方で、お勤め以外には何の道楽も持っていないような奴でした。誰に聞いても、私生活の揉め事の常である女、借金、博打などとはまるで縁がない男のようです」


 荒木への評価は城内でも一定している。


「そうか、恨みや揉め事でもなければ、他は、通り魔・・、いや、それも考えられない。なぜ殺されたかが分からぬと、解決には程遠いな」


 仲里が考え込んだ。


 荒木とて一角の侍であるからには、聞こえてこないような揉め事も多少はあるのだろうが、それでも、殺されるほどのものがあったとは考え難かった。


「やはり、仕事の上で何かがあったような気がしてなりません」

「なぜにそう思う」

「唯一お勤めが趣味のような男ですから・・」

「うむ、つまり、女は居ない、借金もなし、博打もやらず、無論、酒も・・」


 仲里がジロリと私を見た。私は姿勢を正した。


「さ、昨晩は、ほどほどにしました。ここのところ、深酒はご無沙汰でございます」

「そなたは唯一、酒か。女、借金、賭博は縁が無さそうだし。いや、待てよ、そういえば、新しい下女は若い女というではないか」


 仲里がニヤリとした。私は慌てて右手を振った。


「ち、違います。そのような女ではありません」


 仲里が白い歯を見せて軽く頷いた。

「そうだな。少し変わった娘だと聞いた。何か、言葉が不自由だとか」

「はい、人と関わり話すのが苦手というか、人見知りが激しいというか・・。しかし、料理は得意です。飯の炊き方から魚の焼き方まで、すべてが料理屋の味かと思うほどで、毎晩のように酒が進んでしまって・・・」


 仲里が腕を組んで私をにらんだ。


 日が暮れるには少し早い。


 この日は家に帰ったのがいつもより半刻ほど早かった。

「帰ったぞ」


 台所に立っているヨネが振り向いた。

「お、おかえり、なさいませ」

「少し早いが酒だ。ああ、良い。自分でやる」


 私は徳利と猪口を自分で用意した。

「飯はいつも通りで良いから、漬物を持ってきてくれ」


 ヨネが首を横に振った。

「まだ」


「漬物はあるだろう」

「塩抜きがまだ。あと半刻」

「ああ、良い。少し塩辛くても構わぬ」


 ヨネが困った顔をして私を見た。

「あと半刻・・」


 このこだわりが難点だった。


 台所仕事は判で押したように同じことをし、味や量は計ったように同じだ。それが料理の美味さに繋がっていることは分かるが、何でも良いから食いたい時もある。今がそのときだ。


「時々、塩辛いものも食いたいし、トメの味も懐かしくなったから・・」


 ヨネが泣きそうになっている。


「わかった、待つ。半刻待つ」

 酒をあおった。空き腹に酒が沁みていく。


 目の前に漬物が置かれた。半刻経ったのか。かなり酔いが回っていた。


「おい、おヨネ、最近出来た最上川の堤を見たことがあるか」

 ヨネが短く頷いた。

「そうか、俺はこの前初めて見たが大きかったなぁ、我が藩もすごいことをしたものだ」

 また短く頷いた。


「長さは十二丁もあるのだからな」


「十一丁二十三間二尺」


「・・ああ、そうか、なるほど・・」


 私は漬物を口に運んだ。

「今、堤工事の完成検査というものをやっているのだが、あと四、五日はかかるそうだ。要するに堤が図面通りに出来たか否かを検査する訳だ、うん」


 私は酒を飲んだ。

「そうか、おヨネが検査をやったのならあっという間に終わるな。これは良い」


 ヨネが恥ずかしそうに下を向いた。


「いやあ、そうは言っても、お前に手伝わせる訳にもいかない。いくらいい加減な川越でも、そこは同意しないだろう。残念だ」


 ヨネがぎこちない仕草で徳利を持って酒を注いだ。色気のある商売女とは雲泥の差だが、若い女の酌には変わりがない。


「実は、その堤から落ちて死んだ者がおってのぅ、いや、医者は誰かに殴られたと言う。考えれば、堤の高さは八尺だから、確かに、そこから落ちたら死ぬことはまずないな」


「七尺」


「七尺とは堤の高さか」


 ヨネが頷いた。


「何、八尺じゃあないのか」


「七尺」


「そうか、一尺とはいえ見積書と違うのであれば流石に検査は合格にはならないはずだが。おヨネ、お前は堤全部を見たのか、それで高さがすべて七尺なのか」


 ヨネが頷いた。


 猪口を持った手が止まった。ジワリとした胸騒ぎが起こったのだ。


 もし、荒木がこの違いに気づいたのなら、何か近江屋と揉めたことは考えられる。

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