第5話 五

「それでは何か、荒木はいつも一人で完成検査に出向いていたのか」


「そう、一人だった」


「しかし、どう考えてもあのような大きな堤を一人で検査するのは無理であろう」


「ああ、いや、確かそう思うのは最もだが、我ら役人としては一人でも、工事を請け負った近江屋側が大勢人を出すのだ」


 荒木の請け負っていた任務や行動を知るために、後を継いで完成検査役となった普請役の川越清志郎(かわごえきよしろう)に話を聞いていた。

 荒木が完成検査の最中に殺されたとなれば、お役目に関わる事が原因である可能性が高い。


 川越とは旧知の間柄でなんでも聞きやすい。嫌な顔一つせずに付き合ってくれている。


「大勢というと、近江屋側は何人ぐらいが出て来るのだ」

「そうだな、五人一組でだいたい三組だから、十五人かな」

「そんなに出て来るのか。それでいて、役人は荒木一人か」

「そう。一人で十分だろう」

「十分というと」


 川越は、目の前に広げた調書の一つを手に取ってパラパラとめくりながら頷いた。私もそれらの調書の一つを手に取った。


「まあ正直なところ、何もすることが無い。検査自体は近江屋が全てやるのだから」

 私は手に持った調書を置いた。


「では、荒木は何をするのだ」

「そうだな、おそらく、近江屋がやる検査を見ていたか、雑談でもしていたのだろう。そして、ほら、一日の検査が終わったらこういう調書が近江屋から出てくる。それに荒木が署名するだけだ」


 川越が手に持った調書を私に示した。調書には数字と計算式が事細かに記入してある。最後に荒木の名が書いてあった。私はその調書を手に取り、じっくりと見た。


「これは調書の内容を確認したという署名なのでは無いのか」

「そうだ。内容が正しいという署名だ」

「であれば、見学や雑談などしていても良いのか、一緒に検査しなくて大丈夫なのか」


 川越がフンと息を鼻から吐きながら、自嘲気味に笑った。

「しかしなぁ惣兵衛、荒木に限らず、我ら役人には知識が無いのだ。普請組は、普段は城や屋敷の増改築しかやっていない。石垣でさえ、かれこれ二十年近く簡単な補修だけだ。片や近江屋は三年前に米沢藩の治水工事をやり、五年前には庄内藩の堤工事もやっている。その他、類似の工事多数。知識と技能は到底敵わない。任せるしかないのが実態よ」


 なるほど、それはそうだ。だが、まだ腑に落ちない気持ちも残っていた。

「とはいえ、米沢藩や庄内藩に教えを乞うてはいないのか」

「勿論、何度も出向いて聞いてはいる。どこも同じだよ。近江屋にまかせっきり」

「となると、この調書が正しいと何をもって判断するのだ」


 川越が分厚い書類を取り出した。

「工事の前に近江屋が出してきた見積書。この見積書は、我らが、つまり藩が裁可した仕切書(契約書)の付属書になる。完成検査とは、そこに照らして出来上がりが同じか違っているかを見るのだ」


 検査の仕組みが何となく見えて来た。私は大きく頷いた。


「要するに、出来上がりが見積書通りかどうかを見るのか」

「まあそういうことだ」


 私は見積書を手に取った。何枚にも渡り細かな計算式が書き込まれていた。

「この見積書も近江屋が出したということは、つまり奴らが作ったわけだ」


 川越が首を横に振った。

「そうだが、最初の見積書を仕切書の付属書にするまで、何度も我らと協議をする。その過程で内容を詰めていくのだ。最終的には内容を藩が認め、見積書が仕切書の付属書になる。その通りに堤ができていれば検査は合格となるのだ」

「なるほど。決して全て任せっきりではないな。ふむ。一方で、ならば、見積書を詰めるために、役人も相応の知識が必要だろう」


 川越が腕を組んで上体を起こした。

「まあ、そういう言い方もあるだろうな。それが理想だ。だが、要するに、我らが知識を持って詰めるというよりも、近江屋が示した内容が妥当か否かで判断する」

「と言うと」


 川越が見積書を開いて、ある所を指でさした。

「例えばだ。この足場を組む木材の量だが、十尺あたり十本となっている。これは、我が藩が行って来た石垣の修理や、他藩の工事の実績に比して妥当か否か、多いと判断すればその理由は何か、もっと少なく済む方法はないか、こうやって詰めていく。この場合は当初は十二本という提案だったが、結局十本が妥当だということになった」


 私はポンと手を叩いた。

「そうやっていくのなら、あながち近江屋のいいなりと言う訳でもないな」

「さよう。我らは我らなりに、工事の適正は確保しているつもりだ」


 川越が誇らしそうに顔を上げた。私は頷いた。


「確かに。任せるべきところは専門の相手に任せ、それを我らなりに検証しているということか」

 それは納得した。確かに合理的な仕組みになっている。

 となると、揉めるような要素はあまり無い。あとは、荒木と近江屋との関係がどうだったかが気になった。


「ところで、近江屋は誰が完成検査を担当している」

「益次郎という支配人だ。今回の堤工事全般について近江屋側の支配人になる。今後は俺が毎日のように会うことになる」

「話を聞きたいのだが」

「ああ、ならば現場に一緒に行くか。しばらく休んでいた検査が今日からまた始まる」


 川越と堤に向かった。


 葉山藩は、出羽の南から北に向かって流れ日本海に注ぐ最上川の中流域の西側に位置している。数年に一度の割で、上流域が大雨になると、藩の南東方面の田畑地帯に川の水が流れ込んでいて、それが大きな課題となっており、これを防ぐ堤の建設は藩にとって長年の悲願であった。


 先代藩主の長幸が何度か藩士や百姓の手により堤建設に取り組んだものの、充分な成果をあげる事が出来なかったが、現藩主の長政が、専門の事業者に請負わせるという形で恒久的な堤の建設を行なっている。


 初めて見る堤は壮大だった。

「これはすごい。何という眺めだ。昔から見ていたこの辺の景色が一変している。何丁ほどあるのだ、まさか一里は続いていないだろう」


「十二丁ほどだが、それでも足掛け三年の大事業だ。殿もよくご決断されたものよ」

「しかし、民百姓にとっては何にも代え難い生活を守る石垣のようなもの。これで、安心して農作業に精を出せる」

「そうだな、おう、益次郎が来たぞ」


 川越の視線の方向に目を向けると、大柄でがっしりとした体格の男が近づいてきた。法被をまとった十数人の人足を引き連れている。色黒で濃い眉毛に鋭い目と鉤鼻だ。分厚い唇を緩めて微笑んだ。


「川越様、ご苦労様でございます。お待ちしておりました」

「よろしく頼むぞ」

「荒木様の後任がどなた様になるかを案じておりましたが、川越様であれば安心でございます。遅れている検査を一刻も早く終了させるべく、我らも粉骨砕身努力いたしますゆえ、何卒よろしくお願い致します」


 益次郎が深々と頭を下げた。川越が頷いた。

「一通りこれまでの調書は見た。細かな説明などは良いから、検査を急いでくれ。家老を始め藩の重役連が気を揉んでいる」

「はい、重々心得ております。では、早速に」


 益次郎が後ろを向いて人足に指示を出し、向き直ったときに私と目が合った。


「このお方は」

「目付役の高橋惣兵衛だ。お前から話を聞きたいそうだ」


 私は軽く頷いた。


「どうも取り込み中のようだが、少しそなたに聞きたいことがあってのう」


 益次郎も軽く頷いた。

「はい、何でございましょうか」


「荒木のことだ。聞いているかどうか分からないが、水死ではなかった。棒殴死とかいう死因だ。つまり、棒で誰かに殴られて殺されたのだ」


 益次郎が驚いたように目を見開いた。

「しかし、川に浮いていたのですよ」

「確かにそうだ。だが、洪庵先生によると、水も飲んでいなければ腹も膨れていない。つまり水死の体をなしていない。逆に頭に殴られたような二つの傷があった。それが致命傷のようだ」


 益次郎が戸惑ったように何回か目を瞬かせた。

「であれば、堤から落ちて頭を打ったのではないのですか」

「そう考えられないこともないので、色々と調べているところだ。それもあって、そなたに話を聞きたいと思ったのだ」

「なぜ私に」

「荒木が最後に会ったのは、そなただから」


 益次郎が体を引いて不満げな顔をした。

「確かに、亡くなった当日は検査をしていましたし、荒木様もお越しでした。ですが、私が最後に会ったとは限りません。荒木様は一人で上流の方向に向かわれたのですから」

「それは聞いた。確か、当日は堤の中間地点からやや下流域の検査をしていて、途中で荒木は一人で上流域に向かったのだったな。で、そこまでは何をしていた」


「はい、しばらくお休み所で茶を飲まれていて、私が相手をしておりました」

「うむ。どういう話をしていた」

「完成検査全般のことです。日程がやや遅れていましたからそのこととか、今後の予定とか、その他諸々ですよ」

「それで荒木は上流域に何をしに行ったのだ」

「特段のことはありません。話が一段落して、少し歩いてくると言って出かけました」

「そなたは一緒には行かなかったのだな」

「はい。私も検査の現場を離れる訳にはいきませんので」


「うむ。それで、中々荒木が戻らないので、そなたは上流の方向に見に行ったが姿が見えず、しばらくすると死体が下流域に流れてきたのだったな」

「はい、左様です」


「最初に死体を見つけたのは誰だ」

「私どもの人足です。上流から流れてくるものがあり、どうも人のようだと騒ぎになりました。引き上げたら、何と荒木様だったので、お城に届けた次第です」


「その時はそなたもいたのか」


「はい。勿論です」

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