第4話 四
家老に報告に行った仲里が戻ったのは、下城の触れ太鼓が鳴ってしばらく経ってからだ。御用部屋には三浦と私だけが残っていた。
仲里は自席に座ると、硬い表情で三浦と私を近くに来るよう手招きした。その態度からは、日頃の型式張った白々しさが消えていた。
「家老より、真相を解明せよとの言葉があった。殺しと決まったわけではないが、その可能性が極めて高い状況だ。このような大事が迷宮入りとなってしまっては、藩の汚点となる。これは、目付役の真価が問われるぞ」
仲里が私を見て言葉に力を入れた。
「頼んだぞ、惣兵衛」
おい、ちょっと待て、俺が担当なのか。他に優秀で適任の者がいるだろう。
「あ、あの、大目付、私が担当するのですか・・」
仲里が頷いた。
「案ずるな、家老からは、各お役方に対して目付役に協力するよう言っておくとのありがたい言葉もあった。」
「はあ・・」
三浦も真剣な顔で頷いた。
「検死の担当が、そのままの流れで死因の解明にも関わるわけで、どこからも異論は出ないだろう」
いや、そういう問題でもない。
とはいえ、断れるような雰囲気ではない。覚悟を決めるしかない。
定刻の羊の刻より半刻ほど帰るのが遅くなった。
「帰ったぞ」
家の玄関の戸を開けると、ヨネが台所でうずくまっていた。肩を震わせて目に涙を浮かべている。
「おヨネ、どうした、何があった」
ヨネが私を見て何か言いたそうに口を開けた。しかし言葉が出ない。
「体は大丈夫か、けがはないか」
ヨネは頷いたが泣きそうな顔をしている。私はヨネの側に行き様子を確認したが、特段の異常はなさそうだ。肩に手をかけた。
「俺が帰ったからには大丈夫だ、安心しろ」
ヨネが私の胸にしがみついた。
「わ、わかった。その、もう心配はいらないから・・」
私は両手の持って行き場がないままに中途半端に手を挙げ、玄関から誰も入ってこないことを願っていた。ヨネの動揺した体の震えや荒い息づかいがそのまま直接に私の体に伝わった。若い女の匂いが鼻を刺激した。
「大丈夫だ、大丈夫だ・・」
目を閉じて、半ば自分に言い聞かせるために、念仏を唱えるように何度も口にした。
ヒクヒクと体を震わせながらも、ヨネが落ち着いたように顔を上げた。
「酒、売ってくれない・・」
「何、桝屋が酒を売ってくれなかったのか」
ヨネが頷いた。
「そうか・・」
それが理由なら大した話ではない。
酒は桝屋で買うように言っていた。金も渡してある。おそらく、いつも買いに行っているトメではなかったことから、何やら手違いでもあったのであろう。
「よし、桝屋に行こう。話をつけよう。一緒に来い。これからは無事買えるように顔つなぎをしてやろう」
ヨネを連れて桝屋に向かった。城下にある酒屋の中で家から一番近いことからひいきにしている。店の暖簾をくぐった。
「御免よ。親父はいるかい」
若い衆がヘイと言って奥に行くとすぐに主人の桝二郎が顔を出した。
「おやまあこれは惣兵衛様、どうなされたのですか」
私の顔を見ると、途端にニコニコと愛想笑いをしてもみ手をしながら近づいて来た。酒屋のくせに酒は一滴も飲まないという男だ。商売物に手を付けないといえば聞こえは良いが、下戸などは自慢にならない。一生気が合うことはないだろう。
「いや、なに、今日、このおヨネが酒を買いに来たけど売ってくれなかったというのでな、まあ初めてだったので仕方がないが、うちの者だからよろしく頼むよ。店の若い衆にもよく言っといてくれ。今後も贔屓にするからさ」
桝二郎が驚いた顔をして私とヨネの顔を何度も交互にみた。
「なんとまあ、この女が、惣兵衛様の家の者だったのですか」
「そうだ。トメの代わりだ。今後はよく買いに来ることになる」
桝二郎がまたニコニコと愛想笑いをした。
「それは、それは、大変失礼を致しました。そうですか・・」
桝二郎がもみ手をしながら声をひそめた。
「いえね、若い衆が言うには、金を差し出して、酒、と一言しか言わなかったそうです。数量や種類やらを聞いても全く要領を得ない、どうしたものかというので・・」
「この店は酒屋ではないか。であれば、客が金と徳利を持って来ているのだし、そこは適当に見繕うものだろう」
桝二郎が馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべ、ヨネをチラリと見た。
「そりゃあ普通のお客様なら、まあ、そうですが・・」
「おい、桝屋。それは聞き捨てならない。何か、おヨネは普通の客ではないというか」
桝二郎があわてて両手を左右に振った。
「い、いえ、そういう意味ではございません」
「ではどういう意味だ」
「そ、そのぅ、客商売としてはですね、お客様のご意向を色々と聞くことが大事である訳でございまして、そういうことで・・」
「分かった。つまり、桝屋は客の選り好みをするということだな」
「と、とんでも無いことでございます」
桝二郎は私の手から徳利を取ると若い衆に手渡した。
「酒を入れて差し上げろ、いつもの安酒ではなく上酒にしろ、あ、いや特上酒だ」
桝二郎が神妙な顔を私に向けて右手を上げた。
「勿論、御代は結構でございます。ほんのお詫びのしるしです。今日のところはどうかこれでご勘弁願います」
若い衆から特上酒の入った徳利を受け取ると、それを私に向けて差し出して、深々と頭を下げた。もう一言ぐらい言いたかったが、こう頭を下げられては黙って徳利を受け取るほかない。
下戸のくせに酒飲みへの対応は上手い奴だ。
家に戻ると、早速、その特上酒の味を試した。
「ただ酒をせしめるのはこの手に限るな」
猪口に徳利から酒を注いだ。それを鼻の近くに持って行き香りをかいだ。ふくよかな香りがフワっと広がった。ヨネの視線を感じながら一口飲んだ。コクのある重厚な刺激が腹にしみていった。
「うん、これは上手い。おヨネのおかげで今夜は至宝の晩酌だ」
私が眼を向けると、ヨネが恥ずかしそうに下を向いた。
一気に飲み干した。二杯目を注ごうとして徳利を持って中を覗いた。いつもと違って満杯に入れてあったのか、まだ十分に入っている。
「そうだ、今後のこともあるので、ついでに言っておく」
徳利をヨネの前に置いた。
「見てみろ。これでほぼ満杯になる。だから、買いに行ったときは、酒屋の若造が酒を入れたら、上から覗いてここまで入っているかを確かめるのだ。万が一少なかったら、もう少し入れてくださいと言うのだ。あそこの連中は、隙あらば誤魔化そうとする奴ばかりだから気をつけろ。わかったか」
ヨネが短く頷いた。私は徳利の外側の目分量の場所を指差した。
「まあ、ここまで入れてあればいいだろう」
「一尺一寸三分」
ヨネがボソッと言った。
「ん、ああ、ここまでの高さか。まあ、そんなところだ。ここまでだ」
私がもう一度同じ場所を指差した。
「一尺一寸一分」
「おい、さっきと二分も違うのか、同じだろう。よし、それなら」
囲炉裏の中の炭を取り出して、徳利の指を指した場所に印を付けた。
「ここはどうだ」
「一尺一寸二分」
私は立ち上がって道具箱から物差しを持って来た。中腰のまま、徳利の横に立ててしっかりと横から見た。
「ええと、一尺一寸二分・・・。当たっているな」
ヨネの顔を見ながら、それならば、と右手で徳利の一番上を指差した。
「一尺三寸五分」
物差しを当てると目盛りはそこを指していた。
猪口を手にして酒を口にした。胸をスーッと酒が降って行った。
鼓動が早くなるのが分かった。微かな期待が胸をよぎった。
私は立ち上がった。
頭の上に右手を置いてヨネを見てうなずいた。ヨネが私の右手をジッと見た。
「五尺七寸三分」
三日前に計った私の身長を言い当てた。
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