第3話 三
何時もの通り巳の刻に登城した。
既に仲里の姿があった。
大目付は奉行格の要職だ。仲里がそれを殊の外意識している事が、日頃の言動から見て取れる。周りの目を意識して、何とか威厳を示そうとする必死さがひしひしと伝わるが、残念な事に、やや空回りしている感がある。
目付役の詰所は城の三の丸の北東に位置した角部屋になり、格子戸から城下の街並みと田畑が見渡せる。仕事始めを告げる触太鼓が鳴るまでそれを見ているのが仲里の日課になっている。
私が自分の席に座り、二呼吸ほどして触太鼓が響いた。
仲里が振り向いて胸を張り部屋中を見渡した。
ゆっくりと歩を進めながら各人の様子を伺うように側を通っていく。仲里は今日もシワ一つない糊の効いた継上下姿で、手を後ろに組んでいる。青々とした髪の毛を少しの乱れもなく結び、僅かの髭剃りの漏れも残さないつやつやした顎を突き出しながら、口を真一文字に結び、切れ長の目の目玉だけを右に左にと動かしている。
私の前で立ち止まった。
腰を屈めて顔を近づけて、ウッと顔をしかめ、遥か彼方から見ている者でもわかるほど大げさな表情で体を引いた。
「惣兵衛、臭うぞ」
私は頭を下げた。
「はは。確かに、昨晩はいささか過ぎたようです」
「いささか、だとぅ。今頃までこのような臭いを放つとはいささかどころか、余程の深酒ではないのか。いいか、飲むなとは言ってはいない。加減をしろと言っているのだ。こうも毎日のように酒臭い息を吐かれては他の者が迷惑だ。無論、拙者も含めてだが」
私は又頭を下げた。
「申し訳ございません。昨晩は別れの酒宴ゆえ、つい・・」
言い訳としてはこれくらいしか思い浮かばない。
仲里が表情を和らげた。
「別れの酒宴だと。誰と別れたのだ」
「はい。長年勤めてもらった下女に、昨日限りで暇を出しました」
「おう、確かトメとかいったな。そうか、暇を出したのか。何かあったのか」
「まあ高齢ゆえ、トメの方から申し出た次第です」
「なるほど。それは大事な酒宴だったな」
一人だけの晩酌ではあったが、トメへの感謝の気持ちを持ちながら飲んでいた、ということにすれば、あながち嘘ではない。
仲里は不満そうな顔ではあるが、ゆっくりと二度頷いた。
「そうであれば致し方ないのう。うむ。それから惣兵衛、例の検死については今日にも答えが出るのだな」
「え、あ、はい、左様でございます。ちょうど、これから洪庵先生の診療所に行こうと思っていたところでございます」
仲里は各お役方が自分を注目しているかを確認するようにゆっくりと周囲に目を配った。
「水死ということで間違いないだろう。おそらく、誤って川に落ちたということになるな」
「とりあえず、洪庵先生の見立てを聞いてみないことには、断定はまだ早いかと」
「土左衛門で見つかったのだぞ。水死以外は考えられない。結果は明白である。いずれにせよ、この件は今日で我ら目付の手を離れる訳だ」
いつの間にか仲里の隣に立っている次席の三浦が口を開いた。
「死んだ荒木は普請役ですから、今後、葬儀や事後の手続きは普請組が中心となり行うことになります」
仲里が三浦を見てうなずいた。
「うむ。普請奉行の永沢には私の方から話をしておこうか」
仲里が部屋の出口に向かったが、立ち止まってクルリと振り向いた。
「待て、これは拙者が言いに行く事なのか。我らは荒木の死因を特定せよと家老より命を受けたが、それを永沢などに報告する義理などはない。聞きたければ永沢が頭を下げて聞きにくれば良いのだ」
どうでも良い話が始まった。
親の遺言か何かで上役には絶対に逆らうなと言われているに違いない三浦は、さて、今日は口癖の「御意」と何度言うだろうか。
「そうだろう、三浦」
「御意、その必要はないかと思われます」
「そもそも奴は、部下の荒木の死について我らに何の説明もない。いくら事故であることが明白とはいえ、仮にも家老より死因の特定を命ぜられている我らに、挨拶の一つもあってしかるべきではないか」
「御意、これでは礼を失していると言われても致し方ありません」
「しかも奴は、連日のように家老に工事の経過を報告に行っているというではないか。確かに、数十年に一度あるか無いかの大仕事が終わりを迎えているので、己の成果を認めてもらいたいのだろうが、それにしても部下の不幸への配慮がまるでない」
三浦が大仰に頷いた。
「最上川治水のための堤工事は先代からの悲願でした。仕事柄普請組が行ったとはいえ、家老自ら指揮を取り、他のお役方からも多数駆り出されたほどの藩としての大事業です。殿も幾度となく現場に足を運んだほど。もうすぐ一段落するようですので、永沢様も少しは落ち着かれるでしょう。そうしたら少しは考えられるでしょう」
「ふん、あの己の出世しか頭にない奴だ。どうなることやら。死んだ荒木が不憫でならない。この度の治水工事において、荒木は何を担当していたのだ」
「はい、確か・・完成検査役・・、だったかな」
三浦が腰を屈め私の方に顔を向けた。私は背筋を伸ばした。
「はい、左様で御座います。ええ、つまり完成した堤が図面通りに出来たかの検査を行う役になりますか・・」
「それで堤に登り誤って転落したのか」
「はい、そのように思われます。ここのところ良く検査に出向いていたそうです」
仲里が上を向いて目をつむった。皆の視線を期待するような大袈裟な仕草だ。
「それは気の毒だ。役に殉じたのであれば藩としても敬意を払わねばのぅ」
三浦が頷いた。
「御意、そのへんは普請組が十分考えるでしょう」
付き合い切れない。
「大目付に次席、それでは、私は洪庵先生のところへ行ってまいります、はい」
私は立ち上がって、そそくさと御用部屋を出た。
診療所は城下の南東に位置する稲下地区にある。玄関に「医者・診療所」と、ようやく読めるほどに薄汚れた看板がかけてあった。
戸を開けた。
「御免」
土間に続く板の間に座って何やら書物を読んでいる老人が顔を上げた。小太りの体に丸顔で、薄くなった白髪を無造作に後ろに束ね、誰が来たのかを確かめるように眼鏡をかけた目を見開いて顔を突き出した。
洪庵先生だ。
「おう、あんたか」
私は中に入って戸を閉めて頭を下げた。
「お忙しいところ恐れ入ります。依頼をしておりました例の・・」
「どうだ、酒をやめて体調は戻ったか」
「いえ、その話ではなく・・」
しかも酒などやめていない。確かに、やめますとは言ったかも知れない。
「ああ、それと食べるものも偏ると体に毒だぞ。腹八分目で塩辛いものは避けろ。漬物も塩辛ければ塩抜きをしろ。米はほどほどが良い。それ以上に、豆類はなるべく取るように。そうだな、豆といっても味噌や豆腐でも・・」
私は右手をあげて話を遮った。
「待ってください先生、その話は後ほどに。まずは検死の件でございます」
洪庵が目をパチパチさせた。
「おう、そのことか。うん、まあ上がりなさい」
私は板の間に上がって洪庵の前に座った。洪庵が眼鏡を外して書物を脇に置いた。
顔を上げて私をジッと見た。
「死因について見立てを言う」
「はい」
「水死ではない。棒殴死(ぼうおうし)だ」
「ぼ、棒殴死・・」
「そう。棒で殴られて死んだということだ」
「しかし、土左衛門で見つかったのです。つまり、川に浮いていたのですよ」
洪庵が右手で髪の毛がすっかり薄くなった頭をかいた。
「見つかった時は川の中でも、死んだところも川の中とは限らぬぞ。川で溺れたのであれば水死ということになるのだが・・」
洪庵が脇に置いていた書物を又持った。
「水死の特徴としては」
更に又眼鏡をかけた。
「ええと、水に落ちて死亡した者は、その肌の色は白く、口を開き目は閉じ、腹は膨れ上がり、指の爪の中に砂や泥が入っている、とあるが、この特徴とはまるで違っていた。何より肺にも腹にも水は入っていなかった。溺れる者は多くの水を飲み、気管にも水が入り窒息するのだが、これも違っていた」
洪庵は又書物を置き眼鏡を外した。
「そこで体の傷を調べたのだ。そうすると後頭部の右側に二つの大きな傷跡があった。一つは頭蓋骨にヒビが入っているほどの傷だ。あの堤の高さから落ちただけでは、例え河原の石に頭を打ってもあのような深い傷にはならない。つまり、誰かが後ろからかなりの力で殴ったのだろう。木刀のようなもので。しかも二度」
「その、つまりは、荒木は木刀で殴られて死んだ訳ですか」
「おそらくはそうだ。川に放り込まれた時にはすでに死んでいたから、肺にも腹にも水は入らずに水死の特徴は無いのだ」
てっきり水死という答えが返ってくりと思っていた頭が、なかなか切り替わらない。納得出来ないような混乱が胸に湧いて来た。
「あ、あの、つまり、荒木は誤って川に落ちたとか、自ら川に入ったのではない、ということですね」
洪庵は軽く数回首を振った。
「それは考えられない。頭を二度殴られたことによる棒殴死。死んでから川に放り込まれた。これがわしの見立てだ。大目付にはそう伝えてくれ」
普請役の荒木洋之助は事故死ではなく、殺されたことになる。
背中を冷たいものが走った。
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