1-4

「これは……?」

「魔術でおさえ込んでいる。魔術には魔術でしか対応できないからな」

(い、意味が分からない)


 彼の顔はしごくまじめで、エデルをからかっている様子はじんもなかった。

 てっきり彼は、ただちんみような靴を集めているコレクターで……だからこそ、靴にまつわる不思議な現象にも少しばかり知識があるのかと思っていた。

 だがこれは少しばかりというわけではなさそうだ。靴箱はバチバチと火花を放ち、けんめいに赤い靴のとうぼうふせごうとしている。


「この靴に魔術が宿やどっているというのですか?」

「俺は先ほどそう言ったし、そうでもなければ勝手に動かないだろう。話を聞いていなかったのか?」

「それは……」


 これはお母さんの大切な遺品で……。

 きれいでりよくてきだった母ののこした、彼女らしい品で。

 でも今は、鎖にがんじがらめにされて、ひどくくるしそうに見える。

 エデルののうに、母と離ればなれになった日の出来事がよみがえる。

 母はなみだをこぼさなかった。けれどまぶたはしようで隠しきれないほどれぼったく、かすれた声で自分の名を呼んだ。

 エデル。かわいい私の娘、と。

 まだおさなかった自分をきしめ、母は震えていた。

 赤い靴はあのときの母がそうであったように、苦しみの火花をらす。

 たまらない気持ちになり、エデルはとっさに靴箱に手を触れた。


「危ない!」


 アランがさけぶと同時に、ばちぃんと音がして、エデルはゆかに背中をたたきつけられた。

 箱に触れた指先に熱が走る。

 打ちつけた背をかばうように体を起こすと、エデルは目を白黒させたまま靴箱を見つめていた。


「勝手に手を伸ばすとは……は?」


 エデルは首を横にふった。

 いくらこの人が怖くたって、ときには戦わなくてはならないことがある。い、いくら怖くたって……。


「く、靴を返してください」

「この靴はこのまま封印する。危険なしろものだ」

「危険? き……危険だったのは靴箱の方じゃないですか」

「それは、むやみに触ったからだろう。この靴は持ち主にさいやくをもたらす不幸の靴だ。手放すのがそちらのためだぞ」

(災厄をもたらす……? じゃあやっぱりお母さんは……?)


 エデルは靴箱の蓋を閉めようとするアランにしがみついた。


「おいっ、何をする!」

「だっ、だめです。一度、話し合いましょう。私は靴をさしあげるつもりなんてないんです! これはお母さんの遺品で、私にとって大切なものなんです!」

「何があろうとだめだ。こんなものを外に出すわけにいかない!」


 もみくちゃになっている間に、エデルのつま先はテーブルの足をばした。

 そのしようげきで箱は床に落ち、赤い硝子玉がくだけ散る。


「あれ……?」


 靴がころんと、床に投げ出された。封印の鎖も出現しない。

 エデルよりも、うろたえていたのはアランの方であった。彼は息をむと、エデルのことをきようがくの目で見つめる。


うそだろう、こんなことで封印具が割れるはずがない」


 だが事実は彼の言葉に反している。

 アランは床に手をつき体をかがめ、箱のそん状況をたしかめる。

 エデルはこの状況があまり思わしくないものであり、そして靴は守れたものの、アランにとっての非常事態をまねいたことをさとった。

 解放された赤い靴は、エデルの周りでうさぎのように飛び跳ね、喜びを表している。

 彼は硝子玉の欠片かけらをつまみ、腹の底から憎しみのこもった声を出した。


「壊したな……」

「ひっ」

「なんてことをしてくれたんだ。これで靴を封じられなくなった!」


 エデルは思わず後ずさった。歯の隙間からいかりのうなり声を出す彼に、本能的な恐怖を感じたのだ。


「ご、ごごごごめんなさいべんしようします。い、今はお金はあんまりないですけどその」

「弁償だと……?」


 冷えきった目で見下ろされて、エデルは「ひいい」と声をあげた。


「金で買えないものだからこんなに腹だたしいんだろう。ガラス玉は直せない。魔術を使える人間なんてこのごせい、ほぼ存在してないんだよ」

「アランさまはお使いになっていたでは……ない……のですか。紫の鎖とか、火花とか」

「あれは俺が使っていたんじゃなくて、箱に魔術がかかっていたんだ!」


 こんなときに限ってエデルの声がきちんとひろえるらしく、アランは大声をあげて切り返した。


「もういい。解決策が見つかるまでこの靴は俺が、ろくちゆう肌身離さずっている。お前は今すぐここを出て行け」

「えええ、そういうわけにはいきません……!」

「なんだ。どうしても弁償しないと気が済まないか。では九十五万オングだ」

(新人職人の初任給ではとうてい払えない金額……!)

「靴なら私が見張っています。だから返してください。お、お金はかならずお渡しいたしますから。で……できればぶんかつばらいで」

「女はすぐに靴をきたがるからだめだ」

「そ、そんなことはありません! 私は一度もこの靴を履いてませ……ひい」


 アランはけんに皺を寄せ、エデルの顔をじいっとのぞき込んだ。

 間近に彼のいきを感じ、はからずも心臓が跳ねてしまう。

 後ろに退こうとすれば、彼はさらにきよをつめてくる。


「そうだな。一度でも履けばもうぐことはできないだろう」


 アランの低い声が耳のすぐそばで聞こえる。エデルはなぜだかとてもずかしい気持ちになり、手のひらをきつくにぎりしめた。

 目を泳がせていると、アランは「こちらを見ろ」ときつく言って、エデルのあごをつかんだ。


「ひっ」

「瞳も正常か。そういえばそうだな……魔術に誘惑されていない」


 魔術がどんなものかは分からないが、エデルは靴を履くよりも作ったり直したりする方が好きだ。それに機能性のよくない見た目重視の靴は特に、自分が履いてみたいとは思わないのである。


「ふうん。珍しいこともあるものだな」

「あの……その……で、ですからっ。わ、私めにそのお靴をご返上いただけないきゃと」

「言葉が変だぞ。だがまあいい」


 エデルはぱあっと顔を明るくした。ようやく彼もエデルの気持ちを理解してくれたのだ。


「本当ですか!?」

「ああ。お前の熱意はよく伝わったよ……。靴箱は弁償しなくていい。むしろしやれいきんとして十万オングをやろう。──この靴は絶対返さない」


 エデルがみを消すと同時に、アランは踊る赤い靴を素早くつまみあげ、彼女に背を向けたのだった。

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