2-5
(と、とにかく場をつながなくては)
「あ、あああ、あのっ」
「いつまでぼけっと突っ立っているのよ。おじぎもしないで
エデルはぽかんと口を開けてしまった。
そういえば、扉の内でも外でも、おじぎをするのを忘れていた。
「いい? わたしには時間がないの。春の
「は、はあ……」
それだけ作れば十分なのではないかと思う。靴はたくさんあっても、一度に履けるのは一足だけだ。
「わたしは一世一代の
「え、ええ」
「でも外国
お客さまの情報で気になることがあったら、会話をしながら記録をとってもいいことになっている。それが注文に生かせることなら……。
(カーレンさまとお話しするのははじめてだから、どんなことでも記録しておこう)
エデルはさらさらとペンを走らせた。
『顔がよくてお金持ちで秘密めいた男性が理想。※できればヒール靴のつりあいのため長身の方』
「ちょっと! 何書いてるの! あなた、わたしのことをバカにしてるの!?」
「め、
カーレンはエデルのメモ用紙をやぶりとると、びりびりにしてゴミ箱に突っ込んだ。
エデルは涙目になる。
「ふん。あなたみたいな子がアランさまのそばに
靴を買った次の日に雨が降ると恋が叶う。
あ、とエデルは思った。そしてつい口に出してしまった。
「カーレンさまだったのですね。ずっと雨を待っている女の子って……」
そのジンクス、素敵ですね。
そう続ける前にカーレンの顔がみるみる赤くなった。
「何度失礼を働けば気が済むのかしら! わたし、あなたなんかに靴を作ってもらいたくない! 出て行ってよ!」
どうやらこのジンクスの話は、カーレンにとって
「ご、ごめんなさいカーレンさま。い、痛いっ」
ふたつめのクッションが顔にあたり、エデルは
がしゃん、と
扉の前には、驚きに緑の瞳を丸めたセスが立っている。
運悪く、彼が替えの飲み物を持ってエデルの
トレーの上に乗せた紅茶とクッキーがなぎ倒され、セスのエプロンにしみを作っていた。
「熱ぅ!!」
カーレンの投げた三つめのクッションが、扉の下にぽとりと落ちる。
「セスさん! 大丈夫ですか!?」
エデルは
「わたしは悪くないわ。全部その子のせいよ!!」
カーレンはしぼり出すようにそう言うと、客室を出て行った。
「私、
「いいよ、僕はたいしたことないし。彼女も階下にいる父親のところに行くだろうから、アランさんがどうにかするさ。まったく若い女の子は落ち着きがなくて
ぶつぶつ言いながら彼は紅茶びたしになったエプロンを外した。
エデルは自分のエプロンのポケットから
「あの……私、やっぱり接客だめだったみたいで……」
「うーん、そうみたいだねえ」
セスは言いながら手巾で腕をぬぐった。
エデルはしゃがんで下を向く。
割れたカップの
「お得意さまなのに、怒らせてしまって……本当にすみませんでした……」
「何があったのか聞かせてくれる? カーレンさまが怒った原因はなんだったのかな」
「全部私が悪いんです。私が、ちゃんとできなかったから」
「エデル」
セスは厳しい口調になった。
「僕はどういうやりとりがあったのか聞いてるんだけど」
エデルはびくりと肩を震わせる。
「えっと……」
(セスさん、怒ってる)
当たり前だ。大事なお客さまを怒らせてしまったのだから。
「カ、カーレンさまとの会話で記録をとりましたが、それが原因で少し雰囲気が悪くなって……それから雨のジンクスのお話をしてしまいました……」
「そうか、なるほどね。じゃあエデル、これは僕にも非があるな。ごめんね」
セスはエデルの頭をぽんと触った。
「そんな、セスさんは悪くないです」
ジンクスのことを教えてくれたのはたしかにセスだが、まさか彼もエデルがすぐに本人と対面することになるとは思わなかったのだろう。
「大事なのは、話すことで問題点をあきらかにすることだよ。エデルはたしかに今回うまくいかなかったかもしれない。でも、それをこちらに話してくれれば僕も勉強になるし、エデルも『カーレンさまと話すときに注意するべきこと』が分かっただろう。後退したように見えて、大きく前進しているんだよ」
それに、とセスは付け加えた。
「自分が悪いって決めつけてるだけじゃ結局何も進まない。自分をおとしめて、相手を知る
「ご、ごめんなさい……」
「失敗は誰でもする。そこから学べる。悪いことじゃないんだから話してみなよ。解決策はみんなで考えられる」
いいのかな……失敗しても。
カーレンさまは出て行ってしまったのに?
エデルは不安そうな顔でセスを見た。
「うちの従業員の心得をおぼえてるよね」
「あ、あの山登りみたいな……」
ひとつ、道に迷えば先達の背中を。
ふたつ、道を外せば大声で叫べ。
みっつ、道の向こうから迎えを待て。
「あれは、こういうときのためにあるんだよ。エデルはふたつめの掟を特に守ってほしいかな」
「大声で……叫ぶんですか? お店の中で?」
「この掟の本当の意味は、間違いがあったら、恥ずかしがらずに知らせなさいってことなんだ」
道とは、働くものが目指すべき場所へたどり着くための、
最終目標は人それぞれだが、たいていの場合、誰にとってもその道は
そんなときは、私はここにいる、誰か見つけてほしいと知らせること。そうすれば誰かが気づいてくれる。
この掟にはそういう意味がこめられていたのだ。
「でも、もう遅いかもしれません。カーレンさまは怒ってしまったし」
「大丈夫だよ。こういうときのためにオーナーがいるんじゃないか」
セスはエデルの心配を笑い飛ばした。
「『道の向こうから迎えを待て』。君はうちの職人なんだ。だから何かあれば店の仲間に言えばいいし、最後にはオーナーがいる。ひとりで怯える必要はないよ」
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