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「ここから十分、み、見れますので」

「なんなら私のひざの上もあいてるけど?」


 ジジがあきらかにからかいをこめているのが分かり、エデルはどう反応するべきか分からなくなった。


「その、膝の上はなんというか、いささか」

「近い」


 アランがてるように言いながら、工房へ入ってきた。


「ジジ。底付けはお前のおいにやらせろ。べたべた女にさわって質を落としたらどうなるか分かってるな」

「こんなのべたべたのうちにも入らないだろ」


 ジジはそう言っておどけてみせた。


「セス。お前も見てたなら止めろ。それにディックはどうしたんだ」

「いや、エデルがどう反応するのか見てみようかなと思って。ちなみにディックはサーカスのじゆんぎようがきているから休みとって見に行きますと鹿しようじきに連絡してきました」


 お祭りごとが大好きなディックは昨晩このサーカスをどれだけ楽しみにしていたかをエデルに熱く語っていたのだった。


「ちっ、どいつもこいつも。エデル、お前はこっちだ」


 アランはエデルを連れて、店と工房をつなぐろうまでやってきた。

 ここは従業員が使う通路で、来客の目に触れるところではない。そのためか道具やぶつさんらんしている。アランは「そうをしろと何度も言っているんだがな」とひとりごちた。

 見習い職人たちが定期的に清掃をしているのだが、少し時間を置くとあっという間に乱雑な空間となってしまうようだ。

 使わなくなった靴型や竹べら、こくり棒などのこまごました道具類が物置代わりに置いてある。ばこぞうに入れられているので、使い古されしよぶんを待っているのかもしれない。普通、職人は道具をおろそかにしない。

 せんたくに出さずに放置しているエプロンの持ち主は、ディックなのではないかと思う。なんとなく……。

 ひと気のない場所へ落ち着くと、アランはエデルの姿をまじまじと見る。


「……そんな制服だったか?」


 えりもとにレースを飾ったクリーム色のブラウスに、腰に巻いたチョコレート色のストライプエプロンには波型にピンキングされたフリルがついている。スカートはふくらみのあるシンプルなモスグリーン。足元は室内用靴で、サテン地の編み上げ靴を履いていた。


「あ、あの最初にいただいたのは、無地のブラウスとスカートと、普通のエプロンだったんですが」


 エデルはしどろもどろになりながら答える。

 着替える前に先輩職人たちに制服を一式うばわれたのだ。

 ジジが「これじゃせっかく女の子が入ったのにかわいくない」と言うと、調子に乗ったほかふたりがあまったフリルやレースを使いだし、最終的に靴にまでレースアップ用のリボンをつけてしまった。

 セスがせっかくだから襟元にダークグリーンの硝子ブローチを飾ろうと提案したときは、エデルは怯えてカーテンのかげに隠れてしまったのだ。


(お店の制服を改造するなんて、ふ、不良だよ……!)


 でも先輩たちが親切心でやってくれたことを、ここで告げ口するのも気がとがめる。

 エデルが思いなやんで口をもごもごさせていると、アランはまあいい、と言ってため息をついた。


「ちょうどよかった。それならこのまま店に出してもよさそうだ」

「店に……?」

「喜べ。お前に接客をさせてやる」


 ──しばしのちんもく


「おいっ、どこに隠れた!?」

(接客なんて……ああ、とうとうこのときがきてしまった……!)


 隠れたのではなく、動機が激しくなってしゃがみ込んだだけだったのだが、アランにはエデルが突然消えたように見えたらしい。


「む、む、無理です……ほかのお仕事ならなんでもやりますが接客だけは……」


 修繕屋を手伝っていたときも利用客とのやりとりはあった。けれど靴の受け取りや引き渡し等のごく簡単なもので、ほとんどの客は店に長居することもなかったのだ。

 アランはエデルのブラウスの襟をつかんでにらみつける。


「無理も何もない。いつまでっても目標を決められない新人には店中の仕事をくまなくやらせて適正をたしかめるという、すばらしい研修計画を俺が作った。お前には今回、異例だが注文の全工程をまかせてやる」

「け、研修計画……いつの間に……」

「セスの言う通り、俺も経営者としてはまだまだだからな。いろいろと調べたんだ。世の優良な事業には、軍隊なみに働く人材がそろっているらしい。どんなけでもそこで働き始めればりつな労働戦士のできあがりだ……鍛えてやるから覚悟しろ」


 アランの目がぎらりと光る。


(そんなあぁ)


 馬車馬のごとき働きを期待しているぞと続けられて、エデルはそれこそ馬のように、口からあわきそうになった。


「お待たせいたしました。新しい職人をお連れしました」


 アランがそう言って扉を叩くとき、エデルはあらゆる緊張を通り越していた。


(どうしよう……ドアの前でおじぎをするのか……部屋に入ってからおじぎをするのか……もうだめ分からない……)


 いつまでもそんなことに思考をめぐらせていると、アランに背中を押される。エデルはよろめきながらも客室へ足をみ入れた。

 扉の向こうには、赤毛の少女がいた。

 ゆるくカールさせた髪を背中に垂らし、大人おとなびて見せているが年の頃はエデルと変わらないだろう。デイドレスは落ち着いた若草色で、黒玉のボタンと同色のボビン・レースで装飾している。

 エデルは職業がら、ごく自然に少女の足元を見た。ガラスドームが発信するりゆうこうしよく、緑のひも靴バルモラルであった。パンプス型で、ダークグリーンのレースでひもを結ぶ。靴ひもは丸ひもや平ひもなどを使用することが一般的だが、ドレスの装飾に用いるようなレースの使用は珍しい。靴ひもの装飾レースは強度が弱く、あまりこの店では使いたがらないのだが。

 何より驚いたのは、甲の先端部分に使われた飾り革である。


(ワニ……じゃなくて、たぶんこれトカゲ……はじめて見た)


 貴重な素材なので、それなりに値をはったはずである。ヒールは太めのコーンヒールで、しつこくられていた。一足の靴に、ずいぶんといろいろなとくちようを入れ込んだものだ。

 前に担当した職人──アランとけん別れしたあの職人だ──は独特のデザインを好み提案したというが、これもそのいつたんかもしれない。


「うちのお得意さまだ。それに材料をおろしてくれる取引先のごれいじようでもある。失礼のないようにな」


 アランがぼそりと耳元でささやく。

 靴に気をとられている場合ではない。

 緊張に重圧を上乗せされて、エデルは立っているのもやっとだ。


「あ、あ、あの、私はエデ……」

「ごきげんよう。カーレン・ディナセルクです。あなたがわたしの新しい職人さん?」

「そ、それは」

「まだ決定というわけではないですが、今日は顔合わせということで」


 カーレンはアランの方を見てうっとりと目を細めてから、エデルを品定めするように上から下までながめた。

 今日、彼女は以前注文した靴の受け取りにやってきていた。せっかくご来店いただいたので新しい職人を紹介し、エデルとカーレン、両者の感触をたしかめようというこころみだ。


「そう。ガラスドームでは、女性も雇うのね」

「必要に応じて」

「すばらしいわ。わたし、女性の職人にははじめてお会いしました」


 すばらしいと言いながら、カーレンはエデルの名前を聞こうとはしない。


「それにしてもアランさま、お久しぶりですね。わたし、今日の日を楽しみにしていました」

「そうですか。履き心地ごこちはいかがでしたか? 一度セスに手直しさせたのですが」

「ええ、まったく問題ありません! ディナー・ドレスに合わせて靴を新調したんです。それで、パパがぜひアランさまと食事でもと……今度ばんさんに、いらっしゃいません? 靴とドレスも見ていただきたいわ。わたし、これを履いてお友達と劇場やお茶会へ行くつもりなんです。いいせんでんになりますから、その前に一度……」

「素敵なお誘いですが、あいにくたてこんでおりまして」


 胸をそらすようにしてカーレンはアランに近づくが、彼はさりげなく一歩引いた。

 アランの声が心なしか上ずっているような気がする。

 エデルはふたりのやりとりを、目を泳がせながら見ていた……。


(私ここにいていいのかな……。どうしよう、お話に入った方がいいのかな……。でもじやしたら悪いかもしれないし)


 エデルの心中を察したのか、アランがきっぱりと言った。


かんじんの名前を紹介しそこねましたが、彼女はエデル・アンダーソンです」


 カーレンは今しがたエデルの存在を思い出したかのように、まばたきをしてみせた。


「アランさま、パパがお仕事の話をしたいって言っていたわ。待合室に案内してもらっているのだけれど、そちらに行ってくださらないかしら。わたし、エデルさんとここでお話ししながら待っているわ」


 アランは迷ったようにエデルをちらりと見る。

 けんに寄せられたしわから、エデルを残していくのは気がかりだ、という感情がありありと分かる。

 しかし客を待たせるわけにもいかないのだろう。彼はごく小さな息をつくと、「セスを来させるから」とささやいて出て行ってしまった。

 エデルはこくりとつばを吞む。

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