2-3

 靴を買った翌日に雨が降ると恋がかなう。

 エデルはそのジンクスを聞いたとき、思わず微笑ほほえんだ。


「あの……かわいらしいつたえですね」


 ガラスドームの一員となって、十四日目のことである。

 作業が落ち着いてくると、工房ではぽつぽつと世間話が始まる。たいていは、お客さまのことである。

 ジンクスの話を始めたのはセスで、彼は靴裏をやすりで整えている最中だった。

 この日、セスはめずらしく底付け作業を行っていた。

 靴の甲部分と中底の間には、つなげるときに段差ができる。この段差をめ物でめ、全体を整える作業をしているのだ。

 れていない職人だと段差を埋めるのに一苦労だが、セスはいともたやすくそれをやってのけ、じようげんで木やすりを動かしている。

 セスは普段甲の部分を作る担当だが、エデルのかんとくもかねてこうして作業を手伝っていた。


「雨のジンクスって、カンディナールでは有名なんですか?」

「そうだね。実は今も言い伝えを信じて月に何足も靴を作りに来る女の子がいるんだけど、たいていちゆうもんのときも受け渡しのときも、翌日は絶対かいせいで。ここ半年はずっと外してるんじゃないかな。途中に雨期もあったのに見事にからり」

「そ、それは……えっと……」


 なんというか、運がない。


「うちとしては助かるけどね、たくさん注文してもらえるから」


 セスはよくこうしてエデルにとりとめのない話題をふってくれる。

 作業初日にもくもくと靴を縫い続け、終業時刻までだれとも口をきかなかった……ということがあってから、彼は気をつかってくれているのだった。

 祖父はエデルに負けず口べただったし、靴を作っているときはだまって作業するのがお互いあんもくのルールとなっていた。

 だが、ガラスドームではそうもいかない。分業になっているため、お互いのつうができていないと結果的に作業を失敗することになる。

 実際、作業は驚くほどに細分化されていた。セスかジジが甲革を作ることになっているが、ようや装飾によっては、その作業が得意な方が役割を交代することもある。ディックがすべての靴底を作成しているかと思いきや、見習いにつなぎ目だけを縫わせることもある。を松ヤニでめるのと、よく使用するひもやリボンの在庫を確認すること、これはもっぱら見習いの仕事である。

 エデルは靴店での自分の役割をまだ決めかねていて、結果底付けと甲革作成を半々の工程でお手伝いすることとなった。

 職人によって指示の仕方が違うので、エデルは最初のうち、かなりまどわされてしまった。

 相手の言うことをうまく飲み込めずに、同じ型を倍作ってしまったり、ヒールの太さをちがえたり……。

 てっきりひどくおこられるかと思い気をうしないかけたが、セスに「これくらいみんなやる」と笑われてしまった。


(気をつけなくちゃ。道具や素材はにしちゃいけない)


 ひとりで作っていたならば、こんな間違いは起こらない。けれど……。


(なんだか……いいな。一緒に、ひとつのものを作るのって……)


 エデルはかかとの部分にやすりをかけ終えて、木製のヒールを目の高さまで持ち上げてみる。このままだとさびしい印象だが、あとでジジがレモンイエローに彩色し南国の花模様を描くのだ。

 注文ぬしこうしやくじんうみ沿いの別荘で過ごす靴をごしよもうだ。散歩をしたときにすなが入りづらいよう、かかとは高めのものを選ぶ。ヒールのとりつけには、まず靴本体のかかと部分の底面を完全にたいらにしてしまわなくてはならない。

 ヒールセットというハンドル式の道具を使い、圧力をかける作業だ。力がいるので苦労する。エデルはこの作業がかくてきにがだった。


「やろうか?」


 ジジが静かに申し出てきた。


「でも、これもちゃんとできるようにならないと……」


 エデルはハンドル部分を思い切り握り込んだ。

 まだ中止めの釘は打たれたままなので、靴がかたくずれすることはない。

 無事に圧力をかけ終えると、エデルは用心深く道具を外し成果をながめる。

 ジジはもう片方の靴を手にとり、素早くヒールセットを使った。無駄がない。あたりをとった位置を何度も確認し、最初の加圧までに時間をかけたエデルとは大違いだ。


「すごい……」

「ヒールセットに迷いは不要。素早く無駄なく、そしてえんりよもいらない。手とり足とり教えてあげよう」

「あ、あの……」


 下を向いていたエデルのしたあごをつかんでジジがささやく。


「ほら、もう一足ある。力の入れ方を教えてあげるからこっちに来てごらん」

(何これ……近いよこわいよ……おじいちゃんは教えるときも、もっと普通のきよで……あれ、ふ、普通ってなんだっけ)


 ちらりとセスを見て助けを求めるが、彼はにこにこしているだけだ。

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