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 しんの靴はあやしくかがやき、そのりよくさそわれる女性を待っているようだ。

 アランはしっかりとかぎをかけた金庫からまがまがしいはいを感じ取り、軽くため息をついた。

 ガラスドームのしつしつで彼は書類仕事にいそしんでいたが、赤い靴のおかげでこうして集中力が途切れることがある。

 つくづく、くつばこが壊れてしまったことがやまれる。

 靴箱館に置いている特別性の靴箱は、番号通りの靴を入れることではじめて効力を示す。靴の性質に合った魔術をかけることでよりこうそくりよくを強めたふういんじゆつだったが、箱が壊れてしまっては意味がない。あれだけ箱があっても、別の箱で封印することはのうである。

 そもそも、箱が壊れること自体ありえないことだったのだが……。

 ディセント家のろくでは今まで一度も箱の封印具がそんした記述などないし、床に落としたくらいのしようげきではびくともしないということは経験上分かっている。あのガラスざいはただのそうしよくひんではなく、魔術をほどこして作り上げた強固な防護力そのものなのだ。

 ならばあの夜、『ありえないことが起こる』じようけんがあったということになる。

 何かおかしなことがあったとすれば、あの少女がその場にいたということくらい。

 先ほど、エデル・アンダーソンがアランの執務室をたずね、ひかえめにではあったが赤い靴を見せてほしいと要求してきた。

 今のところ、彼女はしやれいきんを受け取っていない。いまだに赤い靴の持ち主はエデルだということになる。アランは気が進まなかったが、金庫を開けて靴を見せてやった。

 まだ彼女が働き始めてほんの数日だが、なことがいくつもある。

 ひとつは、彼女が赤い靴をあれほど求めていながらも、魔力のゆうわくをはねのけている点である。

 赤い靴は動き回り、おそらくエデルに自分をくようにとうつたえてきたに違いない。けれど彼女は靴をアランのもとへ持ってきた……。


(それに、赤い靴に対するあのよう……)


 うつむき、つらい思い出にみずかつめをたてるような、悲痛な表情をしていた。

 あの赤い靴は母の遺品と言っていた。母親はあの靴を履いて、帰らぬ人となったのかもしれない。

 アランは目を閉じ、とん、と机を爪でたたく。

 もうひとつ気になっていたのは、才能と比例しない、彼女のくつなまでの気弱さである。

 技術試験でアランをおどろかせたのは、十六歳の少女にしては異例なほどの腕の良さだ。

 いくら伝説の職人がであったとはいえ、技術をとくするにはそれなりの時間が必要だ。相当なろうをしてきたに違いない。通常ならば底付けを一人前にできるようになるまでに、大の男でも三年の修業期間を要する。甲革師となるにはさらに四年、合計七年の修業でようやく店に出してずかしくない職人となるのだ。底付けすら満足にできないまま、きびしい修業を途中で投げ出す見習いは数えきれないほどいる。

 作業はおそいがていねいだ。祖父のしゆうぜんを手伝っていただけあって、革に合わせて縫い方を変える器用さも持ち合わせている。まだジジほどではないだろうが、うまく育てれば試作師向きの有望な職人になりそうだ。


(あの歳であそこまでできるのなら、もう少しうぬぼれてもよさそうなものだが)


 祖父のデルタについてそれとなくたずねてみれば、回答は「そんけいしている」だった。薄茶の瞳は暖かな光を宿やどしていて、厳しいしようとの関係はおおむね良好だったのではないかとすいそくする。


(そういえば、父親はどうしたんだ。母はくなったと言っていたが)


 アランはエデルの横顔を思いかべる。

 本当に彼女のことは、よく分からない。

 まぁ、女といえばみんなそういうものだが──すぐくし、感情的になるし、弱いかと思えばしたたかだったりして、女性は読めない生き物である。

 しかしそれと経営とは別のことだ。靴店の利用客のほとんどが女性であるし、能力のある職人を性別で差別するべきではない。

 そういうわけで、エデルの採用を認めたのだが──。

 セスから耳に痛い言葉をもらったが、オーナーは職人を守り導いていかねばならない。それが経営者の仕事であり、せきにんでもある。赤い靴のことでもめはしたが、エデルがこの店の職人である以上、自分は彼女の保護者なのだ……。

 アランは頭をかかえた。

 これ以上職人がめるようなことがあれば、店の雰囲気は悪くなるだろう。

 それぞれの仕事量が増え、職人たちに余裕がなくなればぎすぎすした空気が生まれる。それはおのずと利用客に伝わり、客足が遠のいてゆく。


(それは絶対にけるべきだ。新人にふさわしい環境をととのえなければ、俺の経営能力が低いとみなされる)


 やってきたばかりのエデルに手を差しべ、自信のあふれる職人になるまで育てなくてはならない。

 職人という種類の人間は、あつかいが非常にむずかしい。

 うまくづなを握るのがオーナーの仕事だというのに、けつきよくアランはエデルの前任者と仲たがいをしてしまった。

(見習いたちはまだ仕事をさせるには未熟。かたなく彼女をやとうことにしたが)

 同じ靴作りをする仕事とはいえ、場所が違えば感覚も違う。まっさらな新人よりもよそで修業した職人の方がみにくく、ほかの職人たちとの間でみぞを作ってしまう可能性があった。

 しかし、メリットもある。

 よそで経験を積んだ職人が入ることで、新しい技術を吸収できるのだ。

 靴職人がしようがい同じ師のもとで働くということは、ほとんどない。さまざまな工房を渡り歩いて修業を積みやがてひとちしていくものだ。この業界では師のわざを『ぬすんで』一人前であり、教える側も出ししみはしない。自らもそうやって他人の技を盗んできたからである。

 雇う側はその経験に大きな期待をする。リスクはあるが、大きく得るものもある。これが経験者採用というものだ。

 アランはほおづえをついて考えた。


(エデルは、デルタ・アンダーソンから受け継いだ技術をガラスドームにもたらしてくれるかもしれない)


 それに、エデル自身もここで学べることが数多くある。導き方さえ間違えなければ、双方に大きな利を生むことになるはずだ。

 エデルは靴を作るとき、どこか表情にかげがさしている。最初は新しい環境に緊張しているのかと思ったが、しばらく彼女の様子を見ていても、その影が消える気配がない。


(これはあまり、よくないけいこうだな)


 まずはガラスドームの仕事を順に経験させ、彼女とあいしようがいいものを選別した方がいいかもしれない。

 通常、作業は分業制だが、仕事の全体像が分かった方がエデルも仕事がしやすいだろう。


「とりあえず、研修計画表でも作るか」


 アランはペンをとり、さらさらと文字を連ね始めた。

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