第3章 新しい靴をおろし、古き思い出をかたる

3-1

  エデルはくつのパターンを引きながら、表情を引きしめた。


(カーレンさまが来店されるのは一週間後。それまでにデザインを用意しておこう)


 あいわらず見つからないもくひようはどうしようもない。

 けれどアランや、ガラスドームの職人たちにめいわくをかけたくない。

 エデルはあれこれと考えて、やはり自分は靴を作るしかないという結論に達した。

 うまくしゃべれないのだから、せめてこれだけでもきちんとして、もう一度カーレンさまにお会いしよう。

 まだ正式にちゆうもんうけたまわったわけではないが、先日のおびもかねて彼女に喜んでもらえるようなデザイン案を個人的に作ってみることにしたのである。

 カーレンとの会話からエデルが得た情報は、ふたつある。

 ひとつは、彼女が父親のすすめる相手と結婚したがっておらず、理想の相手を探していること。

 もうひとつは、恋をかなえるために雨を待っていること。


(ということは、カーレンさまはすでにお相手の目星がついているのかもしれない……きっと好きな男性がいるんだ)


 春のとうかいにすべてをけているのだとしたら、彼女が求めるのは舞踏用の靴である。りゆうこうの緑の靴はいくつも持っていそうなので、そのパターンはひとつだけ用意するとして、何か違うデザインも考えておいた方がいいだろう。

 エデルはカーレンのいていたトカゲがわのバルモラルを思い出す。

 カーレンは思ったことをはっきりと言うように見受けられたので、気に入らないデザインはきよぜつするだろう。つまり、彼女の履いていた靴は彼女のしゆに合っているということになる。


むずかしいなぁ……あんまりなものを作ったことないし……」


 個人的には、生後半年以内の子牛をなめした革であるカーフをほんめしたような、本来の革の美しさを生かせる素材のものが好きなのだが、カーレンの好みに合うかは分からない。舞踏用の靴ならこうたくを生かすような加工のものがいいのかもしれない。


「エデル、フィラー切らしちゃったんだけど、作ってくれない? おれ、これから用事あんだよね」


 ディックがこうぼうにやってくるなりそう言って、コルクの入ったかごを持ち上げてみせた。

 フィラーとは、みつけ部分やかかと部分に入れるもののことである。こうかわと底をいつけたときにできるおうとつをなくすためにもちいられるもので、コルクをじゆで固めて作られる。

 ガラスドームではそこけ師がまとめて作成しておくことになっているが、今はエデルもじゆうしている。

 エデルはぱたぱたとディックのもとへけ寄って、籠を受け取った。


「分かりました。すぐに作ります」

「あれ? パターン作ってるじゃん。注文もらったの?」


 彼はどんぐりのように丸い瞳を動かして、作業机の方をうかがっている。


「いえ……カーレンさまにと思って。でもなやんでなかなか進まなくて」

「この間、話できなかったんだっけ。さいなんだったなあエデル、紅茶かぶったんだろ?」

「かぶったのはセスさんです」

「お前も一緒にサーカスに来ればよかったのに。すごかったぜ、人間の口から火が出るんだ。今度連れて行ってやるよ。えんりよはいらないから。どうしても気になるならおくらいもらってやってもいいけど」


 彼はるいのお菓子好きで、よくエデルにもおすそわけをくれるのだ。


「分かりました、今度かいがあったら。お菓子も、おいしいの調べておきますね」

「なぁ、お前そろそろおれにけい使うのやめろよ。同い年だろ」


 エデルは困ったように言った。


「でも……ディックさんは、せんぱいですし」

「なんかにんぎようじゃん。それにエデルのがうではいいだろ。だからお互い立場はいつしよってことにしよう。その方が平等な感じがするぞ」


 エデルはためらったが、ディックががんとしてゆずらないので、おずおずと口に出した。


「えっと……お菓子、調べておくね。ディック……くん?」

「まぁ……それでいいや。最初だし。これでおれたち、ガラスドームでは同じ立場ってわけだ。ところで、同士のよしみでおれにパターン見せてくれない?」


 ディックは好奇心をおさえきれないようで、エデルにたずねる。

 彼女がデルタ・アンダーソンの孫だと知ったときから、ディックはエデルの作業を見たがった。デルタがどのように技術を受けがせたのか、きようがあるのだろう。

 作業のていかんさつされるのはどきどきするのであまり好きではないのだが、彼のたのみ方があまりにも明るく人なつっこいので、エデルはそっとうなずいた。

 どんなに冷たい人間であっても、きっと彼のことはにできないに違いない……。

 たくじようにはカーレンの足からとった木型と、紙とペンが置いてある。

 エデルが現在行っているのはパターンメーキングと呼ばれる工程で、カーレンの足型をもとに用途やコーディネートを考えながらデザインを起こしてゆくというものだ。

 ジジの作った試作品を注文するならデザインの作成は必要ないが、カーレンの場合一から靴のイメージを起こさなくてはならない。

 ディックは数枚のデザインをじっと見てから、はぁーとため息をこぼした。


「な、何かまずかった?」

「いや、ちがう違う。エデルの靴、やっぱり女の子っぽいなーと思って。こういうのもデルタさんから習ったの?」

「たいていは。おじいちゃんは婦人靴もよく作っていたから」

「そっか。おれも練習しないとな! 絶対アランさんをぎゃふんと言わせる甲革を作ってやる! エデルもデザインでアランさんのことあっと言わせようぜ! あ、それで悩んでるんだっけ?」

「そ、そうなの」


 ディックは明るい声で言った。


「なんだ、じゃあ一緒に市場へ行こう。これから、セスさんたちと仕入れに行くんだよ。実際に素材を見たらなんか思いかぶかもしれないじゃん」

「えっ、で、でもフィラーが……」

「別にいいよ、帰ってきてからで。エデルだってカンディナールの市場見たいんじゃないの? たぶんフロンデよりたくさん種類あるし、めずらしい革もおがめるぜ」


 エデルはうずうずと足を動かした。

 実際フロンデのような田舎いなかまちには革を売る店はなく、隣町の市場まで足を運んでようやくだったのだ。そこへ行っても、牛や豚がほとんどでちゆうるいの革は手に入らない。

「見たいんだろ? 一緒に行こう。セスさんに伝えてくる」

 ディックは言うなり、矢のように駆け出して行ってしまった。

 エデルは卓上のパターンを見下ろしてため息をつく。

 市場に行って何か分かればいいのだけれど……。

 ドアをノックする音がして、エデルは顔を上げた。


「アランさま」


 アランはいつもと同じ黒の上下を着て、少し落ち着かない様子で入ってきた。

 手にはいくつかの資料と、革のカバーをつけた小ぶりの本をたずさえている。仕事の途中で工房の様子を見に来たのかもしれない。


「調子はどうだ」

「今、カーレンさまのパターンを作っているところです」

「そ、そうか……。パンプス型にするんだな。ストラップは?」

「まだ考え中ですが、足首につけてみようかなって……」

「……」

「アランさま……?」


 彼はしばし口を閉ざし、やがて何かを決心したような顔つきになると、ぎこちなく口を動かした。


「アンクルストラップにするのか。ハイヒールはげやすいし、いいんじゃないか。お前は女性ならではの着眼点で物を見ているんだな」

(うん……?)


 今アランさまは、めてくださったのだろうか。どうして?

 エデルは自分のパターンを見下ろした。

 アンクルストラップの靴などオルハラ国できゆうしてすでに二十年はっている。成長途中の女の子の足にベルト型のストラップをつけて調整するなんて、よくあることだ。特別視するようなものではない。靴にきびしいアランにしては、ぜんである。

 アランは以前、エデルに「流行の靴のなんたるかを教えてやる」と言ってあついデザインパターンの本を読ませたこともあったのだが……。

 かくかくとしゃべる人形のように、彼はさらに続ける。


「きっと目がいいんだな。大自然を飛ぶたかのような……? 瞳なんだろう」

「は、はあ」

(視力がいいっておっしゃりたいのかな? 私、良くも悪くもないのだけれど……アランさま、どうしたんだろう……まさか私の失敗のせいでおつかれになってるとか)


 エデルはあわあわと落ち着かなくなった。

 なんと返答するべきか。視力のことはかいされないうちにていせいした方がいいのだろうか……。

 そもそも、アランはなぜ視力の話をしているのか、エデルは理解できていなかった。近いうちに検査をひかえているのだろうか?

 アランはしびれを切らしたようにたずねる。


「……おい、何かないのか」

「何か、とは?」

「エデル、たくできた? セスさんが馬車つかまえてくれたって」


 ディックの声が聞こえて、エデルはぴっと背を正す。


「あ、あのアランさま、私これから市場に連れて行って、も、もらうことになっていて。その……こんなものしかないのですが」


 エデルはエプロンのポケットから、ていねいに包み紙にくるんだイチゴのあめだまを取り出した。

 何かないのか──とアランが言ったということは、小腹がすいているのかもしれない、


「ディックくんにもらったもののおすそわけです。お、おいしかったです」

「……ディック『くん』か。ずいぶん打ち解けたようだな、あいつにだけ」

「え……?」


 エデルはあせった顔で彼を見上げるが、彼はひえびえとした表情である。


「……俺は甘いものが好きじゃない。自分で食べろ。あと足首のストラップは太いものにするなよ、ダサいからな。このパターンじゃれいじようはヒールがものりないと言うだろう。帰ったら俺に新しいものをていしゆつするように。合計十パターン以上だからな」

「ひいい」


 さっきよりもなぜかこわくなってる……。

 エデルはおびえながら、去っていくアランの背中を見つめていた。

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