1-8
「つまりは君もアランさんも赤い靴のそばにいればいいということなんだから。君、エデルさん? 手をよく見せてくれる?」
言うやいなや、セスはエデルの手のひらをつかんでじっと観察し始めた。
「うん、やっぱり。君、職人だよね。手を見れば分かるよ。もう小指に傷も作らないほど靴を作っているというわけだ」
靴作りに慣れないうちは、縫い糸で小指の
そういえば昔は
「さっき触っただけでも、革の種類について分かったみたいだからね。かなり長いこと、
「そう、です……」
「まさかそいつをうちに入れるっていうんじゃないだろうな」
「もちろん実技試験はするよ。でもアランさんだってこの子、欲しいんじゃないの? デルタ・アンダーソンにはさんざんフラレたじゃないか!」
「おい、
フラレた……?
エデルが首を
(まさかおじいちゃん、こんなに大きなお店のお仕事、
セスは「まだ根に持っている」とからからと笑った。
「先代から代替わりしたばかりのとき、アランさんは君のおじいさんを何度も
試作師とは、サンプル専門の職人のことである。
試作品作りは相当な技術を持ち、
ほとんどの注文客はサンプルを見て仕上がりを想像するため、試作品ほど高い技術力が求められるのだ。
実際に試作品と同じ靴を、という注文が入ったときはその靴店の職人たちが試作靴をお手本にして製作にあたる。
「アンダーソンさんは、若いときにカンディナールで試作専門の独立職人をしていたんだよ。二十年前にこのあたり
あ、とエデルは声を漏らした。
エデルのブーツの裏にも、逆三角の刻印が押してある。
「
靴作りの制作
「それがあるとき突然引退すると言って消えてしまってね。そもそも、サンプルだけの
(それは、想像できる……おじいちゃん、気難しいし)
お客さんともめたり、ご近所付き合いが悪かったり──何より実の娘、エデルの母親とは
どうやら二十年前も、祖父は
「で、ようやくアランさんが君のおじいさんの居場所を突き止めたんだけど、手紙を送っても無視、使者を送っても無視、最終的には
「孫娘と静かな
「えっ」
「そうか。孫娘とはお前のことだったのか。靴箱のことといい、じいさんのことといい、今ふつふつと怒りがこみあげている」
(封印の箱を壊したのはたしかに私だけれど、おじいちゃんのことは私のせいではないんじゃ──!)
そう言いたいのをぐっとこらえた。なぜならば、アランの目が血走っており、口答えは危険だと判断したからである。
「まぁまぁ、アランさん落ち着いてよ。アンダーソンさん……いや、エデルさんはおじいさんから技術を受け継いでいるんだからさ!」
「えっ、で、でも」
「エデルさんだって、赤い靴のそばにいたいんだよね? でも君はあの靴が危険だということをきちんと理解している。だからこそ困っている。そうだよね?」
「そ、そうです……」
「アランさん、彼女今
「俺じゃなくて本人にもう一度聞いてくれ! 聞こえなかったなら!」
セスは
「肯定した?」
「しました」
「スマシタ。うん、しましたね、うん。よし」
エデルは
「エデルさんとアランさん、両方が
「おい」
「デルタさんが亡くなったということは、修繕屋さんは閉めてきているんだろう? お、今うなずいたよね。うん、じゃあ君は、堂々と言えたことじゃないけど、職なしってことだよね!」
痛いところをつかれて、エデルはぐさりと傷ついた。
実際祖父の修繕屋はもうないも同然であり、エデルには身を立てるすべがなかった。
食べていくためには職を手に入れなければならない。幸い祖父は自分に、靴作りを教えてくれた。
だが、ガラスドームのような大きな店で働きたいとは微塵も思っていなかった。
実際に店の様子を見て思ったことだが、ここはかなり客数が多く、じっくりと話し合って靴を作るやり方をとっているようだ。人見知りでしゃべるのが
こういった店では技術と同じくらい、もしかするとそれ以上に、細やかなもてなしが求められるのである。
特にオーダーメイドとなると、その
カンディナールには出来合いの靴を売る小さな靴店も多くある。エデルはできればそういったお店のすみっこに置いてもらえないかと思っていたのだ……。
「ここで働くっていうのは、いい考えだと思うよ。さしあたって、カンディナールで赤い靴を見張るといっても宿と食費が必要でしょう。君が大金持ちなら気にしなくていいとは思うけれど」
「き、気にします」
「そうだよね。僕も同じ立場なら気にするよ。朝のパンは
続きをお願いしますとばかりに視線を向けられて、アランは
「
「ほ、本当ですか……」
エデルは思わず両手を組んで目をうるませてしまった。
食事と宿が保証されるだなんて、夢のような
「で、でも、私はその、見てお分かりとは思うんですが」
「あ、ローズミストの髪? たしかに珍しいけど、別に髪色の規定はないよ。背が低くたってさすがにカウンターから顔くらいは出るでしょう」
「そ、そうではなく……私はなんというか、人と……」
「そもそも、彼女に接客業は無理だろう」
他人に言われると、改めて落ち込む……。
エデルはアランたちと目を合わせていられずに、テーブルの木目に視線を落とした。
「そんなにもたもたしゃべられたら、たいていの客はしびれを切らす」
「あはは、アランさんこそしびれ切らしてるよ」
「
セスは急にまじめな顔つきになって、背を正した。
「もしエデルさんが即戦力になる技術を持っていたとしたら、僕は採用するべきだと思っている。接客は結局経験がものをいうことだし、これからいくらでも成長できるでしょう。その成長を導く好機を、アランさんに逃してもらいたくないんですよね……」
アランはいかにも気まずそうな顔をした。たたみかけるように、セスは続ける。
「僕は──この人手不足の原因を作った先ほどの事件に関してだけれど、この店の職人を代表して言わせてもらうと、ひとりの
「む……」
アランは黙って、もうエデルに採用試験を課すことを反対しなかった。
が、エデルはかたかたと震えていた。
(そうだ、今さっきアランさまは職人を解雇していたんだ……。しかもかなりぶつかりあってたし……。ああ、これから試験とか言っているけど不安しかない……!)
「あ、あの私やっぱり」
セスはがっしりとエデルの両手を握りしめる。
「大丈夫エデルさん。アランさんは一見気が短いように見えるけど、まぁ実際短いけど、面倒見のいいオーナーなんだ。さあ試験を始めよう、今すぐに!」
「ひいぃぃ……」
押しきられると断れない性格のエデルは、工房に強制連行されていた。
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