1-8


「つまりは君もアランさんも赤い靴のそばにいればいいということなんだから。君、エデルさん? 手をよく見せてくれる?」


 言うやいなや、セスはエデルの手のひらをつかんでじっと観察し始めた。


「うん、やっぱり。君、職人だよね。手を見れば分かるよ。もう小指に傷も作らないほど靴を作っているというわけだ」


 靴作りに慣れないうちは、縫い糸で小指のを傷つける。松ヤニで強度を増した糸は硬く、力をこめて引くとその部分が擦れて皮膚がずるけ、赤くただれるのだ。

 そういえば昔はなんこうが手放せなかった、とエデルはすっかり硬くなった指の皮膚を見つめながら思い出した。


「さっき触っただけでも、革の種類について分かったみたいだからね。かなり長いこと、しゆぎようをしてきただろう。師はおじいさん?」

「そう、です……」

「まさかそいつをうちに入れるっていうんじゃないだろうな」

「もちろん実技試験はするよ。でもアランさんだってこの子、欲しいんじゃないの? デルタ・アンダーソンにはさんざんフラレたじゃないか!」

「おい、だまれ」


 フラレた……?

 エデルが首をかしげると、アランはいまいましそうに舌打ちをした。


(まさかおじいちゃん、こんなに大きなお店のお仕事、ことわったの……?)


 セスは「まだ根に持っている」とからからと笑った。


「先代から代替わりしたばかりのとき、アランさんは君のおじいさんを何度もいていたんだよ。さくにならないかって。カンディナール一の靴店の花形職を断るなんて、驚きだよね」


 試作師とは、サンプル専門の職人のことである。

 試作品作りは相当な技術を持ち、くんれんを積んだ職人しかゆるされないもので、事実上その店一の職人に与えられる呼び名だ。靴職人の中で、試作師は憧れのまとなのである。

 ほとんどの注文客はサンプルを見て仕上がりを想像するため、試作品ほど高い技術力が求められるのだ。

 実際に試作品と同じ靴を、という注文が入ったときはその靴店の職人たちが試作靴をお手本にして製作にあたる。かんぺきさが求められるのは、それゆえである。


「アンダーソンさんは、若いときにカンディナールで試作専門の独立職人をしていたんだよ。二十年前にこのあたりいつたいのウィンドウに飾られていた靴はみな、靴底に逆三角の目潰しがしてあってね」


 あ、とエデルは声を漏らした。

 エデルのブーツの裏にも、逆三角の刻印が押してある。


あいばん、祖父は必ず逆三角のものを使っていました」


 靴作りの制作ていでは、必ず靴底の中央をくぎで固定する必要がある。この釘を引き抜いたあとが美しくないという理由で、職人たちはそれぞれ自分の目印がわりに靴裏に刻印を押していた。ほとんどの店ではどの職人が作った品かを判別するため、合番の型についてはおおむねかんようであった。


「それがあるとき突然引退すると言って消えてしまってね。そもそも、サンプルだけの独立フリー職人なんてめつにできるもんじゃないんだよ。試作品一足作るのに、どれくらいの苦労を要するか……にもかかわらず街中の靴屋の注文を掛け持ちして、納期はしっかり守るときているんだから。もとらずにひとりでもくもくと作っていたみたいだけど」

(それは、想像できる……おじいちゃん、気難しいし)


 お客さんともめたり、ご近所付き合いが悪かったり──何より実の娘、エデルの母親とはけんあくな関係だった。まともに会話していたのは孫娘のエデルくらいである。

 どうやら二十年前も、祖父はあいわらずの性格であったらしい。


「で、ようやくアランさんが君のおじいさんの居場所を突き止めたんだけど、手紙を送っても無視、使者を送っても無視、最終的にはみずからフロンデまで乗り込んでいってサンプルを作ってくれとたのんだんだけれど──」

「孫娘と静かなせいを過ごしたいからという理由で断られた」

「えっ」

「そうか。孫娘とはお前のことだったのか。靴箱のことといい、じいさんのことといい、今ふつふつと怒りがこみあげている」

(封印の箱を壊したのはたしかに私だけれど、おじいちゃんのことは私のせいではないんじゃ──!)


 そう言いたいのをぐっとこらえた。なぜならば、アランの目が血走っており、口答えは危険だと判断したからである。


「まぁまぁ、アランさん落ち着いてよ。アンダーソンさん……いや、エデルさんはおじいさんから技術を受け継いでいるんだからさ!」

「えっ、で、でも」

「エデルさんだって、赤い靴のそばにいたいんだよね? でも君はあの靴が危険だということをきちんと理解している。だからこそ困っている。そうだよね?」

「そ、そうです……」

「アランさん、彼女今こうていした?」

「俺じゃなくて本人にもう一度聞いてくれ! 聞こえなかったなら!」


 セスはせきばらいをした。


「肯定した?」

「しました」

「スマシタ。うん、しましたね、うん。よし」


 エデルはこんわくした表情で、ひとりうなずいているセスを見る。


「エデルさんとアランさん、両方がなつとくする道は、ふたりが赤い靴を見張るということだけなんだよね。それにうちの店はまんせいてきな人手不足で、君が見た通り、さらにひとり抜けてしまったというわけだ。魔術師の靴は僕の専門外だから、前半の話はぶっちゃけけつこうどうでもよかったんだけど」

「おい」

「デルタさんが亡くなったということは、修繕屋さんは閉めてきているんだろう? お、今うなずいたよね。うん、じゃあ君は、堂々と言えたことじゃないけど、職なしってことだよね!」


 痛いところをつかれて、エデルはぐさりと傷ついた。

 実際祖父の修繕屋はもうないも同然であり、エデルには身を立てるすべがなかった。

 食べていくためには職を手に入れなければならない。幸い祖父は自分に、靴作りを教えてくれた。

 だが、ガラスドームのような大きな店で働きたいとは微塵も思っていなかった。

 実際に店の様子を見て思ったことだが、ここはかなり客数が多く、じっくりと話し合って靴を作るやり方をとっているようだ。人見知りでしゃべるのがでいつもうつむきがちな自分には荷が重い。ましてや上流階級のお客さまを相手にできるとは思えない。

 こういった店では技術と同じくらい、もしかするとそれ以上に、細やかなもてなしが求められるのである。

 特にオーダーメイドとなると、そのけいこうけんちよに表れる。

 カンディナールには出来合いの靴を売る小さな靴店も多くある。エデルはできればそういったお店のすみっこに置いてもらえないかと思っていたのだ……。


「ここで働くっていうのは、いい考えだと思うよ。さしあたって、カンディナールで赤い靴を見張るといっても宿と食費が必要でしょう。君が大金持ちなら気にしなくていいとは思うけれど」

「き、気にします」

「そうだよね。僕も同じ立場なら気にするよ。朝のパンはまんした方がいいか、風呂は三日に一度にしようか、とかね。でもなんと、うちで働けば──?」


 続きをお願いしますとばかりに視線を向けられて、アランはいやいやながらに答えた。


りようかんでまかないつきだ」

「ほ、本当ですか……」


 エデルは思わず両手を組んで目をうるませてしまった。

 食事と宿が保証されるだなんて、夢のようなてんかいである。


「で、でも、私はその、見てお分かりとは思うんですが」

「あ、ローズミストの髪? たしかに珍しいけど、別に髪色の規定はないよ。背が低くたってさすがにカウンターから顔くらいは出るでしょう」

「そ、そうではなく……私はなんというか、人と……」

「そもそも、彼女に接客業は無理だろう」


 他人に言われると、改めて落ち込む……。

 エデルはアランたちと目を合わせていられずに、テーブルの木目に視線を落とした。


「そんなにもたもたしゃべられたら、たいていの客はしびれを切らす」

「あはは、アランさんこそしびれ切らしてるよ」

なぐるぞ」


 セスは急にまじめな顔つきになって、背を正した。


「もしエデルさんが即戦力になる技術を持っていたとしたら、僕は採用するべきだと思っている。接客は結局経験がものをいうことだし、これからいくらでも成長できるでしょう。その成長を導く好機を、アランさんに逃してもらいたくないんですよね……」


 アランはいかにも気まずそうな顔をした。たたみかけるように、セスは続ける。


「僕は──この人手不足の原因を作った先ほどの事件に関してだけれど、この店の職人を代表して言わせてもらうと、ひとりのせいを無駄にしてほしくないんですよね。もちろんどんな職人を揃えるかはオーナーの一存で構わないと思うけれど、その結果として起こったことは今後のために忘れないでいてもらいたいんです。僕たちはアランさんを信じてついてきているから、アランさんにも僕たちと一緒に学んでもらいたい。上に立つ者がどうあるべきか、僕たちをどう導くべきかを」

「む……」


 アランは黙って、もうエデルに採用試験を課すことを反対しなかった。

 が、エデルはかたかたと震えていた。


(そうだ、今さっきアランさまは職人を解雇していたんだ……。しかもかなりぶつかりあってたし……。ああ、これから試験とか言っているけど不安しかない……!)

「あ、あの私やっぱり」


 セスはがっしりとエデルの両手を握りしめる。


「大丈夫エデルさん。アランさんは一見気が短いように見えるけど、まぁ実際短いけど、面倒見のいいオーナーなんだ。さあ試験を始めよう、今すぐに!」

「ひいぃぃ……」


 押しきられると断れない性格のエデルは、工房に強制連行されていた。


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