1-7



*****



 客室に移動した三人はローテーブルをはさんで、それぞれに席についた。

 曲げ木を使ったにはセスとアランが、向かいの椅子にはエデルが腰かけている。


「それで」


 最初に言葉を発したのはアランだった。


「赤い靴を取り戻しにやってきたというわけだ」

「……そうです。靴箱を壊してしまったことは、本当に申し訳ありませんでした。ですが、あ、あの赤い靴は、アランさまにきをしていただくために持ってきたのであり、おゆずりするわけには、い、いかないからで」

「うんうん、そうだよね。あれはアランさんに目移りしてもらうためにモップできたからでおるわけにはいかないものね」

「セス。よく聞こえないのにごういんに理解したふりをするな」


 アランは表情を変えずに続けた。


「説明したと思うが、あれは危険な代物なんだ。魔術師の靴の封印はがディセント家の使命であり、こればかりは返却できない」

「その……説明は、たしかに聞いたのですけれど……いまひとつなんというか」

「いきなり魔術がどうとか言われても、分からないよね。では不思議な靴にあまりくわしくないぼくから、お話ししてみようか」


 セスはいきいきとした顔でそばにあるチェストの蓋を開けた。中にはぎっしりと、やはり靴箱が詰まっている。


「これはただのうちの商品。サンプルだけどね」


 蓋を開けると、モスグリーンの男性用の革靴が顔を出した。


「うちは今期、緑をらせたくてね。触ってみて」


 エデルはそろそろと靴に触れた。感触からしておそらくこれは、


「キップ……」


 キップとは生後半年から二年の牛の革である。

 生後すぐの牛とは違い、強度があるものだ。ただしきめの細かさやしなやかさは、子牛のそれと変わらない。

 子牛に比べて革に厚みが出るので、質感を出したいときにはちようほうされる。

 エデルの顔つきが変わったのを見て、セスは「さすがアンダーソンさんの孫だなあ」とかんたんした。


「この革を触ってどう思った?」

「えっと……丈夫そうだと思いました。革の銀面はなめらかで触っていて気持ちがいいです。でも、手縫いにはずいぶん固そうだから一足縫うのに苦労するかもしれません」

「そう。じゃあ、君の赤い靴を見てどう思った?」

「どうって……生きているみたいだと」

「人は靴を見て、欲しい、かわいい、美しい、履きたい、もしくは汚い、いらない、痛そう、いろんな感情を抱くと思うけど、生きているようだと思うことってそうそうないんじゃないかなぁ。もともと動物のがいを使って作っているものだしね」


 そうなのだ。加工されたあとの革になっていると感じにくいことなのだが、原材料は牛や羊などの生き物の皮をいただいている。

 履く側の人間はあまりそれを意識しないが、作り手はとうとい命を忘れてはならない──革はけしてにしてはいけない、と祖父から何度も教え込まれてきた。


「普通の靴ではないって、君も感じていたんだよね? アランさんに持ってきたということは、何かしらおかしいと思ったからだろうし」

「はい……」


 靴に直接危害を加えられたわけではないが、ひとりでに動きだす靴が異常だというのはエデルでも分かる。


「以前、何かあったんですか。その靴がらみで」


 エデルの質問に、アランがたんたんと答えた。


「百五十年前、魔術師の靴を履いてのし上がったひとりの少女がいた。家族の命をにえとして、自分は国一番の権力と財力を手に入れた」


 エデルはうつむいていた顔を上げた。

 百五十年前にその名をとどろかせ、この国で一番、有名になった女性といえば──。


「シャルロッテ・ディセント。通称シンデレラだ。俺の祖先にあたる人物だが、とんでもないあくじよだ。家族の命をなんとも思わなかった」

「でも、そんな話は聞いたことが……」


 エデルが知っているのは不幸な日々を送っていたシンデレラが、魔術師に『硝子の靴』をおくられて幸せを手にした……というお話だ。

 まさかその硝子の靴が、不幸を呼ぶ靴だったというのだろうか? あれほど国民があこがれてやまなかった、特別な未来へ導く靴が。


「シャルロッテが願ったのは、灰かぶりには考えつかぬほどのぜいたくな生活を送ること。そして代償を求められ、血がつながらないとはいえ家族の命を差し出した。硝子の靴は王子と結ばれるためでなく、ふくしゆうのために使われたんだ」


 シンデレラの継母と義姉たちは天のさばきによって突然死したと噂されているが、その実は彼女が履いた『硝子の靴』のにえとしてささげられたのだという。

 王宮での暮らしを、他人の命であがなったのだ。


「で、でもシンデレラはこの国を豊かにしてくれて、民に夢を与えた王妃さまでしょう」

「その方が都合がよかった、と言うべきか。あの時代、先のいくさに負けて敵国に領地を奪われ、さらにえきびようが流行りオルハラ国は経済もかつも落ち込んでいた。そこに現れたのがシンデレラだ。貴族階級以外の成り上がり物語と、彼女のもたらした新たな産業は、たしかに国に活力を取り戻した。実際のシンデレラがどうであったのかは、あきらかにするべきではなかった」


 国民はシンデレラストーリーに心打たれ、暗い時代にふきぬけるような光のせんぷうが舞い込んだ。

 アランいわく、そうしたシンデレラのイメージだけが独り歩きし、実際のシャルロッテの人生とはかけ離れたものになっていったというのだ。


「王宮に魔術師を引き入れ、勢力を増したシンデレラは、王から恐れられ寵愛を逃した。さいは、古城にゆうへいされて息をひきとった。世間的には『シンデレラは幸せに暮らしたが、やまいわずらい、しまれて息をひきとった王妃』となっている」


 けつきよく、シンデレラは魔術師の靴を履いて幸せな最期は迎えられなかったのだ。


「魔術師がいたのは、ずいぶんと前のお話ですよね…‥‥? それでもまだ、シンデレラのような女の子が出てくるかもしれないということですか?」


 現在のオルハラ国では魔術師を見ることがない。シンデレラの死後、彼らは王宮のふうぞくを乱す存在となったのだ。

 裁判にかけられ、そのほとんどが命を散らした。魔術などが通用したのは昔の話で、今ではすっかりすたれてしまっている。


「百五十年前の魔力はいまだに残っている。そこでシンデレラの子孫たちは、シンデレラと魔術師がせいにばらまいたとされる靴を集めて封印することにした。祖先がおかしたつみせきにんをとり、これ以上不幸な人間を増やさないために。シンデレラが王宮を追放されたにもかかわらず、ディセント家に伯爵の称号が認められている理由もこれだ」


 魔術師を集め王宮に一勢力を築いたシンデレラは、ほんの疑いをかけられた。

 普通ならば、そのような疑いを持たれた一族にはきびしいしよばつがくだされる。

 しかし王はディセント家を『生かして』おかなくてはならなかった。魔術師の靴が散らばってしまった以上、それを回収する者が必要になる。シンデレラの息子は生まれつき魔力が高く、そしてまがりなりにも『王家の血を継ぐ』者であった。シンデレラと王の間に生まれた子どもたちは、けして王座につけない代わりに伯爵位を約束され、魔術師の靴の番人となったのだ。


「……あの靴が危険なもので、アランさまにとって封印が必要なものであることも分かりました。でも、あの赤い靴は母が遺してくれたゆいいつの品なのです」

「何度も言っているが、俺はあの靴を見張っていなければならない。これはディセント家に与えられた義務であり、宿命だ」


 結局、ここで話し合いはまた平行線となる。

 母の靴が危険な品だということは、なんとなくだが理解できた。誰かが命を落とすことになるくらいなら、このまま彼にあずけた方がいいのだろう。

 けれど、エデルの中でまだ気持ちが整理できていなかった。

 あの靴は、母に似ているのだ。

 ダンスが好きで、ほがらかで、でもすぐどこかへ行ってしまう──。


「……靴が、以前の持ち主の行動をまねるというのは、あるものなのでしょうか」

「靴の性質にもよるが、その持ち主がことさら靴にしゆうちやくしていたのならありえるかもしれない。魔術は人の欲望に強く反応する」

「では逆に、人間が靴のふりを……」


 エデルはためらい、たずねるのをやめた。


「何か言ったか?」

「い、いえ……」


 いくらなんでもそれはきっとありえはしない。今考えなければならないのは別のことだ。


(もしお母さんが、あの靴を履いて死んだのなら? お母さんの望みはなんだったんだろう。このまま靴を置いていったら分からずじまい──)


 エデルがくちびるを嚙んでかつとうしていると、


「なんだ、簡単じゃないか」


 セスがあっけらかんとして言った。

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