1-2

 広大な庭を抜け、分かれ道で言われた通り左の道を選び、途中いくつかの建物をかいして、エデルは高くそびえる建物にたどり着いた。

 敷地内なのに、遠かった……。

 すっかりあがった息をととのえている間に、またぐずぐずする気持ちが育ち始めたので、エデルはかぶりをふった。

 それは不思議な形のお屋敷だった。

 背は高く屋根はドーム型で、縦長の大きなまどが四方のかべにひとつずつ付けられている。

 オルハラ国の屋敷で一般的なものは、高さよりもよこはばの広さをとる、大きく開いたバルコニーがとくちようてきな建築だ。来客の目を楽しませるためにだいを支える柱にちようこくをほどこしたり、草をり込んで庭園の手入れをするものだが、エデルの周りにはだんひとつ見当たらなかった。

 エデルは改めてあたりをカンテラでらした。うっそうとした木々に囲まれ、さわさわとしたれの音が聞こえる。

 人を迎えるというよりも、ひっそりとかくされている場所のように見える。


(もしかしたらここは、別館のようなものなのかもしれない……)


 せり出したまどわくには、鉄製のエンブレムがかざられていた。つるを巻いた葉に囲まれた、つぶれた鳥かごのような形のものだ。入り口の門にも同じものが見えたので、おそらくこれがディセント家のもんしようなのだろう。

 ここがほんていでないにせよ、あてもなくうろうろするよりは早く人を呼んだ方がいい。


「ご、ごめんください……だれか、いらっしゃいませんか」


 エデルはえんりよがちにしんちゆうせいのドアノックを使った。返事はない。

 まよったのちにとびらに手をかけると、あっけなく開いた。

 ぎぃぃ……と、扉はさそうように音を立て、中のようがちらりと見える。


「あのー……あの」


 エデルはそっと、足をみ入れた。かぎが開いているということは、きっと誰かがこの奥にいるに違いない。自分の声が小さくて届いていないのなら、もう少し近くから呼びかけなければ。そう思ったにもかかわらず、エデルは動けなくなった。


「すごい……」

 壁一面、はこだらけである。


 てんじようまで伸びる背の高いたなにきっちりと木製の箱がめられていた。棚はエデルの立つげんかんぐちを囲うように広がっている。

 歩いても、箱。背伸びをしても、箱。振り返っても、箱。

 エデルはごくりとつばを飲む。

 この屋敷は、間違いなく異常だ。いったい世界中のどこを探したら、ここまでてつていてきに箱を収めている場所を見つけることができるのだろうか。この場所以外に、どこにも見当たらないに違いない。

 果てのない長方形の海に、ひとりぼっちで飛び込んでしまった。

 エデルはそろそろと歩きだし、棚をかんさつする。

 木製の箱にはそれぞれ番号がられていた。そして、いくつかのさいしよくガラスがその番号を取り囲むようにめ込まれている。

 ガラスのカットや数はとういつされていないが、列ごとに色はそろえられている。

 目の前のたてれつには、あわふくんだ水色のガラスが並んでいた。

 となりの列にはとうめいかんのあるマリンブルーのガラスが、後ろを振り返ればほむら色のガラスが輝いている。

 右側にはダークグリーン、左側にはあわい黄色。やかたの中はずいぶんとあざやかだ。

 エデルは箱の側面をそっとなぞった。

 彼女がれると水色のガラスは光を閉じ込めたようにきらめきを帯びて、思わず箱を引き出してみたくなる。

 再び頭をふって、エデルはゆうわくを追いやった。


「なんだろう、ここ……不思議な感じ……」


 げんそうてきだが、ガラスざいの壁に囲まれたようなへいそくかんをおぼえる。

 シンデレラ伯爵家は靴だけでなく、箱も集めているのだろうか?


「動くな」


 エデルははっとわれに返った。

 ひとりの青年がとがめるようにこちらを見ている。

 髪色と同じ、深いくらやみのような黒の上下を身に着けた彼は、つかつかと歩いてきた。


「あ、あの私」

「それはただのガラスだ。ぬすんでもたいしたがくにはならないぞ」


 エデルは箱に触れていた指をあわててひっこめた。

 どうやら、彼にぬすつかいされているらしい。

 青年はエデルの手首を素早くつかんだ。きようのあまり、彼女は体をすくめる。


「ひっ……」


 ごりっ、としたかんしよくが背中にあたる。おそらくガラス細工だろう。後ろはすでに棚だ。逃げるすべがない。


「名前と、どうしてここに来たかを言ってみろ」

「ち、違うんです私は……」


 カンテラを持つ手が震える。

 手元の明かりが揺らぎ、青年の青味がかった紫色の瞳にだいだいの光がちらつく。


「あ……」


 その色は、さながら陽の沈みゆく空のようだ。

 怖いけれど、とても美しい。ここにある無数のガラス玉よりもずっと。

 こんなときだというのに、エデルはべんかいも忘れてくしていた。


「なんとか言ったらどうだ」


 青年の言葉に、彼女はびくりとかたをこわばらせる。


(そうだ、ぼうっとしている場合じゃない)


 エデルは心の中で自分をしつした。


「エ……エデル・アンダーソンと申します。申し訳ありません。ぬ、盗みを働くつもりはありません。道に迷って、こ、ここへ」


 彼女にていこうの意志がないことをとってみると、青年はぱっと手を離した。


「勝手に上がり込んで、箱にさわらないでもらえるか」


 彼はそう言うと、しんけいしつそうにエデルの手元を見やる。


「ごめんなさい、かつに入ってしまって……シンデ……じゃなくて、ア、アランさまにお会いしたくて、これ、お店で名刺をいただいて」


 エデルが言い終わらないうちに、青年は彼女から水色の名刺をひったくった。


「この色か……よりにもよって……」


 彼はみるみるけんあくな目つきになり、さながらてんてきを見つけたおおかみのよう。

(こ、怖い……!)


 青年は名刺をにらみつけたまま、


「それはそくろうどうも。俺がアラン・ディセントだ」

(この人が……噂の、次期シンデレラ伯爵)


 思っていたよりも、彼はずっと若かった。エデルよりはさすがに年上だろうが、五つも離れていないように見える。

 整った顔はつり目がちな瞳もあいまって、ともすると冷たい印象を受ける。てっきり噂から変わった人なのかと思っていたのだが、のりのきいたシャツと皺ひとつない上着を身に着け、意外なほどにまじめそうだ。

 ──だがそのがんこうのするどさから、ハンターという通り名は間違いないように見える……。

 しようじきに言うと、エデルの中で怖そうな人──ことに男性は、最もにがな分類にぞくする。

 エデルは緊張のあまり高鳴りっぱなしの心臓を押さえた。


「それで、靴は?」


 エデルがしばらく胸を押さえてじっとしていたので、彼はけげんそうに口にした。


「この名刺はいわくつきの靴を持ってきたきやくじんに渡されるものだ。持っているんだろう」


 どうやらアランは、あまり気が長い方ではないらしい。

 エデルはもたもたしながら、トランクから箱を取り出した。箱の中身は待ちきれなかったようで、びょんびょんといきおいよくね、上蓋をふっとばしてしまった。


「これは……」


 アランはさすがに驚いたようで、足元にころがった蓋を取り上げてから、しげしげと靴をながめる。

 赤い靴は、エデルの手をかいしていないにもかかわらずじんのごとくつんと立ち上がり、こうしゆうを見せつけていた。

 ──この靴の、こういうぐさは亡き母に似ていると思う。

 母はようえんな赤い靴のように、近寄りがたいぼうがあって──でも、むすめにはとびきり優しかった。

 ぐらいは高いが、にくみきれないあいきようがあったのだ。


「箱にけがあるわけでは……なさそうだな」


 アランは手袋をはめ直し、ひとしきり靴箱を調べ終えると、そっと赤い靴を持ち上げた。

 そのしよのひとつひとつがていねいで、エデルは思わず目で追ってしまう。彼の指先は、秘密をあばこうとするかのように赤い靴の上をすべってゆく。

 エデルははっとして、もごもごと口を動かした。


「そ、その靴、勝手に動き回ってこまっているんです」

「すまない、もう一度言ってくれないか」


 エデルはすうっと息を吸いこむ。


「その、靴……! 勝手に動いてしまうんです!」

「俺と話すときはそのくらい声を出してくれないか。耳はいい方なんだが」

「ごめんなさい……」


 アランは靴のかかと部分をなぞった。目を細め、思案するようなそぶりを見せる。

 彼は何かを決めかねているような顔をしていた。


「あの……?」


 アランの反応をじっと見守っていると、しばらくして彼は求めていた答えにいきついたらしい。

 彼はあごをそらしてエデルを館の奥へとうながした。


「よくこの靴を持ってきてくれた」

「え?」

「あなたを正式に靴箱館の客人として招待する」


 そうげるやいなや、アランはりんを三度、乱暴に鳴らした。


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