第1章 薔薇と演劇、そして靴

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 くつは人の運命を変える。

 かつて、けいあいするはそう言った。

 エデルは馬車のれに身をまかせながら、自分の運命の歯車がたしかに回り始めるのを感じた。

 家族をうしない、住みれた土地を離れ、こうして見たこともない景色を次々とひとみにうつしている。

 それも、たった一足の靴のために。

 あしもとの荷物がひとりでに動きだす。エデルはトランクのはずし、長方形の箱をひざに置くと、ふたを開けてそうおんの原因をじっと見つめた。

 しんかがやく靴が顔を出す。

 ディオルセイと呼ばれる型のヒール靴だ。靴の側面は切れ込みを入れたような〓字型に開き、つま先にぎんで曲線のステッチがほどこされている。

 かかとが高く後ろ寄りにつけられたヒールには、ガーネットの宝石。かわは動物性せいを加えたオイルレザーで仕上げているのだろう、ぬめりがあってなまめかしい。

 ようにつま先を打ち鳴らす靴を、エデルはそっとでる。


「あなたはずっとおどりっぱなしね」


 ステップの音だけだというのに何度も聞いておぼえてしまった。

 それはオルハラ国一のげきだんの演目『シンデレラ』で、不動の大女優ヴァイオレット・ファーが踊った一曲。はいかぶりの少女がおうとなる日のエチュードである。


(さて、もうすぐ目的地に到着するけれど……なんとかこの靴を大人おとなしくさせないと)


 フィナーレをむかえ得意げに一回転する靴をつまんで、彼女は靴箱に蓋をかぶせる。

 こうのノックは聞こえないふりをして体重をかけた。

 エデルはひとりでに踊るこの靴を、持てあましていた。


 と演劇、そして靴。

 オルハラ国のたみ、特に貴族階級の者に好まれるものを上からあげるとしたならば、この三つにしぼられるだろう。

 なかでも最後の『靴』は、百五十年前にたんじようした異例の王妃の存在により、まるごとひとつの都市を靴職人のきよじゆうとするほどめざましい発展をげた。

 王妃の名は、シャルロッテ・ディセント。国民にしたしまれているぞくしようは、灰かぶりシンデレラである。

 彼女の人生のエピソードはすべての子どもたち──特に女の子たちにとって、むねをときめかせる物語であった。

 き父のさいからうとまれ、ちやくしゆつであったにもかかわらずめし使つかい同然の生活をしていた少女シャルロッテ。

 ドレスや宝石のたぐいはすべてうばわれ、代わりに彼女に与えられたものはうらまつな部屋とそう用具であった。

 それだけではらず、ままははたちは彼女の美しい名前すらも取り上げた。だんの掃除でかぶった灰まみれの姿をちようしようし、シャルロッテを『シンデレラ』と呼んだ。

 ぐうの時代を送ったシンデレラだったが、ある日彼女の前に現れた魔術師から、な力を持つ『硝子ガラスの靴』を与えられる。

 靴にみちびかれるようにして王子と恋に落ちたシンデレラは、見事に幸せをつかみとったのだ。

 彼女が王族の一員になったときからこのオルハラ国ではシンデレラを『しゆつの代名詞』としてあがめ、国民たちは彼女にあやかり靴に特別な想いをいだくようになった。シンデレラは王妃となったのち、自身が火付け役となった靴産業の発展に力を入れ、経済をうるおわせ国力の強化に大きな役割を果たした。それはすいせいのごとく現れた、さいえんの王妃の誕生であった。


 そのシンデレラが靴産業の中心地とした街が、産業都市カンディナール。

 王都にぎ二番目に大きな都市であり、おうこう貴族から花売りの少女まで、さまざまな階級の人間が入りみだれる街でもある。

 エデルは馬車から降りると、カンディナールの風のにおいをいだ。

 彼女の出身地のものから比べれば、ほんの少し空気が重たい。


(シンデレラはくしやくの方にお会いするためとはいえ、ずいぶん遠くまで来てしまった)


 現在では王妃シンデレラのそんたちは伯爵位をもらい、とうしゆがカンディナールで靴店をいとなんでいる。

 ディセント家はシンデレラ伯爵家と呼ばれ、この街では親しまれるようになった。その一方で、この家に関するとあるうわさが人々のきようをかきたてていた。

 シンデレラ伯爵家はいわくつきの靴をしゆうしゆうしている。

 特に次期当主のアラン・ディセントはその『趣味』にいたく熱心であると。

 彼にまつわる噂は数えきれないほどある。

 目玉のえた靴を、しきひとつ分にあたいする金で買い取った。

 ねつたいのジャングルにまで巨人のサンダルを取りに行った。

 ひっくり返すとかえるの卵が出てくるブーツを入手するために、みずうみの水をすべてさらった。

 おかしな靴を手に入れるためなら手段をえらばないハンター。

 きっとそのひとがらは……。


「なんとなくだけど、こわそう……」


 エデルはほうもない気持ちでシンデレラ伯爵のお屋敷を見上げた。

 彼女はしわになってしまったスカートを手のひらでばした。しつなドレスに使い古したトランクケース。きりをかぶったような灰桃色ローズミストの髪のすきで、うすちやの瞳が不安そうに揺れている。

 ひとりでに動きだすこの不思議な赤い靴をかんていしてもらうため、エデルは慣れ親しんだ生活にしばしの別れをげ、産業都市カンディナールにあるシンデレラ伯爵家のもとへやってきたのだ。

 赤い靴は、母のかたである。

 女優であった母は舞台ので帰らぬ人となり、ひんとして届けられたのがこの靴だった。

 母とは離れてらしていたため、思い出の品はエデルの手元にほとんどない。だからこそ、この靴をしようがい大切にしていこうと思っていたのだが──。


「お、お願い、トランクごとげないでっ……!」


 エデルはすさまじい力で手のひらから離れようとするトランク(の中に入った赤い靴)を押さえ込んだ。

 目を離せば母の靴は踊っているか、うるさくしているか、行方ゆくえめいになろうとするのだ。

 エデルは何度も自分の正気をうたがった。

 けれどもこの異常な出来事に慣れ始めると、ひとつの可能性に思いいたった。


(もしかしたらお母さんの事故は、この靴に関係があるのかもしれない)


 普通に考えれば、靴が生きているなんてあるわけないもの──。

 シンデレラ伯爵の噂を聞きつけた彼女は、トランクに赤い靴と荷物をめ込んだ。

 だが、そこからエデルは大変なろういられることとなる。

 せいらいの人見知りとないこうてきな性格のおかげで、宿を取りそこねたりしんしやちがえられたり、荷物を持つという怖い人にさんざん話しかけられたり、都会はおそろしいところだと一日に七回はみしめたのだった。

 エデルの住む田舎いなかまちフロンデからこの産業都市カンディナールまで、馬車で三日走り続けなければならない。


(死んじゃいそうな三日間を乗り越えて、ようやく街についたのはお昼だったのに、いつの間にか夜になってしまった……)


 ようやくシンデレラ伯爵家の靴店にたどり着いてからも、上流階級のお客さまに使づかいと間違えられ、いそがしそうな職人には存在をされ、ようやくオーナーのどころを知っていそうな人物をつかまえたと思えば、「オーナー? 今日はお店に来ませんよ」と返答された。

 親切な店員になんとか彼のお屋敷の場所を聞いて、エデルはこうしてはるばるやってきたというわけだ。

 しかし、エデルは今き出しそうな気持ちになっている。


「……お手紙でご都合を聞くの、忘れた……」


 門の近くでしゃがみ込み、エデルはがたがたとふるえだした。


(どうしよう。もうおそいし、飛び込みでたずねたらしつれいなやつだと思われて、靴を見てもらえないかも……そしたら赤い靴はどうしたら……やっぱり日をあらためるべき? でもせっかくここまで来たのに……)


 エデルは振り返り、来た道を戻るかあんする。あたりにはうすやみが広がり、どこからか犬のとおえが聞こえてくる。さびしげなかいどうに、うぉぉんとひびき渡るけものの声。


「うっ」


 ──見知らぬ夜道を歩くのは勇気がいる……。

 しかもこのお屋敷は市街地から少し離れた場所にあり、迷わずに歩けるかどうかはさだかでない。

 エデルはしばらくもんもんなやんでいたが、体がすっかりえてきたのでのろのろと立ち上がった。

 春を迎えたばかりのこの季節は、陽がしずめば冬の名残なごりの冷たい風が吹く。

 こうして悪い方にばかり考えてしまうのは、自分のよくないくせである。それにこれ以上悩んだらたぶん心臓が止まる……。


「だめだと思うけど、行こう」


 屋敷の門番にそろそろと近づき、エデルはそっとめいを差し出した。

 昼間靴店をたずねた際、しようかいじよう代わりにと店員が持たせてくれたものだ。

 門番の男はかたまゆを上げて名刺を見ると、エデルにカンテラを持たせてくれた。


「あなたが行くのはあちらです。途中の道は右じゃなくて左。帰りはここでカンテラを返してください」


 男は彼女をまねれぞんざいな道案内をすると、さっさと入り口へ戻ってしまった。


(ぜ、全然案内が分からなかった。でも、もう一回聞けない……)


 エデルは不安げに視線を動かしたが、門番がじろりと見たので、「ひっ」と小さく声をらした。

 知らない人と話すときは、必要以上にきんちようする。

 とりあえず、進んでみよう……。

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