2-3
彼女はきっと……衝動的な人なのだろう。
むしろ、初対面の俺をここまで振り回しておいて計画的な人間と思う方が無理だ。
本を買わずに書店を出たかと思えば、数十歩先のカフェでお茶をしている。向かいに座る彼女は茶をしばくどころかギターケースから紙をバタバタと取り出して――。
「エグイ量あるな……」
「あぁ、遠慮せず見てくれ」
俺は散らばった紙を手に取る。
文頭に総じて書かれた『Fly me to the blue sky』という文字。
これがタイトル……ということは他は歌詞のパターンかな……。
「どれも歌詞がイマイチでな」
「……俺が決めていいの?」
「あくまで意見さ、私の作品だからな」
良かった、流石にぽっと出の俺にそこまではさせないよな……。
今までがあまりにも馴れ馴れしかったからか――。
俺は『あくまで』という立場に促され、適当な歌詞の紙を手に取る。
*
『Fly me to the blue sky』、訳すなら『私を青空に連れてって』になるのだろう。
明るい歌のように思えたそのタイトルは、パンクロック、バッドトリップを思わせるような歌詞だった。それは彼女から出た言葉とは到底信じられないほど――。
つまりは、自由になりたい。
つまりは、逃げ出したい。
杖をついた彼女が望む広がる青い空。聞くだけじゃ詩的で儚い美しさに感動物だが、それが目の前にいると思うと途端に怖くなってくる。
他のパターンにも隠しきれていない自由への渇望と、目の前の彼女という暗示は、まるでこの歌詞が書き連ねた自殺の理由そのものであるかのようだった。
「……病んでる?」
「深みを出そうとするとどうしてもな……」
「いや、まぁ……」
それが彼女の悩みなのだろう、小説を書いていて俺も良く経験する。
——ただ、彼女の文章はそれが生きた証のようで――。
「俺はかっこいいと思うけど……なにが気に食わないの?」
「……要するに愚痴じゃん」
「……あぁー……」
呻くような納得の声はガラガラと伸び徐々に消息していく。
彼女がなぜ初対面の俺にここまでフレンドリーなのか、それは最後まで分からなかった。俗に言う運命、神の言った好機、何かの作用が働いたのなら尚更——。
彼女に掛けてあげるべき言葉も見つからないし、簡単に否定していいのかも、変にアドバイスしていいのかすらも分からなかった。……出来なかった。
「期待には応えられないかも。……詩って難しいな」
「……そっか」
「ごめん、そろそろバイトだわ」
「……悪かったな。そういえば名前は?」
「え、っと
「灯野……」
「あぁ~だから田野~」
唐突な納得の声は後ろから。
「中々イカスなあだ名じゃん、考えた奴は天才だな~」
片手をポケットに、俺の右肩から首を突っ込む警官は、こちらの空気も読まず割り込んで来たと思えば「おうおう」と覇気を飛び散らかしている。
「……昨日ぶりで……」
「あぁ。田野君が元気そうよかったよ」
初めて会ったときは敵同士だったからか、間柄が完成された初めて分かる。
こいつ、結構良い奴っぽい?
「俺の様子を?」
「いや~」
警官は俺の耳元に口を近づけ囁く。
「神から招集だ」
「え……マジか。バイト……」
「言ってる場合か、車止めてあるから乗ってけ」
*
「二人とも来てくれたか」
「嫌々な、感情が出たのか?」
「あぁ、名は嫌悪。感情フィールドとでも呼ぼうか……奴はそこにいる」
中学生に決めさせた方がまだかっこいいぜ……。
「放っておいたらいずれこの世界に来るだろう、その前に倒して貰いたい」
「こちとら二度目だからな、まぁ任せろ」
意気揚々とする警官。
……倒すっても……。
単純な違和感だ、俺は銃を撃つことが正攻法とはとても思えなかった。
銃で倒せるぐらいなら神様一人でなんとかなるだろうに……それに……。
「なぁ……俺は必要なのか?」
俺はまだ認めていなかった。
「必要とは出来た口だな、これは君と言う人間への天啓だぞ?」
「……バイト捨ててまで冷水に跳びたくなるか……」
神は「あー」と悩むと俺に耳打ちする。
「君の言う『あの子』、彼女の感情はまだ流れて来ていない」
「っ……抗ってんのかよ」
「お前にはそれを見届ける責任があるんじゃないのか?」
その話題を持ち出されるとは――思っていた、期待していたのかも知れない。
ただ……ずるいぜ。見届けるどころか……殺されても文句ねぇよ。
「流石にやる気出たよ」
「……溺れるなよ」
どこからともなく鳴り響く三味線と太鼓の音。
川は高波で荒れ、まるで俺達を煽っている。
「ふぅー……行くか……」
*
草木生い茂る土手に出る。
「今度からゴーグルいるよな」
「っはー……それな」
俺は四つん這いになって必死に肺に空気を取り込み続ける。
どうやら俺は泳ぐのが苦手なのかもしれない。ただ、今回は高波が邪魔だった。
「っふー……」
感情フィールド。景色は反転し橋も太鼓橋に変わっている。太鼓橋に見える灯籠、温かい風と静けさは祭りの終わりのようで――子供の頃を思い出す。
「なぁ、銃で倒すのって正攻法だと思うか?」
「……悪い何かならな」
「でも、俺は殺したから二週間前に戻ってると思うんだ」
俺が言葉を濁らせると「はっ」と気付いたように警官は話かける。
「二週間先の夜、何かあったのか?」
「……見たんだな」
もしあの感情を殺した作用であの幻覚を、そして過去に戻ったなら――。妄想に妄想を重ねた推測だが、それでもその可能性に掛けたい。
「祟られたんだよ、きっと……俺はもう二度とあんな幻覚は見たくない」
「……ただ、アレが外に出るのも問題だ、銃は最終手段」
「大丈夫、きっと行けるから」
警官は太鼓橋の前に立ち銃を構える。
「来てるぞ……」
その瞬間、例のように人の形をした黒いモヤからは文字が浮き出る。
「……嫌悪」
「行けるか?」
「……多分」
俺は神様との発言を幻覚で見たあの子を思い出す。
そしてその記憶が浅い内にその感情の前へと、太鼓橋の真ん中へと立った。
「なぁ! 心残り、手伝ってやるよ……」
『死んだ人の感情が未練のまま動いているんだ。幽霊や妖怪と一緒でね』だろ?
「……殺してくれ」
「……嘘だろ……」
嫌悪、それも自己嫌悪の類だ。
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