2-2

「おーい、マジで大丈夫?」

「……え」

 ぼんやりとした意識は中途半端に覚醒する。馴染みある隣からの声、視界に広がる教室。だが、脳はそれを何一つ理解していなかった。

 まるで夢の続きにでもいるような感覚が思考を麻痺させて——そして今、大方理解する。

「……え!?」

 咄嗟に出たボリュームある俺の声は教室全体に響き渡り、先生共々一斉にこちらを振り向く。——そこは教室だった。


 ……なんで教室にいるんだ……。

 目を丸くして呆然とするクラスの面々、当の本人はそれ以上の違和感に同じような表情を――きっと浮かべているだろう。

 日常的な教室の風景のはずなのに、俺にはそこが閉鎖空間のような――。正直言ってSF理論で片づけたくなるほどだ、芦川以上に現実とは信じられない。


 教室中の視線が一斉に自分に向いているこの状況。目線を気にすると空気に委縮していまうが、この状況に、恥も外聞も気にしていられなかった。

 俺は集まる視線を前に冷静に、それでいて胸の奥に震える高揚感に苛まれながら考えを巡らせる。……夢だった? どこから? マンボウはいるぞ?

 「?」三つのコンボは不可思議な今をより加速させる。しかし、今こうして目に見えている情報が、あの芦川から続いた怪奇現象を夢と断定づけていた。

 でも……。

 マンボウがいる時点で夢と簡単に割り切れない。

 それでも、あれを夢と思わずにはいられなかった。


「……マジ……どうした?」

 隣から囁く声はどこか引いている。

「えっと、寝ぼけてたかも」

「ヤバいぞお前、小説もう諦めろ」

「そんなの二週間くらい……」

 前にもう割り切ったよ。と言ってやりたかったのも束の間、確認するように見た黒板に書かれた日付は、まさにその二週間前の日付が書いてある――。

「なぁ、日付ってあれで合ってるっけ?」

「……記憶飛んだの?」

 愚問とでも言いたそうなその口ぶり。青二才の拙い思考じゃどうにかなりそうだ。


「……っはー……」

 俺は椅子に寄りかかり天井を眺めながら一しきり息を吐く。


 ……行ってみるか。



 四時間目の授業はチャイムの音と共に終わる。

「田野~飯いこ~」

「ごめ今日パス!」

 昼下がりの皆が学食に向かう中、俺は学校を抜け出し芦川に向かって走り出した。授業中に散々渦巻いていた思考は止まることを知らず、俺を走らせていた。『あの川に行けば全てが分かる』そんな希望を胸に、俺は校門という境界線を越えたのだ。

 「神様がいれば……~ッ! ……変な感じ……」

 非日常だ。平日の昼に校舎を出て走る青空と風は、学校を抜け出した背徳感も相まってやけに心地良い。開放的な気分に、俺は前髪を気にせず無我夢中で走っていた。


 体力の尽きる限り走り続け、そして俺は芦川に掛かる例の橋の上に立った。


「君、その妖しい気配はなんだね?」

 その凛とした声が耳に届いた瞬間、俺は安心した。

 ……夢じゃなかったんだな。

「ちょっとね。神様のアンタに聞きたいことがあって」

「……ほぉ」

 橋の上に忽然と現れたその儚い姿は妙な笑みを浮かべる。

 彼女の不適な表情からは、俺が彼女を神と知っての反応ではなく、もっと深い何かを見透かされている気がした。

 まさに神と呼ぶに相応しい――そんな表情を前に、屈するわけにはいかない。俺はあの子を含め包み隠さず、神様に事の顛末を話した。


「なるほど。それは災難だったな」

 風のように通り過ぎる労いの言葉はまるで温かみがない。

「えっと、どうすればいいんだ? そもそもなんで二週間前に戻ってるんだ?」

 有り余る疑問。神様は有無を言わせず被せる。

「これは好機だ。向かうもよし逃げるもよし、運命は自分で決めるものだぞ」

「……え?」

 神様的達観した考え。神はこれを何かのチャンスと言ってるらしい。

 先行き不安な二週間を「向かう」も「逃げる」もって……。

「んな無責任な! あの子とまた会うようなら本格的に病むぞ!?」

「神に百も頼むきか?」

 ……言われてるぞなろう小説……。

「そうだな、ヒントはくれてやる。今日の十五時、駅前の本屋に寄りなさい」


 *


 十五時前後と言った所。言われた通り俺は駅前の本屋に寄る。

 ここで一体何が起こるというのか、神から与えられたのはただのヒントでしかなかった。真意は教えられることなく、この場所へとたどり着いてしまったのだ。


 どうしようかな~バイトの時間もあるし、悠長構えている時間はないけどー……。

 ……まぁ、せっかくだし、本でも買ってくか。


 一体好機とは、追うものなのか追われるものなのか――。

 当てがない今、この時間に本を買うことは決して間違いじゃないだろう。

 折角なら参考になるような本が良いな……。

 棚を指でなぞりがら小説を吟味する。 


 小説を書くのが感覚だけではないのは分かっている。読書を通じてボキャブラリーというオールを握り、定まらぬストーリーという大海原を駆けるのだ。

 それにしても消えたわけだけど……。

 いや、むしろ執筆に煮詰まった今こそ取り入れることは非常に重要だ。

 それにあのバイトは待つ時間が多い、買って損はないだろう。


 棚から取るは『さざんまい』というタイトルからじゃまるで何も分からない小説。背表紙のあらすじを眺めながらもそんな自意識の高いような妄想を繰り広げる。

 脳内であろうと少しは自重した方が良いだろうな……って……。

 思考を妨げる右肩の重み。

 見ると、俺の肩には溢れんばかりにボワボワした長い髪があった。後ろにはギターケースを背負っていて……まるで当てがない。

「え、誰?」

「……あぁ、すまない。足が悪くてね」

 そう言い一歩下がる杖のつく音。

 丸い眼鏡にウルフカットの彼女は軽く頭を下げる。

「いや、全然。そっちこそ大丈夫、っスか?」

「あぁ。……良かったら手を貸してくれないか?」

 手を貸すっていってもどうすりゃ……。

 とりあえず俺は彼女のギターケースを代わりに背負った。

「ど、どうすればいい?」

「ギター持ってくれるだけで十分だよ。本を探すのを手伝ってくれ」

 優しく笑う彼女はぎこちなく片松葉杖を使って移動する。

 俺はどうすればいいのか、なにも出来ない屈辱感のまま隣を歩く。


「詩的な本が買いたいな、参考になるかなって」

「……作詞的な?」

「あぁ。よかったら見てくれよ、客観的意見は欲しいしさ」

「……別にいいけど……」


* 

 

「田野が……私以外の女といやがる……」

 いつも隣から聞こえる声、俺の耳に届くのはまだ先なのかもしれない。

 

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