第五章

1 毒を呑む

 がんが白いと知ったのは随分経ってからだった。カリフラワー状のがんという表現はよく聞くけれど、実際に手にしたとき、私はそれががんの〝残骸〟だなどとは夢想だにせず排水口に捨てた。湯船の中で膣からお湯が漏れたときに小指の先ほどの白い欠片が飛び出したのだ。カンジダかと一瞬思ったがそれにしては大きな塊だった。

 中労病院での入院中は殆ど入浴できなかった。でも気がかりは他に海千山千とあったから、大した欲求にもならなかった。そのとき空はまだ生きていて、私は主治医に頼み込み、毎週末に一時帰宅し、翌週の月曜にまた帰院するというサイクルを繰り返していた。

 放射線治療の影響で、常にめまいに見舞われていた。宿酔というらしかった。椅子の背もたれに身体を預けるような些細な動きや、エスカレーターの一段目に足をかけた瞬間の沈み込むような振動でさえ、ぐらりと目が廻り、そのまま平衡感覚を失って斜めに倒れた。中労病院まではバスで四駅の距離だったけれど、バス車内の独特の臭いと振動に耐えるのは無理だろうと踏んでタクシーを呼んだ。

 でもどんなに運転が丁寧でも、アクセルペダルが踏まれた瞬間、背中がシートに押し付けられると同時に奈落が訪れた。病院に着くなりトイレに駆け込み、酸っぱいものが口の端に糸を引くのを指で切りながら涙が滲んだ。胃液が口から洩れるたび、目からも液が垂れたが、生理反射みたいなものだった。えずきながら、タクシーの中でまき散らさずに済んでよかったと、ただぼんやり考えていた。

 血膿のような下り物が止まらず、常に臭気を放っていた。週末、自宅に戻っても、湯船に浸かる体力はなく、浴室の床に直接しなだれるように座ってシャワーの湯に体を預けるだけで精一杯だった。その頃から浴室の鏡は少しずつ曇っていった。

 腹部には、赤や青のペンで十字の印が描き込まれていた。

「これは外部照射のための大事なガイド線ですから、絶対に消えないように注意してくださいね。石鹸などで擦って洗わないように」

 放射線科の技師に何度も釘を刺された。くさびのように描き込まれたそのバツ印が、最初に提示された私の命綱だった。

「うちが主科だからね!」

 リニアック室にいた看護師の早川さんは私の手を握った。

「このがんには放射線が効くから!」といつも励ましてくれた。

 切除できる段階をとうに過ぎていた私が最初に受けた治療は、同時化学放射線療法というものだった。婦人科でオーダーされるシスプラチンが治療の中心だと捉えがちだけれど、抗がん剤は放射線治療の効果を高める補助的なものだと、早川さんが教えてくれた。

 薬の副作用で手が震え、廊下をまっすぐ歩けなくなっていると真っ先に気づいたのもやはり早川さんで、婦人科の主治医や、病棟看護師にすぐに連絡をしてくれた。私が知るよりも早くエコーなどの検査予定に目を通し、日程を把握してくれていた。それは真摯な愛情だった。彼女がくれた優しさを想うと今でも涙が出る。

 放射線治療は奏功したけれど、がんは消えなかった。転移が見つかれば、再度抗がん剤だと言われた。中労病院には手厚くサポートしてくれる緩和ケアチームがいて、婦長が隠さずに教えてくれた。

「転移があれば、もう一度抗がん剤になるよ。その場合は根治を目指さない。進行を遅らせながら、できるだけ苦痛なく生活できるようにする。転移がなくて癌が一か所に留まっていれば、もしかしたら切れるかもしれない。放射線が当たってるから、オペの難易度が高くてうちの病院じゃできないけど、切る場合は、お腹の中の臓器をごっそりとることになるかも。大丈夫、みんな頑張ってる」

 それは恐れるな、立ち向かえ、という勇気づけから来る言葉だったのだろうけれど、私は充分に打ちのめされた。骨盤内臓器全摘出。ダブルストーマ。膀胱と、大腸の自力排泄機能を失う。お腹に左右一つずつ穴をあけ、腸と尿管を外へひりだし裏返す。たわみを持たせて表層の皮膚に縫い付け、まっかな梅干しそっくりの見た目の出口を造る。腸は生きているからうねうねと動くし、芋虫か蛇のように蠢いて飛び出してくることもあるらしい。私は異形の鬼を身に宿したような気持ちになった。それが今か今かと私を食い破る刻を待ちわびている。そんな果敢ない未来を私は恐れた。

「今の時代は、ストーマでも温泉だって入れるし、普通に暮らしている人いっぱいいるからさ。慣れるとぷるぷるしてかわいいとも聞くよ」朋が言った。本心からの励ましだったと思うけれど綺麗事に聞こえた。普通じゃない人たちの尽力の結果、たどり着いている一見〝普通〟の暮らしは、健常者のそれとは違う。普通に馴染もうとし、普通であろうと努力して、必死に習得した上辺の〝普通〟だ。

 交通事故に遭わない究極の方法は一歩も家から出ないこと。そんなこと分かりきっている。でも大丈夫だと思っているから外へ出る。赤信号だって渡る。飲酒運転をする。自分は大丈夫だと思っているから。彼方と此方の国境線。すぐ隣にあるのに、他人事じゃないはずなのに、そこには大きな隔たりを感じる。でもその感傷さえ一方的で、此方に属する者にしか覗けない風景なのかもしれない。

 健常者の言葉が一見安穏と映り込み、どれほど無自覚に普通じゃない人たちの心を挫かせるのか。安息を求めても叶わず、傷つくことにも静かに疲れていき、普通であろうと努力したり希望を持つことをやがて止めてしまえば、私たちはどこへたどり着くのだろう。

 がんを殺すために、放射線をいっぱい爆(あ)びた。正常な臓器もいっぱい死んだ。腸は動かなくなり、卵巣機能も失われた。外部照射だけじゃなくて、直接膣からアプリケーターを入れてイリジウム線源を子宮内に刺した。私は赤い三翼の換気扇マークのついた部屋の中に固定され、涙を垂れ流しながら気絶しそうな痛みに耐えた。それでもがんは消えず、遠隔転移がないか延々と検査をした。イヤホンをつけ爆音で音楽を鳴らし、凄まじいノイズで脳を埋め、内なる白夜を願った。本当の絶望は対峙することを赦さないばかりか、あらゆる思考を奪うと知った。どうにかしたい、助かりたい、そんな感情の総ては絶望を増幅させるための格好の餌にしか過ぎず、もはや死ぬのが怖いと泣く気力さえ失い、食事の一切は身に巣くう化け物の栄養で、なんとか口にいれても嚙むことも呑むこともなかった。

 空はずっとこの腕にいた。抱きしめて一緒に寝た。それでも私が投与された抗がん剤や放射線の曝露に空の小さな体躯が晒されることが怖くて、空がごろごろと幸せそうに胸を膨らませるたび、私に纏わりついた怯えと躊躇いは増幅し、霧散することはなかった。

 あの日々の中で、私は一度死んだ。

 

 次の日、朋から電話があった。出ると、胡桃ちゃんが「けんかちゃんおめでとう!」と伝えてくる。すぐに朋が電話口に出た。

「ごめん、ごめん、胡桃がどうしても最初に話すってきかなくて」

 電話の向こうから、にぎやかな足音と笑い声が聞こえる。

「手術から三年経ったね! ほんとにおめでとう~。今年も泊まりに行こうと思ってたんだけどさ、パパがインフルになっちゃって」

 開腹手術をした後も入退院を繰り返したから、手術日だけが特別という気持ちは正直薄い。放射線、手術、抗がん剤、そのどこに私の記念日があるかはよくわからないままだ。それでもこうして訪れる『その日』を祝ってくれる気持ちは嬉しい。昨年はマヌカハニーの蜂蜜に、ハナビラダケの粉末を持って泊まりに来てくれた。

「そんな。一生かかっても返せないくらい感謝してるのに」

 私の手術が終わって一年と三か月経った頃、十七歳を迎えた空が虹の橋を渡った。しんと静まった部屋の中で、私は電気もつけずカーテンも開けず、ひたすら横になっていた。たぶんあの日朋が来てくれたのは、術後一年経過のお祝いのためなんかじゃない。

「明日泊まりに行くから」お伺いはなかった。シャワーを浴びる、服を着る、ドアまで行って鍵を開ける、すべてが煩わしかった。断るのも面倒だった。返信もしないでいると、次の日朋は胡桃ちゃんをつれてやってきた。保冷箱にぎっしりおかずを詰め込んで。

「おにぎりはねえ、くるみが握ったんだよ!」

 温かいお味噌汁を飲むと全身に沁みて鳥肌が立った。おにぎりの塩気で涙が出た。切り干し大根は丼一杯食べた。食卓の上に置かれたままの遺骨に二人は何も触れなかった。夜はありあわせの布物で川の字に布団を敷き、一緒に横になった。胡桃ちゃんの笑顔は眩しくて空を喪ったばかりの私には酷だったけれど、部屋に一人でいることも辛かったから、一緒にいてくれるだけで気持ちは緩んだ。

 ふたりが先にお風呂に入り、私がシャワーを浴びて出てくると、胡桃ちゃんが眠そうにしながらも、ノートを広げて待っていた。

「けんかちゃん、こっちきて!」胡桃ちゃんは持ってきた荷物の中から黒い画用紙を置いて、先の尖ったペンを握った。

「もう毎日そればっかり」朋が笑いながら説明する。マジックスクラッチというらしく、黒い塗料で紙一面塗られていて、表面を削ると内側からレインボーカラーの線が浮かびあがるものだ。

「ちゃんと見ててね!」

 胡桃ちゃんは「日」と削った。その後、その下に縦の線を二本引く。それを見て私の息が一瞬止まる。彼女はさらにそのまま続けて右へ「頁」を書き、「顕」という字を完成させた。それから「ふう」と一息つくとハナハナと楽し気に口ずさんで「花」を描いた。

「できた! けんかちゃん、おめでとう!」

 差しだされたそこに、虹色の「顕花」があった。

 得意げに、「ね? 覚えたの」と私を見上げる。不意を衝かれて、私は涙ぐんだ。こんな難しい漢字、まだ学校で習っているわけない。下まぶたから、涙が今にも零れそうになって言葉を失っていると、胡桃ちゃんが、「うれしい?」とにっこり笑った。

「嬉しいって、わかるんだ? くるちゃん、すごい……」

「うん、ママもパパも、いつもだいたいそんな顔するよ。大人ってふしぎ! こんなのいっぱい書けるのに」

 そういって、また新しい顕花を書き始める。いっぱい書けるというのを聞いて、私は胸がいっぱいになった。――この子は私の子供じゃない。いくら親友の娘でも、義務教育を終えて卒業し、やがて親元から離れれば、きっと私との関わりは消える。

 私は子供を失っていない。最初からいなかったものは、失ってすらいない。同じ病室で、子宮を全摘し子供が産めなくなり、つらいと苦しんでいた若い人たちはたくさんいた。かわいそうだとは思ったけれど、彼女たちと同じ気持ちにはなれなかった。

 皆、「どうして私がと思った」と言った。よく聞く話だけれど、本当に皆そう言った。私は違った。そんなことは思わなかった。ああ、やっぱりそうだったのか、とどこか納得していた。だから機能を失っても、それ自体に苦しさはなかった。違う部分で苦しんでいた。でも何に対して苦しんでいたのか。それが死への恐怖だったのか、猫を置いて先立つ不安だったのか……。記憶が定かじゃない。

「顕花、聞いてる?」電話口から声が響いて意識が連れ戻される。

「あ、ごめん。胡桃ちゃんてさ、その、ワクチンって、打つ?」

 言葉を濁してしまったけれど、口に出さずとも理解してくれた。

「もう少ししたら打とうと思ってるよ。六年生からだよね?」

 朋は自身も健康診断を欠かさない。言われなくてもきっと打つだろう。でもこのワクチンは時期が重要で、悠長に構えてはいられない。子は親の知らないうちに初体験を済ます。早い方がいい、そんなことはとても言えず、言葉を選ぼうとしたが選びきれなかった。

「そろそろ、なんじゃないの?」

「まだ小学生だから早いかなって」朋の声はいつも穏やかで、のんびりしている。私が焦っても、どうなるものでもないのに。

「感染症からくるものだから……、唯一根絶できるがんなんだよ」

「いぼのウィルスなんだよね~? 顕花のおかげっていったら申し訳ないけど、あたしもいっぱい調べたよ。昔は副反応のせいで死んじゃった子がいるって大騒ぎになったけど、今は新しいワクチンもまた出てきてるみたいだし。やっぱり打たなきゃって思えたよ」

「そうだね、数年でさらに変わってると思う。日本は遅れてるから」

 HPAワクチンは、日本で擬制有罪に近い扱いを受けた。『よくわからないからやらない』という感覚と、『疑わしきは罰せず』――明確な証拠がない場合に有罪としないこと――このふたつの元をたどると、その心理は同じだけれど事の顛末は逆になる。

 重篤な副作用を引き起こす可能性が0じゃないワクチンを大事な子に接種させるのはやはり怖い。もし私自身が罹患していなければ、強く人に勧めたりはできなかったはずだ。

「この間、佳代と会ったよ。顕花に誰か紹介するって息巻いてた。ほっといたら変な男にひっかかるって心配してる」

 私が黙っていると、「あれえ?」と頓狂な声が聞こえた。

「もしかしてもう若いつばめとか見つけちゃった?」

 俄にセジの顔が浮かんでしまい、振り払うように目を瞑る。

「……朋って、古風なとこあるよね。若いつばめなんて、そんなの昔の小説にしか出てこないでしょ」

「顕花だって通じてるじゃん。もしいるなら絶対会わせてよ?」

「私はどこにも行かないから……そんなのはないよ」

「あーあ、絶対顕花が一番最初に結婚するって思ってたのになあ」

「――ほんと、大外れだったね」乾きかける喉をこじ開け、声尻(こわじり)を弾ませてみても、私の言葉はとぼけて聴こえた。

「はやく誰か見つけてくれないと、みんな安心できないんだから。この先さあ、男手欲しくなるよ。ひとりじゃ大変でしょ?」

 二度と恋愛なんてしない。心配してくれているのはわかっていても気持ちがざらつく。一度ドロップアウトした道に戻れるだなんて夢物語だから。友達だからこそ、こんな気持ちのずれが苦しい。

 口数少なくなる私をよそに、朋はさらに饒舌になった。

「ハナビラタケの出汁で茶碗蒸し作ったらすっごい美味しかったよ。前あげたやつ、まだある? お味噌汁ちゃんと作ってる?」

 免疫を高める作用があるらしく、がんに効くと言っていた。粉末は溶けづらかったけれど、キノコときな粉が混ざったような香りと舌触りでまずくはなかった。「ああ、うん……」

「あんまり? うどんの出汁にもなるよ。お味噌汁がいいけど無理だったらお湯に溶かして飲んで。なくなったらまた持ってくから」

「高級品じゃん、悪いからいいよ……」

「なにいってんの? 身体のが大事!」

 ハナビラタケの姿容が、私を撮(うつ)したCT画像に重なって脳裡に浮かんだ。三年前、中労病院の婦人科で内診台に上ったとき、私の子宮頚部はすでに自壊して崩れ、臭気を放っていた。検査結果を待つまでもなく、「がんだと思う」とはっきり告げられた。

 RALS治療を受けるために通った名大病院の医師が言った。

「腔内(なか)見てみる? ぼっかり穴が開いてるんだけど」

 医師は病巣部をコルポスコープで見せてくれた。モニターに現れた映像と、ステンレス皿に取り出された組織片を見たとき、私はそれが、いつか湯船で掬い、排水溝に流した白い塊と同じものだとようやく気づいた。忌憚なく、なんでもはっきりと伝えてくれる医師だったけれど、彼女だけが特別だったわけではなかったのかもしれない。ああいった態度や対応のすべては、私に〝準備〟をさせるための情報提示の内だったのじゃないかと、去年の今頃ふと思った。

『ハナビラタケは、樹皮の傷から木に侵入して金糸を伸ばし、養分を吸い取った挙句、木を腐らせてしまう大変強いパワーを持ったキノコです。葉ボタン状に成長するまで、四年ほどかかります。』

 朋が持ってきた雑誌で見た、山中で自生するハナビラタケは、黒い山肌に浮かびあがる白い珊瑚さながらに咲き広がっていた。白の触手をどこまでも這わしていきそうな堂々たる風情は、そこに添記されていた性質まで含めて、とても恐ろしいものに見えた。

 洗濯物が残っているからと電話を切り、部屋の植物たちを眺めた。水色の服を着た空もそこにいる。ポトス、モンステラ、サボテン――そのどれもが生きた猫にとっては猛毒だけれど、今の空には関係ない。それでもほんの少し、罪悪感が付きまとう。

 失意にくれていた私に、朋たちは根気よく言葉をかけてくれた。

『今日は外歩けた? 外涼しくて、気持ちいいよ!』

 私はどのタイミングで鉄瓶をしまい込んだのだろう。空がいたときはまだ白湯を沸かして飲んでいた。唯々諾々とはいかなかったけれど、背中を押されて夜戸出すると、沈鬱とした私を見て寂しそうにする柴田先生の顔が、雲夜に隠れる薄月の光に重なった。

 鍋も包丁も片づけたままで、出来合いのお弁当も食べる気にはならなかった。ピリカで豆乳とコーヒーを買い、寒々しいカゴを揺らして店内を歩いていると片隅に置かれた赤札の観葉植物を見つけた。もう猫が鉢植えを倒すこともないし、溜まり水を飲む心配もない。それで三百円になっていたアイビーを買ったのが最初だった。

 昨夜、一度床に投げ捨てた水浸しの服は二回に分けて洗った。浴室内の物干し竿一本では乾かす場所も足りず、袖が触れ合い重なり合った衣類は、六時間乾燥をかけてもまだ湿っていた。喉が妙に渇いて顔が火照り、捉えどころのない焦燥感が増していった。いっそすべてホルモン異常のせいだと誰か断じてくれないかと苛立ちながら、浴室乾燥を止めて扉を閉ざし、深夜のソファーに沈んだ。

 洗濯物を両腕に取り込んでリビングの床に落とすと風が起こり、カーテンの裾がふわりと浮いた。空がずっといた場所だ。心の奥深くに閉じ込めていた空の甘える嬉しそうな姿や鳴き声が、固い扉を破って急に押し寄せた。最期に苦しんで嘔吐し、長い痙攣の中で窒息していった記憶の後ろ側から、ほらぼくここにいたよ。と顔をのぞかせた。気を取り直してコーヒーを淹れると、ふっと薬品臭が漂った。昨日までそんなことはなかったはずなのに。気のせいだろうかと思っても、やはり二口目にもはっきりした違和感が残る。

 やめておこうか――。これが仮に毒だとしたら。

 西宮にあった大学の下宿に住んでいた頃、ばあちゃんは、「これ持ってけ」といって、分厚いさらしでできた一枚布のシーツと枕カバーを何枚も私にくれた。縁には緑色の掠れたプリントがしてあって、それがラブホテルの名前だったから、私は面白がって友達に吹聴して回った。ちょっと規格外の、自慢のばあちゃんだった。

「仰山あるで。こんなもん、ちょっとくらい構わんだろう」

 そういう人だった。これ、ええだろう、立派だわ。ええもんだわ。とさらしの表面を何度も擦った。しわがれた手は昆虫の翅音のようにさりさりと音を立てていた。

「働くのが好きだでわしは死ぬまで働きたい。働いとる人が好き」

 口癖のようにそう言って、勤勉に生き、慎ましく暮らすことを信条としていた。病院で認知症の診断を受けたのはずっと先のことだったけれど、ばあちゃんは自分に起こり始めた異変にかなり早い段階で気づいていた。――印鑑がのうなった。知らん人がおる。俊二が金を盗っていく。警察呼んだってちょ。なんで新聞が来んのだ。――ひとりで新しい印鑑を作って銀行の窓口まで出向き、再登録を繰り返していた。行動力も体力もあったけれど、この頃からばあちゃんは鬱になった。そして七十歳になったある春の終わり、一日おきに通っていたホテルへ電話をして、「わし、もう行けんで」と告げて、長く続けていたパートの仕事をそのまま辞めた。

 私は仕事の休みを頻繁にとって、泊まり込むようになった。世間の連休に合わせて前後の数日を会社の年休取得に充て、できるだけまとまった期間を共に過ごせるようにした。一緒に温かいご飯を食べているだけで、ばあちゃんは見違えるように元気になった。それがわかるからこそ、「帰るね」と言い出せない毎日が、〝その日〟を先送りにし、私に心苦しい一日一日を過ごさせた。コエンザイムQ10、卵黄サプリ、マルチビタミン、DHA、スクワラン、脳にいいかもしれないサプリを掌にざらざら山盛りにして、何回にも分けて飲んでもらった。ばあちゃんの嚥下機能はやっぱり衰えていたから、よく喉に詰まらせて吐き出したりもした。私はごめんねと謝りながらも、なんとかサプリを飲ませようと躍起になっていた。

「わあ、こんなにか。仰山だなあ」

 毎度毎度、ばあちゃんはうんざりした顔をしたけれど、拒否したことは一度もなかった。ぜんぶ私の言うがままに飲んでくれた。

「毒だったらどうする?」一度訊いたことがある。笑いながらだ。

 そしたらばあちゃんは、ひと呼吸おいてから言った。「まあ飲むわなあ。そんでそのあと『なんで!?』ってあんたの首を絞めるわ」

 真面目な顔で応えて次のサプリを口に入れ、また咳込んでいた。

 思いもよらない答えに言葉をなくし、私が間の抜けた顔をしていると、ばあちゃんはようやくカカカと笑ってそして言った。

「あんたが死ねというなら、わしは死ぬで」

 あのときに感じた言葉の重みを私は誰にも話していない。この胸の中で今でも溶けずに漂っている。

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