第四章
1 シリカゲルの骨壺
雪が降った。桜吹雪のような粉雪が吹きすさび、三叉路に吸い込まれていく。傘を真横に持つ指先がみるみる赤く染まっていき、感覚が途絶えていく。一番町の交差点にある停留所で、尾頭橋に向かうバスを待つ。七分遅れで到着した車内へ乗り込むと、きれいに間引かれたように空いた座席のひとつが私を誘い、導かれるがままにそこへ座った。疎らな乗車客の持ち物についた赤いヘルプマークが、私たちの目的地が同じことを示している。
予期した通りに私を含む数人が尾頭橋のバス停で降りた。傘を差してしばらく歩き、
坂文種病院は、昭和初期に低所得者の医療救済と社会福祉事業を目指して設立された病院で、昭和二〇年に、一度大空襲で一帯が消失したが再建された。昭和の終わり頃、学校法人に運営が変わり大学病院になったけれど、今でも『奉仕の精神を忘れるな』といった医療従事者向けの壁掛けが掲示され、温かい雰囲気が漂っている。ロータリーで警備をしているガードマンが患者さんの車椅子を押してくれるような、そんな優しい病院だった。
別棟で採血と採尿を終え本棟へ戻る。商業地区の真ん中に位置し、年を追うごとに大きくなって総合病院になったので、郊外にある大学病院とは違って構造が入り組んでいる。
放射線科へ向かう専用エレベーターに乗り、本棟地下に降りる。
「お名前と生年月日をお願いします」
数えきれないほど繰り返したやり取りを受付ですませ、CT造影室前のベンチに座り順番を待つ。リニアック室の前はいつでもキンと耳鳴りがしそうなほど閑かだ。
「こちらを頭にして寝てください。造影剤の準備をしますね」
寝台に寝かされ、右腕に針を刺される。手首のつばめを見咎められるかと思ったが、何も言われなかった。部屋にひとり残されると、装置の駆動音だけがぶおんと耳に届いた。針を刺されたくないな、ヨード入れられるの嫌だな、被爆したくないな……。
そんな憂慮ばかりが次々と湧いては沈んでいく。がん細胞の増殖は速い。異常細胞がある場所はそこで血管新生が起こるから血流が多くなる。造影剤はその場所に集まり、CT画像では白く映る。造影剤なしでも撮影は可能だが、あった方がわかりやすいそうだ。
「ではお薬入れていきます」
看護師が戻ってくると、点滴台に二つ目のバッグがかけられ、ヨード液が管に開放された。五秒もしないうちに右腕の正中にとられたルートに流れ込んでいく。血を抜かれるのも嫌だけれど、血管から薬剤を入れられるのはもっと嫌だ。回数を重ねるごとに激しい心理的抵抗を覚えるようになった。入れられる前から吐き気がする。
「入りましたよー。大丈夫ですか? 体が熱くなるのは正常な反応ですからね、それ以外におかしなことがあったら言ってください」
黙って頷くことしかできない。正常な反応……、体内に入るはずのない物質を受け入れる私の体が起こす反応だ。これが強まるとしゃっくりが出たり、蕁麻疹が出たり全身に痒くが出るといったアレルギー反応が起きる。そうなると、もうヨードを使えなくなるらしい。いっそ、そうなればいいのにと思う。
造影剤が体に入ると、瞬時のうちに全身からお湯が漏れ出るような感覚に襲われる。熱いおねしょをして、その上で寝ている気分が数分続く。腎機能が正常なら一日で薬の成分は尿になり排泄されるというけど、私の腎機能は以前の半分以下になってしまった。ぎりぎり正常の範囲内だけれど下限値だ。そこへさらに毒を呑み込む。
スピーカー越しに技師が指示を伝える。寝台がスライドし、ガントリと呼ばれるドームの中に二回入れられる。『息を吸って、吐いて、吸って。止めてください』と電子音声が鳴り、頭上に秒数をカウントダウンする数字が表示される。撮影は二回。数分で終わる。
「お疲れ様です。ベッドを下げますのでそのままお待ちください」
ガントリから出され、静かに体が降りていく。待ちきれない早く解放されたい、そう願っていると、急に息が詰まりくしゃみが出そうになった。出そうなのに出ない。喉が詰まり、声が出せない。
「大丈夫ですか?」
異変に気づいた看護師が慌てて私の脈をとった。息を吐こうとしても吐けず、ひゅうと音が鳴った。
「過呼吸になりますから、ゆーっくり吐きましょう」
たいして緊張はしてなかったはずだ。ああ被爆してるなと考えながら、車に乗せられて去った彼の後ろ姿をなぜか思い出していた。
「アレルギーかもしれません。これまで造影剤で反応が出たことはありますか?」今更ながらに訊かれるが、うっすら首をベッドに押し付ける程度に揺らすことしかできなかった。
呼吸は戻っても、念のためにとそのまま隣室で寝かされた。
シェルターみたいな部屋だ。寒い……。こんな無機質の塊みたいな部屋で寝ていても体は冷える一方で息が詰まる。外に出たい。
「重篤な副作用が起こると大変なので、もうしばらくこちらで休んでいただけますか? 主治医の先生にはご連絡しておきます」
パルスオキシメーターを付けられ、二時間安静にさせられた。
専用エレベーターで地上階に上がると、ようやく電波を拾ったスマホがメッセージを受信した。セジからだった。ようやくシェルターから抜け出した気持ちになりほっとする。
『おれ、コーヒー豆の土なくしちったかも。(*´Д`)どしよ』
一呼吸おいて、東友でもらった改良土サンプルのことだと思いだす。違う、あれは私が受け取った。レジで会計をしたのは『インドアグリーンの土』だけ。かばんに入れた記憶がないけど、名刺をしまった覚えはあるから、その時に一緒に入れたはずだ。送信時間を見ると朝の七時。もう五時間以上も経っている。遅延したのか、気づいていなかったのか。遅延ならひどい遅延だ。すぐに返せなかった申し訳なさで焦る。落としたと思って探しているかも。返信を打とうとしていると、新たなメールが二通同時に届いた。
『ぶんたねメールサービス 予約番号:197 診察待ちの人数が3人以内になりました。各診療科までお越しください。』
『けんかサン☆まだ寝てる? 鉢植えゲット! いつやる?』
それを見て、私の指は止まってしまった。
「加藤さん、おまたせ! ごめんね、待った?」
診察室に入ると、柴田先生が朗らかに私を迎えた。今日は朝九時から来ている。待つのはいつものことだけれど、先生は必ず労りの言葉をかけてくれる。「大丈夫です。今日はCTもあったから」
「放射線科からさっき連絡あってアレルギー出ちゃったって? あそこ寒かったでしょ、大丈夫? こっち来てくれたら婦人科のベッド空けたのに、ごめんね、聞いたの遅くて」
「念のためにって感じだったので、それほどひどくはなかったです。それより造影剤、次から使えなくなっちゃいますか?」
「そうだね、次からやめておこうか」
いっそ使えなくなればいいのにとさっき願ったばかり。でもいざそうなると開放感と同時に不安も過ぎる。先生はそんな私の気持ちを感じ取ったのか、柔らかい声を出した。
「大丈夫だよ。必要な時は他の方法もあるし。それより顔色戻ってるみたいでよかった」
柴田先生は婦人科の部長で教授だ。病院の副院長でもあるけど、驕ったところのない、文種病院の理念を地で行く先生だった。ちょっとカピバラに似ている、と入院中は噂になった。伸びきったぼさぼさ髪でいつも病棟を走っている。
オペ室から電話で呼ばれて診察を中断することもよくある。
「出血してない?」
「それは全然、大丈夫です」
「CA125が高い。SCCはずっと動いてないから、違う要因だと思うんだけど」ふっと真剣な顔つきに戻る。
「あ、そうなんですね……」
経過観察では腫瘍マーカーを三種類見てくれている。そのうち子宮頸がんに関係するのはSCCだ。CA125は卵巣がんや腹膜炎で上がるマーカーで女性ホルモンの影響も受ける。卵巣機能を失った場合は限りなく下がるのが普通。私のそれは40を超えていた。
「どう? 調子」
「痛いのは変わらないです。右の腸骨の内側から全体が焼き付くように痛いですけど、これはもうしょうがないって諦めてます」
手術の前日、腰の痛みは治ると思うよ、と柴田先生は明るく励ましてくれていた。でも残ってしまったと知ったとき、「そうか、血管障害だと思うんだけどね……」と残念そうに言葉を詰まらせた。前向きで、そしてとても慈愛に満ちた先生だ。
CTの初見がモニターに表示される。
『CCRT後ラディカル』何度も見て覚えてしまった。同時化学放射線療法、広汎子宮全摘出の医学用語。患者を表すラベル。そこに連ねられる文字列。『再発初見はありません』『リンパ嚢胞が複数認められます。変化はありません』『腹水貯留が増加しています』
それをさっと見てから柴田先生がこちらを向いた。いつもしっかり顔を見てくれる。マスクをしていても顔色の変化を見逃さない。
「リンパ浮腫だね。脚とか痛い?」
ずっと、腹水があるねえと先生も言っていたけれど、はっきり『リンパ浮腫』と口にしたのは初めてだった。少しずつ悪化している、ということなのだろうか。「足はまだあんまり。おなかです」
「どのへん?」
視線が私の腹部に向く。精神的な負担も考慮の上でだろうとは思うけれど、柴田先生は内診台での触診を最低限しかしない。でもそれで不安にはなることはない。追加検査が必要だと先生が判断したとき、それは確信めいた疑いがあるときだ。だから柴田先生の表情で私の気持ちは動く。『次、PETを撮ろうか』ともし先生が口にしたらきっとその晩私は眠れなくなる。
「痛みは全体的です……。浮腫がひどいのは恥骨の上から横に……」
リンパ浮腫といえば、脚に出るものだとばかり思っていた。リンパ管から漏れ出た体液を循環して戻すことができず、片側が象の脚のように膨れ上がっていき、やがて波打つまでになる。調べれば写真は山ほど出てくる。進行した浮腫は直視できないほどだ。『浮腫(むく)み』という言葉から受ける印象からあまりにかけ離れている。
漢方も試したしマッサージもしてきた。手術の時にもらった医療用ストッキングもまだ履いている。ホルモン補充として出してもらっているテープも、浮腫みが怖くて貼らないでいた時期もある。入院中にリンパドレナージの指導をしてくれたリハビリ師は、「マッサージに予防効果はないんです。出てしまった浮腫を軽減する目的に行うもので」と言っていた。脚の浮腫みは、お風呂でさすったりストッキングを履いて眠ればわりと引いてくれる。でも足に溜まった体液をお腹まで戻せたところで、その先の行き場がない。
静けさと暗闇が訪れると痛みはヴァンパイアのように目覚め、途端にひりつき、暴れ始める。だから眠りにつくとき、私はずっとお腹に手を置いている。ずっとさすっている。でもそこに溜まった水はどこにもいけず、ゆっくりと増殖していく。
「……嚢胞って、どれくらいあるんですか?」
リンパ管が風船のように異常に膨らんだものがリンパ嚢胞だ。出口を失った体液はどこにもたどり着けない。行き止まりの高速道路、詰まって破裂寸前の下水管みたいなもの。
「うんー」先生はマウスをスクロールしながら、CT画像を胴体の輪切り表示に切り替え、前後に動かしながら答えた。「ここと、ここと……ここもかな、こっちもあるかな。放射線あたってるとどうしてもね……」
ここに転院してくる前、私は放射線治療を二か月やった。外部照射とラルスという放射線源を直接膣に入れる治療もした。それで私の内臓はすっかりぼろぼろになったらしい。
当時、放射線の後遺症を私はそこまで深刻に考えていなかった。体にメスを入れ、病巣の周りを正常な組織ごとごっそり取り除くよりも、放射線でがん細胞だけを叩いて消えてくれるなら、その方が幸運だとも考えた。当時の担当医は、「切除手術でも放射線治療でも、術後の成績は変わらないので」と言った。「もう手術はできない」と淡々と言われて、どうして切れないのか、と躍起になる私に対する回答がそれだった。それで納得するしかなかった。
『放射線が当たってるからね……』
私が症状を訴えるたび、柴田先生は残念そうな顔をする。そんな先生の反応が繰り返されるたび、私は少しずつ自分の状態を正確に把握していった。開腹手術後の回復にも、抗がん剤による副作用からの回復にも、リンパ節を取ったことによる影響も、どれも放射線が当たっているかいないかで随分違うのだということを。
一度放射線を当てていると、同じ場所に再発した場合はもう当てられない。『この条件下で再発すると予後がとても悪い』何を調べてもそう。CCRT後ラディカルの私。再発したら私は死ぬ。客観的なデータがじりじりと迫った。先生が言う「どうしてもね」という言葉はとても優しい。後遺症があっても、命があることがすべてだという医師としての想いが根底にあるだろう。でも優しいからこそ、どうしようもできないのだろうと、日々少しずつ諦めていく。
『リンパ浮腫になったって、ずっとお腹が痛くたって、命があってよかった』心底そう感じられたことが、私にあるだろうか。
診察室を出ると、HPVワクチン接種についてのリーフレットが血圧測定器の横に置かれているのが目に入った。「小学校6年~高校1年の女の子と保護者の方へ大切なお知らせ」ピンク色の表紙に女の子の姿が描かれている。朋と胡桃ちゃんの顔が浮かんだ。
《「がんってたばこでなるんでしょ?」「オトナがなるものだから私は関係ない」と思っていませんか?》
この場所で、これを持ち帰る人がどれくらいいるだろう。その疑問を証明するように、スタンド棚に収められたリーフレットの束は少しも乱れていない。おおよそ内容はわかっているけれど他の患者さんが手にとらない理由はそれじゃない。関心がないのだ。
啓蒙は大切だ。子宮頸がんの予防に関して、日本は世界で最も遅れている先進国のひとつ。公的接種は厚生労働省によるものだからすべて無料だが周りで実際に打ったという人を私は一人も知らない。
産婦人科は、産科と婦人科、光と影の両側面を持つ唯一の診療科だ。妊娠が叶って希望に溢れる女性もいれば、子宮の病で治療を必要とする人たちの両方がいる。入院中、術後に酸素マスクをつけられたまま麻酔の後遺症でげえげえ吐いていた私の隣のベッドにも、同じくえずいて気持ち悪いと泣いている人がいたけれど、彼女はつわりによる嘔吐だった。翌日、酸素ボンベが外れると、私は隣の相部屋にベッドごと移された。そこにいたのは全員ががん患者。隣は妊婦たちの部屋。深夜、産気づいた妊婦のうめき声と、しばらく後に轟く産声に、私たちは何度も耳を塞いだ。
ここにいる人たちの多くは婦人科の病を患っている。がん患者とひと目でわかるニット帽を被っている人もいるし、すでに妊孕性を失った人も多い。気配が違うから妊婦たちはひと目でわかる。彼女たちが元気な女の子を生んだとしてもHPVワクチン接種の対象になるまでには十年以上の猶予がある。十年後には接種方法やその種類も大きく変わっているだろうし、当面は子育てという大変な仕事が待っているから、赤ちゃんがまだおなかにいるときから、その子が将来かかるかもしれない病気に頭を悩ませる人はそういない。
私にもし娘がいたら……、その子が何歳であれ、私はワクチンのことを必死に調べるだろう。朋に渡すタイミングはあるだろうか。リーフレットを一枚手にして会計をすませ、薬局へ向かった。
処方薬はアセトアミノフェンとセレコックス、鎮痛消炎湿布、大建中湯に温経湯、エストラーナテープ。漢方薬の量が多いから十リットルの袋がいっぱいになるけどこれでも随分減った。
「用意しますのでお待ちください」
薬剤師が受付番号票を手渡してくれる。私は設置されているディスペンサーで白湯を紙カップに注いで椅子に座り婦人科でとってきたリーフレットに目を落とした。
HPVワクチンについて知ってください
~あなたに関係のあるがんがあります~
ウイルス感染でおこる子宮けいがん
《 実はウイルスの感染がきっかけでおこる〝がん〟もあります。その1つが子宮けいがんです。HPVの感染が原因と考えられています。このウイルスは、女性の多くが〝一生に一度は感染する〟といわれるウイルスです。感染しても、殆どの人ではウイルスが自然に消えますが、一部の人でがんになってしまうことがあります。》
こんな遠回しで通じるのだろうか。厚生労働省の配布物だ。文章を作った人は一流のはず。子供が読むことを想定している。それはわかる。でもそこにそのものズバリのわかりやすさなんてない。
『セックスするとまずウィルスに感染します。その後がんになるかならないかは体調と運次第です。』
これくらい書けばいい。性教育を学校でやるなら男女ともに教えるべきだ。実際にそういう国はある。セックスには命に係わるリスクがある。女子だけに教えても問題は解決しない。子宮頸がんは、唯一根絶が可能ながん。ワクチンで抑えきれるところは狂犬病予防に似ている。ワクチンは大事だ。でももっと大切なことがある。不特定とセックスしないという倫理教育と合わせるべきではないのか。
一生処女でいれば感染しない。乱暴な言い方だけど話は早い。性行為と子宮頸がんの因果関係がいつまでたっても広まらない。コンドームは避妊のため? 違う。最も恐ろしいのは感染症。でもヒトパピローマウイルスの感染力は性病よりもっと強くて、粘膜が直接触れなくても感染する。ゴムをつけていてもHPVに関しては予防効果がないと知ったときは本当に驚いた。そして絶望した。だから私はもう一生セックスしないと決めた。それしかない。二度と感染しない。二度と人と触れ合わない。怯えと怖れ。とにかく考えないようにした。それがこの先生きるための絶対条件のように思えた。
帰宅して、台所の上の戸棚からクリアファイルを取り出し、診療明細書と生化学検査票を入れる。尿には潜血+。これはもうずっとだ。膀胱炎、排尿障害、頻尿、排尿痛。当たり前のように残ってしまった。血液検査の白血球、リンパ球数を示す数字の並びには、基準値を下回る「L」の文字がずらりと並んでいる。
上段にあった鉄瓶が目に入り、勢いで取り出して蓋を外す。内底に触れると、指先に茶色い粉がついた。やっぱり錆びていたけどほんの少しだ。何度かお湯を沸かせば戻るかもしれない。流水で濯いでから水を溜め火にかける。コンロの前にしゃがみこみ、鉄瓶の底を炙る炎を眺めた。手首のつばめが、いつの間にか半分掠れて消えかかっている。指で擦るとぼろりと黒いカスが出た。あんなにきれいに付いていたのが嘘みたいだ。剥がれかけたマニキュアを爪で削り取るよりずっと簡単だった。お風呂の中で土踏まずの垢を擦るのと同じに、何度か擦れば跡形もなくなった。
去年の末、先生は「そろそろ三か月に一回にしようか」と言っていたけれど、今日予約した次の診察日は二か月後だった。SCCの検査結果は当日出ない。診察室を出るとき、先生は「また気にして見ておくね」と私を見送った。私はそういう患者なのだ。
入院中、同じ病室で生存を誓いあった真由美さんは去年の八月に亡くなった。私がそれを知ったのは今年の一月。柴田先生に真由美さんの所に行ってきましたと伝えたら、先生はありがとうと言った。死は隣合わせなんかじゃない。いつでも私の真ん中にいる。
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