第47話

「日焼け止めクリームを買ったのは私なので、当然塗るのは私です!」

「ダメ! 下心丸出しの汐ノ宮に小深の背中は任せられない」

「それは清水さんの事では? 小深の水着を見て鼻の下を伸ばしていた事、知ってるんですよ?」

「なぁッ!? そ、それは汐ノ宮も同じ!」

「いいえ、私は小深の下着姿を見た事があるので水着程度で動じるような柔い心は持ち合わせていませんので」

「し、下着……小深の……」


 泣きそうな顔の清水が私に視線を送ってくる。

 一体何の会話をしているのやら。面倒なので無視を決め込むのも考えたけれど、それはそれで後々面倒な事になると理解しているので訂正だけはしておく。


「それって体育の着替えとかでしょ? 誤解を招く言い方禁止ね」

「ッ! 嘘つき!」

「嘘? よく分かりませんが、清水さんが邪な心を持っているから下着というワードで変な妄想をしてしまうのでは?」

「……汐ノ宮千早、やっぱりあなたの事、嫌い」

「ふふっ、奇遇ですね。一時の協力者というだけで私も清水さんとは仲良くなれないと思っていたんです」


 二人の間にバチバチと火花が散る。

 この前は仲良くなったと思ったけど、どうやら私の思いすごしだったみたいだ。


「ねぇ、あれ止めないでいいの?」

「いいんじゃない? 争いの種が私みたいだし、止に行ったら絶対面倒な事になるでしょ」

「モテる女はツラいね〜」

「いや、あれはマウント取り合ってるんじゃない?」


 小塩は楽しそうに二人の言い争いを観戦し、唯華は呆れたようにため息をついた。

 渦中の二人が何をしているのかと言うと、私に日焼け止めクリームを塗るのはどちらかという話で揉めているらしい。

 正直どっちでもいいんだけど、当人達からすると海で遊ぶ時間を削ってまでしなければいけない問答らしかった。


「なんか長くなりそうだし、唯華が塗ってくれる?」

「あたしでいいの?」

「何で? むしろ唯華の方が安心できるけど」


 あの二人に無防備な背中を預けるのは少しばかり抵抗があるし、唯華なら変な事はしてこないだろう。

 言葉にしてから、その点においては唯華に信頼を置いていたんだなぁと気付く事になる。


「まぁそこまで言うなら、あたしに任せなさい!」

「あざまーす」


 二人がやいのやいのと騒いでる間に、日焼け止めクリームを塗ってもらう。

 日焼けなんてした日には、お風呂に入れなくなるので入念にしっかりと。

 これくらいしても刺すような紫外線を全て防げる訳ではないのだけれど、幾分かお肌にも気持ち的にも誤魔化しが効く。

 唯華に感謝の言葉を伝え、取っ組み合いになる前に喧嘩の種はもうなくなった事を二人へ告げた。


「なっ!? 唯華さん、それは会法に抵触するのではありませんか!?」

「やっぱり寺本唯華も敵……」

「いや、あたしは純粋に友達として塗っただけで二人みたいに下心なんてないんだけど……」

「「下心なんてない!」」


 二人が仲良くハモった所で、唯華を責めるのはお門違いだと、眉根を潜めて二人を交互に見比べる。


「はぁ、海を楽しもうって決めたのにこれ以上喧嘩を続けるなら、二人とは別行動するからね!」


 そう言うと、首根っこを掴まれた猫のように二人は大人しくなる。

 普段からこれくらい強めに言った方がいいのかな。なんて思ったりするけれど、私の性格だと相手に強く言う事すら面倒で疲れてしまう。

 そんな面倒な事を二人は延々と続けていたんだから、よっぽど日焼け止めクリームを塗りたかったんだろう。


「罰として、お互いに日焼け止めクリームを塗る事。塗り終わったら合流ね」

「そんなっ!? 私は小深に頼もうと……!」

「わ、わたしも……」

「塗り終わったら、合流、ね?」


 有無を言わさないという意思が伝わったのか、渋々二人が頷いたのを確認し、小塩と唯華を引き連れて浜辺を散歩する。

 濡れてメイクが落ちたら嫌だから海に入る気はしないものの、ひんやりとした海に足をつけるのは気持ちが良いものだった。


「これはこれで悪くないね」

「お〜小深ちゃん楽しんでるね〜! もっと腰まで浸かるところ行こうよ。せっかくの水着が泣いてるよ〜」

「メイク道具持ってきてないから、スッピンで帰るのもなぁ」


 メイクが落ちたとしても、見る相手は友達に限られているし、元の顔が良いからメイクの有無で然程の変化は実の所あまりない。要は意識と気分の問題なのだ。


「あっ、あたしもポーチ忘れたかも……」


 隣から唯華の悲壮な声が聞こえた気がしたけど、確定ではなさそうなので今は聞かなかった事にしよう。


「そう言えば、この水着って誰がお金出したの? 結構高かったよねこれ?」


 海に連れてこられて水着がないからと言うと、当たり前のように手渡されたこの水着は間違いなく、私が見繕った水着で間違いなかった。

 購入したのは恐らく清水で間違いないだろうけど、そのお金がどこから流れてきているかが疑問だった。


「あれじゃないの? ファンクラブの会費」

「うちはよく分かんないな〜汐ちゃんと清水ちゃんで色々計画してたみたいだけど」

「ふーむ。不健全なお金の流れがあるように感じる」


 ファンクラブのお金も合法とは聞いているけど、かなりグレー寄りな気がするし、お金の事を曖昧にしておくと間違いなく面倒な事になるのは世の常だ。

 水着も安くはないし、あとでそれもなく確認だけはしておくか……。

 ――それはそれとして、浜辺を歩いているだけなのに何故か視線を集めている気がする。


「ねぇ……」

「わ、分かってるわよ」


 唯華に耳打ちすると、どうやら状況を理解出来ているようで安心する。

 小塩はというと話題に興味がなくなったのか、鼻歌交じりにバシャバシャと水を蹴って遊んでいるので気付いている様子はなかった。

 最初はそんな小塩が注目を浴びているのかとも思ったのだけれど、視線を一手に引き受けているのはどうやら私のようだった。


「モテる女はツライわね」

「小塩みたいな事言わないでよ……」

「確かに小深程の美貌じゃ、男も女もひっかえとっかえし放題よね。あたしだって可愛い側の住人なのにおかしいわ……」


 確かに唯華は可愛いとは思うけれど、大衆受けしない理由はゆらゆらと揺れているそのツインテにあるのではないだろうか。

 まぁ本人が気に入っているので野暮な事は言わないけれど。

 そうして視線に気付かない振りをしながら歩いていると、こちらにやってくる一人の少女の姿があった。


「あの、お姉さんすごく美人ですね! 良かったら私達と遊んでくれませんか?」


 見た目は中学生のような子で、ナンパをしてきた彼女の背後にはそれを見守るような形で五人の少女達がこちらを見ていた。

 ふむ、清水が男女関係ないと言っていたけど、清水の色眼鏡ではなかった訳だ。


「あはは、声を掛けてくれたのは嬉しいけど今日は友達と遊びたいからごめんねー」

「あっ、そうですか……すみませんでした……」


 愛想笑いを浮かべてやんわりお断りすると、少女は肩を落としながらも引き下がってくれた。


「あんた、ナンパの断り方も手馴れてるわね……」

「まぁね。告白よりもナンパされてる数の方が多いし」

「あたしはナンパなんてされた事ないからその感覚分かんないわ」

「面倒な人だと断ってもずっとついてくるからね」

「うへぇ……美人だと大変ね。ストーカーとかには気を付けなさいよ」


 ストーカーと言われて、思わず顔が引き攣る。

 グループ内に二人ほど近しい人がいるんですよ、とは口が裂けても言えなかった。


「お待たせしました!」


 そんな話をしていると、該当人物達が遅れてやってくる。

 千早と清水が合流した事で、更に観衆の視線を集めてしまっている気がする。


「わぁ〜ここだけ異様に顔面偏差値が高いね〜! 眼福眼福」


 二人が合流したタイミングで、いつの間にか戻ってきていた小塩が冗談っぽく拝んでいる。


「小塩のせいでその偏差値が少し下がってるけどね」

「唯華ちゃんひど〜い!」


 そんな通常運転の二人の行動を他所に、それを流すように千早が提案する。「少し遅くなりましたが、そろそろお昼にしませんか?」と私を一瞥して。

 まるで私のせいで遅くなったと言いたげな口振りに、いい性格してるよなと、幼馴染から私に向けられた悪心を軽くいなしておく。


「私も賛成。騙されて連れてこられたんだから奢ってくれるよね?」

「も、もちろん! お金はあるから!」

「いやいや、清水に言ったんじゃないからね。あと自分で稼いだお金なんだから、自分の為に使うように」


 千早に向けた軽口を清水が真に受けてしまったついでに、軽く注意をしておく。

 こうして言っておかないと清水は汗水垂らして稼いだお金を私に注ぎ込んでしまうだろうから。

 というか、この水着も清水がお金を出しているのではないかと思うと、彼女からの重めの思いに纏った水着が重くなった気さえした。

 清水は貢ぎ癖の傾向にあるので、ホストやキャバクラなんかには絶対行かせられないな。でも行ってそうなイメージが全然湧かないや。

 そうして、潮風を隠し味に、カフェ風の海の家でレトルトっぽい味の昼食を済ませ、ビーチパラソルの場所へと戻ってきた。


「それで、今から何するの? 私、あんまり海での遊び方知らないんだけど」


 首謀者筆頭である汐ノ宮に今後の予定を尋ねてみる。

 浜辺の散歩は満喫したし、あの後に何度かナンパみたいな事もされたので、あまり動きたくはなかった。

 海らしい事といえば後は砂遊びくらいしかインドア派な私の頭には浮かばず、早々に案出しを諦めた。


「現役女子高生が海の遊び方知らないってヤバくない?」

「小深ちゃんらしいけどね〜」

「ふふっ、昔からこうなんですよ。では浮き輪を持ってきているので無難に浮いて遊ぶか、水泳、もしくは水の掛け合いはどうですか?」


 それとなく三人から馬鹿にされたような気がするけど、私自身その自覚が少なからずあるので何も言い返せなかった。


「だ、大丈夫! わたしも分からないから!」


 何故か清水に慰められたけど、この場では清水と同レベルの世間知らずと思われているようで、外面を取り繕う為にはもう少し知識を持たなければなと僅かながらの反省をする。


「あはは、ありがと。でも私は海で泳ぎたくないから浜辺で出来そうな遊びはないの?」

「あー、あたしも出来ればそっちの方がいいかも」

「わたしも小深がやりたい遊びが、いい」


 化粧品がない組と私大好き人間とで徒党を組む。

 客観的に見れば我儘な発言と捉えられても仕方がないが、五人中三人が意義を唱えるならそれは民意へと昇華される。


「では、砂浜で遊ぶならビーチボールや砂遊び……あとはSNS用の写真を撮るとかでしょうか?」

「映える写真はアリかも! 快晴だしせっかく海に来たなら写真は撮らないと損よね」

「え〜、せっかくの海なら泳ぐべきだよ〜! 人間は母なる海に還るべきなんだよ〜」


 賛成一に反対一。千早はどちらでも良いらしく残りの投票を静かに待っている。

 清水はと言うと、確認するまでもなくやはり私の判断を待っていた。

 あんまり物事が左右される決定権を持ちたくはないんだけどなぁ。でもそうなると案を出さなければいけない。

 うーんうーんと珍しく考え込み、私が捻り出した案は最良とは言わずとも最適だと自負するものだった。


「各自自由行動、なんていうのはどうかな?」


 泳ぎたい人は泳いで良し! 砂で遊びたい人は砂で遊んで良し! 私は避暑の為に日陰でボーッとしたいしで、全員の要望を採用する素敵な案だと信じて疑わなかった。

 しかし、そう思っていたのは私だけのようで、清水を除いた三人が顔を見合わせて何かを示し合わる合図を送りあっていた。

 これは……雲行きが怪しいな……。


「あー、今のは冗談で……ってま、待って! なになになに!?」


 逃げようと後退すると、素早く背後に回り込んだ千早に羽交い締めされ、次の瞬間には小塩と唯華に、軽々と両足を持ち上げられ抵抗虚しく捕縛されてしまう。

 なんとも手際の良い連携だと感慨に浸る暇もなく、三人の足は迷うことなく海へと向かっていた。

 それはこれから私に何が起こるか想像に難くなく、既に海へと入り始めた三人を見て、唯一の味方である清水へ決死の助けを求めた。


「清水! 助けっ――」


 しかし、そう言い終わる前に助走をつけるように体が大きく揺れ、千早の合図と共に、私は宙を舞った。

 ザバーン。ぶくぶく。

 放り投げられた場所は浅くも深くもなく、恋焦がれた地面に足をつけて、一気に浮上する。


「ぷはっ! あーー、もう最悪っ……」


 海水まみれになった髪をふるふると振るい、メイクの心配をする必要もないくらいには文字通りビシャビシャになっていた。口元を舐めると、塩っぱさにうへーと情けない声が出る。


「ふふふっ、水も滴る好い女、ですね」

「あははははッ、小深、幽霊みたいっ!」

「笑ってる場合じゃないよ〜、次は唯華ちゃんの番だから」

「へっ――わっ!?」


 小塩の膝カックンが見事に決まり、顔面から入水する唯華の姿に、思わず私まで笑ってしまう。


「最悪ッ! はぁ、やっぱり悪い事するとバチが当たるのね……」

「二人とも、これで憂いなく海で遊べるね〜」

「一番の策士は小塩だったみたいだね。でもまぁ、これで諦めはついたかな」


 海に浸かった事で、夏の暑さによって茹だっていた頭が冷やされ、妙に気分が良かった。

 この後、髪がギシギシになったり、肌がベタベタになる事を考えれば憂鬱だけど、それはその時まで棚上げしておけばいい。そう割り切った。

 とりあえず私が今からする事は、少し離れた場所で傍観者になっている清水を捕まえる事。今はそれで頭がいっぱいになっていた。

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