第46話
八月初旬、燦々と輝く太陽の陽射しは、暫く家に籠っていた私の肌を容赦なく焼き上げようとする。
鼻をくすぐる潮風は、山に囲まれた街に住んでいる人間にとっては嗅ぎなれないもので、思わず眉を顰めた。
きっと海に来る気持ちを事前に作っていれば、この磯臭さも海の楽しみの一つとして消化出来ていたのかもしれない。
そんな事を思いながら、ビーチパラソルの下で私は気怠げな目で海を眺めていた。
帰ろうにも、私の服はロッカーに預けられていて、その鍵はレジャーシートの上へ無造作に置かれた四つの鞄のどれかに入っている。
体面を気にしないで良いのなら、一つずつ鞄を暴いていくのだけど、こうして置かれているという事は少なからず私がそんな事をしない人間だと言われている様に感じてしまい、もどかしくなる。
しかしながら、洋服を奪うような友人達に気を使う必要があるのかは些か議論の余地がある。
膝を抱えてじっと座っていても、砂浜からの照り返しでじわじわと玉の汗が生成される。
夏は嫌い。汗をかくから。
日焼け止めも当然持ってきていない。何故なら海に来ることを知らされていなかったのだ。
茹だるような夏の暑さに打ちのめされていると、背後から砂を踏みしめてこちらへ向かってくる足音に振り向くと、そこにはいつの日か私がオススメした黒の水着を纏った清水が申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「やぁ首謀者Aさん、夏を満喫してそうな格好ですなぁ。おへそも丸見えだ」
「うぅ……」
意地悪をすると、清水は恥ずかしそうに屈んでおへそを隠してしまう。
「前かがみになったら胸が見えるから気を付けないと」
「へぁっ!? み、見ちゃダメ……」
「そう言われても、ここは海なんだから水着を見ちゃいけないなんてルールは無理があるんじゃない?」
「それは……そう」
呆気なく清水が認めてしまったので、遠慮なく無遠慮な視線を送ることにした。
フリルがあしらわれた胸元は、膨らみが控えめであるものの、彼女の白い肌が黒い水着で強調されていてコントラストが素晴らしいと感じる。
「うん、やっぱり似合ってるね」
「か、感想言わないで……」
視線の先に気付いたのか胸元まで隠されてしまう。
セクハラが過ぎたかなと、私が視線を外すと意趣返しをするかのように、今度は夏の暑さで真っ赤な顔を携えた清水が正面に立った。
「こ、今度はわたしが、小深の水着を見る番……!」
「いやいや、見る順番なんてないから」
友達と水着を軽く見せ合う分には、わいわいとした雰囲気を感じるだろうけど、獲物を狩る獣のような目を向ける清水からは決して和気あいあいとした空気は感じられなかった。
「小深の水着、露出は多いけど品を感じる……その腰のひらひらも可愛い……というか、小深は何を着ても、似合ってて綺麗。綺麗だけど、他の人が小深の水着姿を見るのは何だか、嫌だ……」
水着の評論はあっという間に私への賛辞へと変わり、遂には清水の独占欲が顔を出してしまっていた。
「嫌って言っても、今日は女性しかいないから大丈夫じゃない?」
そんな特殊な海水浴場があるなんて事は当然なく、今日は女性専用の日としてビーチが解放されているとだけ聞いている。
これならナンパされる事もないとの配慮だろうけど、その配慮が出来るなら事前に海に来ると教えてほしかったものだ。
まぁ、事前に聞いていたら絶対に来なかったので今回の首謀者Bである汐ノ宮千早の策略に見事にハマってしまったものだ。
「……じょ、女性でもダメ。小深は魅力的だから男女問わず危ない……」
「いやいや、気にしすぎだって」
「そんな事ない。わ、わたしだってちょっとクラクラ、してる」
それは夏の暑さにでは? 熱中症になっていないか少し心配になる。
清水のおでこへ手を伸ばそうと立ち上がると、背後に刺客がいると清水の目線で、そして一瞬遅れて背中に押し付けられた胸の触感によって知る事になる。
「小深ちゃ〜ん、ご機嫌いかがかな〜?」
「出たな首謀者Cめ、あと悪びれもなく抱き着いてこないで」
胸元に回された手を雑に払うと、「や〜ん」と楽しそうに小塩が笑って数歩下がる。
フレアトップの水着でも、大きなそれを隠しきれていないみたいで、同じ女性でも少し目がいってしまう。
小塩の背後を覗くと、その後ろから二人組が悪びれもなくやって来た。
「まぁ、まだ拗ねているんですか? ここまで来たのなら諦めて一緒に海を楽しみませんか?」
「あたしが言っていいのか分かんないけど、小塩も汐ノ宮もちょっとは反省した空気感を出せないの?」
「首謀者が全員揃ったね」
軽く嫌味を言うと、千早は笑って誤魔化すように流し、目を細めて品定めするように私を見た。
「やはり素敵な水着ですね」
「それはどうも」
お腹や肩を出している私と違い、千早の水着は胸元から肩までフリルで飾られていて、お腹もしっかり隠されていた。
「ふふっ、では私の水着はいかがでしょう?」
わざとらしく一回転くるりと回ると、背中が大胆に露出している。防御力が高いのか低いのか判断しかねるが、スタイルの良い千早には似合っている水着だと感じる。
「ぼちぼちかな」
「まぁ酷い、唯華さんもそうは思いませんか?」
およよ、と唯華の背後に回るものの、身長差があるせいで隠れきれていなかった。
一番大きな障害物が背後に回った事で、唯華と視線が合う。
エスニック柄の可愛らしいハイネックビキニに薄手のパーカーが自慢のツインテによく似合っていた。
「悪いとは思ってるわよ。でも、こうでもしないと小深と一緒に海に行けないし、あたしも悪ノリしちゃった……」
「ほらほら〜唯華ちゃんがこう言ってるんだし、小深ちゃんも機嫌直してくれると嬉しいな〜」
「あんたは少しくらい反省しなさいよね!」
まるで夫婦漫才みたいないつも通りの光景を見せられて、何だか毒気を抜かれてしまう。
「はぁ、神戸でクリームソーダ巡りするつもりが海に連れてこられるなんて思わなかったな。まさか全員グルなんてね」
更に言うと、清水と千早が裏で手を組んでいた事にも気付かなかった。
二人が尾行してきた時に、気付くべきだったと己の呑気さを少しばかり恨んでしまう。
すると、背後に立っていた清水が、水着の紐をくいくいと引っ張るので、何かと振り返る。
「小深は、海、嫌だった……?」
「海というよりは暑さが嫌かな。あと水着の紐は引っ張らないでね。本当に」
ダミーの紐だから解けても支障はないけれど、パレオの紐を解かれるのは少し面倒くさいので釘を指しておく。
「……はぁ、それにしても水着まで用意してるなんて用意周到だよね。選んだのは私だけど、買ったのは清水ってとこかな。つまりは夏休み前からこの計画が立てられてたって事だよね」
「ご名答! ちなみに小深が終業式に黙って帰ってしまったので四人で仲良く計画したんですよ」
「はっはっは〜、まさか清水ちゃんと我々が組んでいるとは予想できなかったであろ〜?」
小塩の言う通り、夏休み前では清水と三人はあまり良い雰囲気ではなかったと記憶している。だからこそ清水と千早が二人いた違和感に気付かなかった部分もあったりする。
「それはまぁ……」
「もし小深が私達と一緒に帰っていれば防げた事態です。油断した小深にも責任があると思いませんか?」
「そうだそうだ〜」
あまりにもノリノリな二人に若干の苛立ちを覚えるものの、それよりも私は静かに佇んでいる唯華が気になって仕方がなかった。
この中で一番常識人でもある彼女の事だから、私を騙して海に連れて来た事に思うところがあるのだろう。
それに、唯華の家庭環境を考えるとこれ以上無下にするのも何だか申し訳なく感じてしまい。
「あーもう、分かったよ。遊べばいいんでしょ遊べば!」
降参だー! と両の手を上げ、私は仕組まれた海を満喫する方向へと舵を切る事にした。
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