第32話

「コバンザメって、わたしみたい……」


 コバンザメの紹介文に目にして、そんな言葉が口を衝いて出ていた。

 雄大に泳ぐジンベエザメにくっついて、外敵から身を守り、自分の力を使わずに安全に移動する。

 それに対してジンベエザメは、コバンザメから与えられる恩恵は一つもなく、片利共生の関係が出来上がっている。

 それはまるで、小深へ一方的に行為を寄せて、一喜一憂しているわたし自身みたいだと感じてしまったからだ。


「自称コバンザメは珍しいなぁ」


 わたしの言葉を隣で聞いていた小深は、興味深そうにコバンザメを見詰めていた。

 水槽を覗く小深の横顔は、薄暗い中でも人知れず輝きを放っていて、その芸術品の様な美しさに見惚れてしまう。

 コバンザメと人魚姫、あまりに身分が違いすぎる。


「やっぱり、変だよね……」


 そんな事を思った事で、つい自虐的にそう返してしまった。


「私はコバンザメを羨ましいと思うけどな」

「えっ、どうして?」

「だって、弱肉強食の世界で相手に迷惑をかけずに楽して生きる力を見出した魚でしょ。そんな生存戦略が叶うなら、私だってコバンザメになりたいからね」

「すごい、発想……」


 ポジティブな小深はコバンザメを褒めていた。

 一方的に利益を得る事を否とせず、害がないなら片利共生ですら羨ましいと言ってしまう小深の真っ直ぐな精神性に、わたしは感嘆してしまう。


「まぁ悲しい事に、人の世界ではそんな関係成り立たないんだけどね。片方が得するだけの関係を素直に受け入れられる人なんてこの世に何人いるか……」


 本当に残念そうに小深はそう語るけど、その何人かにわたしは立候補していいのだろうか。

 小深がコバンザメになりたいと言うのなら、わたしは小深を守るジンベエザメになりたい。

 挙手するべきか考えてあぐねている内に、小深は次のコーナーへと進んでいた。


「清水、みてみて。マンボウだよ」

「初めて見た……」


 駆け寄ると、その大きさと海の中で遭遇すると普通に怖そうな外見の魚が私達の方へ、ゆっくりと泳いできている。


「知ってた? 本当か知らないけど、マンボウってストレスにすごく弱いらしくて、衝突しただけで死んじゃうんだって」


 小深がまた、雑学を披露してくれる。

 水槽に網を張り巡らせているのは、そんな悲劇を防止する為なのかもしれない。


「それなら、わたしでも勝てそう……!」

「魚にマウント取る人なんているんだ……」


 強さのアピールポイントのつもりだったのに、鼻で笑われてしまった。

 こうして同じ魚を見ているのに、わたしは美味しそうだとか、姿かたちから強さを判断したりと簡素な感想しか出てこない。

 比べて、小深の感想は語彙が豊富な気がする。魚の雑学だったり、わたしでは思いも至らない言葉がスラスラと出てくる。

 そんな小深を凄いなぁって思う気持ちと、知識を与えてもらうだけで、彼女に釣り合っていないと思ってしまう自分がいる。

 せっかくのデートなのに、水族館に入ってからは、どうしてこんなにもわたしの心は不安定なんだろうか。


「次のエリアが、実は一番好きだったりするんだよね」


 気が付けば、いつの間にか次のエリアに移動するエスカレーターに乗っていた。

 長く下った先は真っ暗で、天井には星のように飾り付けた明かりだけが、心とも無く輝いていた。


「ちょっと宇宙っぽいよね」

「宇宙、行ったことない」

「それは私もだけど、クラゲってなんか宇宙人って感じしない?」

「……うん」


 宇宙人を見た事がないから分からない。けれど、その言葉は教本を見なくとも間違っているのだと頭では理解していた。

 共感の出来ない肯定の言葉は、暗闇に呑まれてしまう。

 下った先には、海月銀河と書かれたエリアで、四方八方に多種多様なクラゲが展示されていた。

 ふわふわと流れに任せ漂い、無害そうに見えて触手に毒を持ったクラゲは、なんとなく誰かの存在を重ねそうになる。


「私、ミズクラゲって可愛くて好きなんだよね。四つ葉のクローバーみたいな模様もポイント高い」 「……うん、わたしも可愛いと、思う」


 素直に感じたミズクラゲへの言葉に、小深はニヒヒと笑った。


「やっと清水の口から好感的な言葉を聞けた気がする」

「えっ、そうかな……?」

「そうだよ。真顔で水槽を眺めてたり、興味あるのかなって思ったら美味しそうとか言っちゃうし、楽しめてるのかなってちょっと不安だったんだよ」


 まさか小深がそんな事を思っていたなんて露知らず、慌てて手を振って強く否定する。


「違っ、小深と一緒に来れて楽しんでる! ただ、小深と違って、わたしの感じ方がちょっと変な、だけで……」


 変。自分で口にしたその言葉は、わたしを惨めにさせる。

 私は言うまでもなく人と違って変だと言う自覚がある。だからわたしの事を誰も知らない大阪の田舎の街に引っ越してきた。

 直したくても直せない、わたしの悪癖は気付いた時には、周囲に人を寄せつけなくなってしまうから。


「変ねぇ、まぁ否定はしないかな」

「うっ……」


 自覚があるだけに、肯定されるとぎゅっと心臓を鷲掴みされた様な痛みが胸に走る。

 涙が出るのを必死に堪えていると、水槽を見詰めたまま小深の手が、わたしの手に触れる。


「でもさ――」


 一呼吸置き、わたしを見る小深は晴れやかに笑っていた。


「清水みたいな人がいた方が、新しい発見があったりして楽しいと思うけどな」

「ッ……!!」


 やっぱりすごい。小深の言葉一つでわたしの心は晴れたり曇ったりしてしまう。

 心の不安定なわたしは、この先も嫉妬したり不安になったり暗い感情が心に根を張るだろう。

 でも、小深がいれば大丈夫なのだと信じていられる。

 だって小深は、わたしの光なのだから。

 静かに繋がれた手の温かさに勇気をもらい、わたしは一歩、小深の心へ、踏み込んでみる。


「……前に、ここに来た事があるみたいだけど、誰と来たの?」


 見上げた小深は、嫌な顔をする訳でもなく、少し気恥ずかしそうな表情を浮かべていた。


「あー、実は昔、お姉ちゃんに連れられてね。姉妹で海遊館って今考えると、ちょっと恥ずかしいよね」

「そ、そんな事ない……! 仲が良いのは、いい事!」

「はは、ありがとう」


 そしてわたし達は、光指す出口へと向かう。

 誰かの存在が、小深のお姉さんだと分かった事で、独り静かに胸を撫で下ろす。

 家族、それはわたしにはまだ分からない繋がりだけど、もし夢を見る事を許されるのなら、わたしは小深と家族になってみたい。

 恋人にもなれず、親友を目指すわたしからすれば、果てしなく遠い道のりに不安になりそうだけど、一先ずは小深の温もりを感じるこの手が、そんな不安を打ち消してくれるのだった。

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