第31話
「うわー、めっちゃ並んでる。夏休みパワーすごいなぁ」
わたし達は、今回のデートのメインである海遊館に来ていた。
水族館に来た思い出はないけど、大阪デートスポット特集に必ずと言っていい程に名前の挙がっていた施設だから間違いない……筈!
大人気スポットと言うだけあり、こんな真夏日にも関わらず家族連れ、カップルの行列が奥まで続いている。
もしかして、わたし達もカップルに見られてるのかな……。
小深もそう感じてくれていたらいいな。隣の彼女を見上げる。
身長差が縮まったおかげで、いつもより小深の顔がよく見える。切れ長の目、血色の良い柔らかそうな唇、珍しく髪を纏めているから首筋が大胆に露出していてドキっとする。
厚底サンダルは文明の利器だ……!
「ん、どうしたの?」
「ううん、見てた、だけ」
「そう?」
どうやら、小深は特に何も感じていなさそう。少し悲しくなるけど、気合を入れてお洒落をした甲斐があった事を思い浮かべる。
このワンピースは加賀田さんに用意してもらった物だけど、小深からは可愛いとお褒めの言葉をいただけた。
私服は全てこれにしたい気持ちで一杯になる。
「うげぇ、待ち時間二時間だって……」
チケット販売所に表示された待ち時間を見た小深は、露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
わたしは、二時間でも三時間でも小深といれるなら待ち時間なんて気にしない。
だけど、今回はちゃんと対策をしておいた。小深は面倒くさがりだから、きっと並ぶのは嫌だと言うに違いないと思っていたから。
「予定立ててもらったのに悪いけど、二時間も並ぶのは……」
「大丈夫、着いて来て」
長蛇の列を横目に、繋いだ小深の手を引きゲートに向かう。
事前に予約しておいた電子チケットのコードをかざし、入場を済ませると、背後から声が上がる。
「おー、なんか手慣れてるね」
「えへへ」
小深に褒められて嬉しくなる。デートスポット特集に書いてあった通りに予約していて本当に良かった。
別れる原因になる理由の一つに、長い待ち時間で会話が弾まないからと書かれていて、会話に自信のないわたしは悪戦苦闘しながら電子チケットを取った事を昨日の事のように思い出す。
「そうだ、チケット代いくらだっけ?」
小深が財布を取り出そうとしたので、慌ててそれを止める。
デート相手にお金を払わせるのは、ご法度だと書かれていたからだ。
「だ、大丈夫。ここはわたしが出すよ」
「えっ、いやいや、海遊館って確か高かったでしょ? お昼も奢ってもらったし流石に出すよ」
「だ、ダメ! 絶対……!」
財布を取り出そうとする小深の手をグイグイと押し戻す。デートなんだからカッコイイ所を見てもらわないと……!
「えぇ……んーー、後でいっか」
ゲートから同じように予約した人達が続々と入場している中、立ち止まってる事に同調圧力を感じたのか小深は財布をしまって歩き出す。
「小深、ジンベエザメいるよ」
「懐かしー、一緒に写真撮る?」
「撮る……!」
「じゃあ、ジンベエザメの前に立ってくれる?」
手を離す必要があるのか分からなかったけど、小深に促されるまま、わたしは入口前に設置されたジンベエザメの模型の隣に立った。
「清水、ジンベエザメの口の中に頭入れてみて!」
「えっ、口? えと、こうかな?」
指示内容に疑問を持ちながら、言われた通りに少し屈んで口の中に頭を入れてみる。
「あははっ、小さいから本当に食べられてるみたい」
そんな小深の笑い声が聞こえシャッター音が鳴る。振り返ると、どうやら一緒にとはジンベエザメとと言う意味だったらしく、小深がスマホのカメラをわたしに向けていた。
「もぅ……」
不満の声を出してみるものの、小さな声は騒音に掻き消されてしまう。
それでも、小深の笑った顔が見れたからそんな事もどうでも良くなってしまうのは、やはり愛故になのだろうか。
建物に入ると、海の中を模した水中ドームが見えてくる。
正直、わぁ海の中みたい! と周囲の人達の様に純粋に喜べる程、クオリティが高いとは感じられなかった。
「おー、やっぱすごいね」
「うん、すごい!」
わたしはなんて単純なんだろう。小深が良いと言えば、全て良く見える魔法に掛かっているのかもしれない。
小深が白を黒と言えば黒く見える可能性だってあると思うと、少し自分が怖くなる。
「ほら見て、エイが泳いでる。エイの裏側って扇情的だよね」
「扇情……的?」
小深が指差す先のエイを見詰めても、そうとは思えなかった。
何でもは言い過ぎだったのかもしれないと、胸を撫で下ろした。
「ね、人少ないし写真撮ってよ」
ドームの中央で、体をくねらせてポーズを取った小深へスマホを向ける。
「出来たら下からの角度で!」
「こうかな……」
写真なんて殆ど撮った事がない。小深の言う通りにしゃがんでシャッターを切ると、なんだか少し良い感じに撮れた気がする。
勿論、わたしの腕が良いとかの話ではなく、被写体が良いからだ。
「写真上手いじゃん。ちゃんと映えてる」
「ばえ……?」
小深はエイに向けた感想もそうだけど、たまにわたしの分からない言葉を使う事がある。
世間一般と評される括りから外れてるわたしが悪いと分かっていても、わたしと小深の間で共感できない事は少しだけ、モヤってしまう。
ドームを抜けると、お土産売り場があったので小深の反応を窺う。「おぉ」と一言だけ発し、一瞥しただけで通り過ぎてしまった。
恐らく出口が同じ所に繋がっていて、帰りに買う場所なんだろう。お土産売り場だし。
「海遊館と言えばまずこれだよね」
職員に案内され、エスカレーターに乗った小深が前を指さす。
「ほら、私じゃなくて前見て、前」
「う、うん」
小深の顔を見ていたい気持ちを抑え、前を見る。いや、見上げた。そうしないと先が見えないからだ。
「すごいよね。どこがって聞かれると困るけど、あんまりこの長さのエスカレーターって見ないよね」
河内長野の駅にも長いエスカレーターはあるけど、これはその倍以上はあるように感じる。
エスカレーターを登り切ると、自然の中を思わせる内装と、人の集団で埋め尽くされていた。
とてもじゃないけど、想像していたキャッキャウフフみたいな穏やかな鑑賞風景は一瞬にして壊れ去る。
「あー残念、今日はカワウソいないっぽいよ」
「そうなんだ……」
小深は以前誰かと来た事があるのか、このエリアの目玉であるカワウソの存在の有無を早々に言葉にする。
別にカワウソに興味がある訳じゃないからいいけど、その誰かの存在をここに来てから、小深の口から出る度にわたしの心はざわざわする。
良くないと分かっているのに……。
「小深、手、繋いでいい? 迷子になったら、困るし」
「あー、人多いし、横並びは迷惑になりそうだからやめとこっか」
「……わかった」
小深は至極真っ当な事を言っているのに、どうしてこんなにショックを受けているんだろう。
握っても空を切るこの手に、寂しさよりも深い虚しさを覚えてしまいそうだった。
早々に次のゾーンに向かうと、小深の楽しげな声が聞こえ顔を上げる。
いつの間にかペンギンゾーンに来ていたようで、大量のペンギンを見る為にガラス前には大勢の人が集まっていた。
「ほらほら、清水こっち」
ペンギンが好きなのか、少しテンションの高い小深に腕を掴まれて最前列に紛れ込む。
「あれがジェンツーペンギン。あっちがアデリーペンギン。あの黄色くて大きいのがオウサマペンギンだよ」
オウサマペンギンは分かるけど、他の二匹の違いはいまいち分からない。
そんなわたしの表情で察したのか、小深のペンギン雑学は続く。
「アデリーペンギンは王道のペンギン! って感じがするでしょ? ジェンツーペンギンは頭の部分がちょっと白くて分かりやすくなってるんだ」
「言われてみれば、確かに」
鳥の違いなんて全然興味がなかったのに、小深が楽しそうに解説してくれていると、わたしも楽しくなってくる。
やっぱり単純だなぁ、わたしって。
「それにね、ペンギンの愛情表現の一つに、パートナーに小石を上げるって行動があるんだけど、それって何だか清水みたいだなって」
「わたし……?」
「ほら、わたしに色々渡そうとするでしょ。勿論良い意味で言ってるけど、程々にしてくれないと愛が重くて潰れちゃうしね」
「う、うん」
小深の口から、愛なんて言葉が出て胸がドキドキしてしまった。
わたしの行動が愛情表現として受け取られていたと知って、喜んでいいのか恥ずかしがるべきなのか分からなくなる。
そんなわたしの気も知らず、アデリーペンギンはわたし達に向かって羽をバサバサと広げていた。
「ペンギン、悪くない、かも」
「清水もペンギンに目覚めちゃったかー」
「小深はペンギン好き、なの?」
「好きというか、知識がちょっとあるってだけかな。詳しい人から色々聞かされて頭に残ってるんだよね」
やれやれと、小深は楽しそうに言うけれど、その表情は誰を思い浮かべた結果なんだろう。
目の前にわたしがいるのに。そう言える勇気があれば良かったのに……また嫌なわたしが顔を覗かせる。
「清水、次行こ!」
「うん……」
集団を避けて、熱帯魚やイルカを一通り見終わると、小深は「ここからが本番だよ」と先へと駆けていく。
「待って……!」
慌てて追いかけた先に待っていたのは、視界いっぱいにに広がる蒼海の世界だった。
巨大水槽には、海遊館で有名なジンベエザメが優雅に回遊し、その他にも多種多様な魚達が無数に泳いでいる姿はまるで、海そのものが形成されているのかと錯覚する。
それに、そんな世界の中心に立ち、わたしへ手を振る小深に――
「すごく、綺麗……」
心の底からの賛辞を言葉にしていた。
だからなのだろうか。水槽の中にいる様に見える小深を、両手で包むように覆い隠してしまう。
おとぎ話に出てくる人魚の様に美しい彼女へ、わたしは醜悪にも、永遠にその水槽に閉じ込めてしまいたい。そう思ってしまったのだ。
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