第17話

 じきに太陽が昇る。朝日によって山の輪郭が浮き彫りになり、ベランダからの景色を眺めている。

 山を切り開いて出来た街だから、辺りを見渡せてもここからじゃ小深の家は見えやしない。


「小深に、会いたいな……」


 朝でもすっかり蒸し暑く、じんわりと汗が浮かぶ。

 久しぶりに起動したスマホの画面には、新着通知は〇件と表示され、小深からのメールがない事に気分が沈んでしまう。

 熱で寝込んでる間の記憶は曖昧だけど、小深はお見舞いに来てくれたのだろうか。

 お見舞いに行くってメールを見た記憶はあるけど、実際に来てくれたかどうかは正直覚えていなかった。


「あれって夢だったっけ?」


 小深を見た様な朧気な記憶、仮に来てくれていたら忘れる筈はないと思うけど、自分に自信を持てない理由があった。

 それは、義母おかあさんが今この家にいるという事。昨日の夜中に目が覚めて、お手洗いに行くと義母が廊下に佇んでいて思わず悲鳴を上げた事が記憶に新しい。

 一昨日から来ていたらしいけど、詳しい話はまだ聞けていない。


「でも何しに来たんだろ」


 加賀田さんに連絡はしていない。倒れてしまったから。

 だとすると、義母が私が熱を出した事を知る由がないと思うんだけど……。


「あれ……あの時って急に寒気がして、倒れたんだっけ。なら誰がわたしをベッドまで運んでくれたんだろ」


 小深だったら嬉しいけど、そんな都合の良い事がわたしに起こる訳がないと知っている。

 知ってはいるけど、目を閉じて、空想を巡らせる。

 颯爽と現れた小深は、わたしを軽々とお姫様抱っこでベッドへ。熱にうなされるわたしへ、ゆっくりと顔を近付けて――


「……何か違う。小深はそんな事しない」


 解釈違いだった。わたしは自身の妄想力のなさを痛感し、渋々と制服へと着替え始める。

 時刻はまだ六時前と、学校に向かうにはかなり早い。


「小深と一緒に登校、してみたいな。家の前で待ってるくらいなら……いいよね?」


 夏休みに小深としたい事が沢山ある。夏祭りに花火、山に行くのも楽しそうだ。

 暑いのが苦手だったら、図書館で一緒に宿題したり、映画? なんかもデートっぽくて良い気がする。

 あわよくば、旅行も行けたりして……!

 それに、プールも行きたい。小深の水着姿を想像すると、胸が高鳴っていく。


「思い出して、くれるかな……」


 わたしの切実な願いのこもった言葉は、誰にも届かず霧散する様に空中へと消えていった。

 制服に着替え終わると、部屋を出てすぐ真隣のリビングに向かった。

 水を飲みに来ただけなのに、机にうつ伏せで眠る義母の姿が視界に入り、自然と足が止まる。


「……ぁ」


 声を、掛けるべき……なんだろうか。

 わたしと義母の仲は、世間一般的にあまり良いとは言えないのだと思う。

 仲が悪い訳じゃない。悪いのはきっとわたし。

 お父さんが死んでしまって、義母はわたしを見捨てる事はしなかった。世間体もあったと思うけど、趣味もなく人見知りなわたしによく話し掛けてくれていた。

 でも、血の繋がりがないから。義母が愛したのはお父さんであって、わたしじゃない。

 だからずっと、義母の人生を縛っている後ろめたさがすぐ側にあった。

 結局、身寄りのないわたしは、家族ごっこを自分から辞める度胸もなく、理由を見つけた途端、逃げてしまった。


「スーゥ、ハァー……お義母さん」


 眠る義母の肩を、そっと揺らす。

 看病をしてもらったのに、こんな所で寝て風邪でも引いた日には申し訳が立たない。

 とは言え、ベッドはわたしの部屋にしかないので、ソファで寝てもらう事になるんだけど。


「ん、楠希……?」


 眠そうに目をこする義母は隈ができていた。

 わたしのせいで、あまり寝れなかったんだろうな。


「寝るならソファの方が……」

「そう、ね。それより、体調はどう?」

「ん、平熱。もう大丈夫」

「そう……良かった……」


 胸を撫で下ろした義母は、わたしの格好を見て怪訝そうに首を傾げた。


「もう学校へ行くの?」


 わたしは部活もしていない。早すぎる登校に訝しげにする義母に、正直に答える。彼女の事を。


「友達と……学校、行こうと思って」


 小深と友達である事を、初めて誰かに伝えた事を自覚すると、むずむずと恥ずかしくなってくる。

 友達ができたなんて、また心配をかけてしまう気がしたけど、小深との関係をわたし自身、否定したくなかったんだと思う。

 少し勇気を出したつもりだったのに、義母は妙な表情を浮かべていた。なんだろう、笑ってる?


「そうなの、お友達が」


 嬉しそうな、寂しそうな。そんな感情が入り交じった表情を向けられて困惑していると、、次は困った様に義母は言う。


「なら、先にお風呂に入らないとね」

「あっ……」


 ーーーーーー


 シャワーを浴び、改めて準備を済ませた頃には、時刻は七時前になっていた。

 それでも登校するにはまだ早いと言える。

 でも、小深に早く会えるなら、早いに超したことはない。


「お義母さん、もう行――」


 リビングを覗くと、スーツ姿に着替えた義母の姿があった。


「私も大丈夫よ」


 まだ寝不足の筈で、ソファで寝ていると思っていた。

 もしかして学校に行くわたしに合わせて、東京に戻るのかと思ったのだが、少し様子が違った。

 化粧道具も荷物もまだまとめられている様子はない。


「どうしてスーツを着てるの……?」

「どうしてって、一緒に学校に行くからよ」

「えぇと、ん?」


 言葉をうまく飲み込めず、疑問符が浮かぶ。

 義母は心配性だけど、わたしが熱を出したくらいで学校に乗り込むモンスターペアレントではない。

 余程、わたしが困った顔をしていたのか、義母は「もしかして」と声を細くて、私に問いかけた。


「楠希は知らないの?」

「何の事か、わからない……」


 義母はわたしの言葉に、酷く困った様に驚いていた。のしかかるような酷く嫌な予感に、心は翳り《かげり》始める。

 嫌な予感はいつだって、近くに潜んで、機を図ったように襲いかかってくる。

 いつだってそうだ。世界はわたしを置いて、ずっと先へと進んでいる。

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