第18話
義母から、事のあらましを聞き終わった時には、わたしは家を飛び出していた。
何も知らなかった。小深が謹慎処分にあった事、その原因がわたしにある事も。
馬鹿だ! 大馬鹿だ! 知らなかったで済まされる事じゃない。
謝って許してもらえるだろうか。
頭に浮かぶのは「次はない」の言葉。感情がぐちゃぐちゃになり、涙が滲み視界が濁る。それでもこの足は絶対に止めることは出来ない。
「こぶ、かぁ……!」
自分から見ても、体力不足でスピードは早歩きと変わらない。それでもわたしは走る。
そんな私の頭に浮かぶのは、軽蔑の眼差しを向ける小深の顔だった。
悲しいけれど解釈通りだ。きっと一度でも小深から見限られたら、この先はないと直感がそう囁いている。
お見舞いに来てくれなかったのも当然だ。
誰が流したか分からない酷い嘘で、小深との関係が壊れるなんて怖くて怖くて仕方がない。
震えて縮こまりそうな体を、無理矢理にでも動かしている原動力は、小深との関係を繋ぎ止める。ただそれだけだった。
学校に着いた時には汗だくになっていた。
職員室に一番近い職員玄関で靴を脱ぎ捨て、職員室へと一直線に目指す。
誰もいない静かな廊下を駆け抜け、勢いよく引き戸を開けると、先生達の視線を一手に受ける。
時間がまだ早かったのか、小田巻の姿は見えない。
手っ取り早く、小深への誤解を解く方法はこれしかないと、深く息を吸った。
「二年二組、清水楠希です! イジメは事実無根です!」
間違いなく、人生で一番大きな声が出た。こんな声を出せるんだと、自分でもビックリしている。
職員室全体に響いたであろう、わたしの主張に先生達は当惑の色を見せ始める中、一人の教師がわたしへ駆け寄ってきた。
教師だと思ったその人は、コテコテの白衣を羽織っていて、なんだか見覚えがある……そうだ、保健室の先生だ。
「清水さん!? さっきのは本当なの……?」
「本当です」
「……少し話を聞かせてもらえる?」
職員室の奥にある応接室に通され、その道中に保健室の先生の名前は、
ソファに腰を降ろすと、対面に座った松笠は深刻そうな面持ちでわたしを見た。
「さっきの話だけど、清水さんは……その、小深さんに脅されて言ってる訳じゃないのよね……?」
「違います。小深はそんな事しません」
松笠の言葉は、まるで小深を疑ってかかっているようで苛立ちを覚えた。
「松笠先生は、どうして小深を疑うんですか? わたしが、イジメられてるなんて言いましたか?」
「それは……違うわ」
わたしの言葉に、臆したように眉根を顰める松笠を目にし、少し冷静になる。
わたしがやる事は、先生を責める事じゃない。一刻も早く小深の謹慎と誤解を解く。ただそれだけだ。
「あの、小深の謹慎、早く解いてください!」
強気に出るわたしに、松笠は申し訳なさそうにしながらも、首を縦には振らなかった。
「私にその権限はないの。その前に少し聞きたい事があるけどいいかしら? 小深さんにイジメ疑惑が出た理由ってもう知ってるの?」
「知りません。小深が謹慎になってるのも今日の朝に知ったので」
「そう……実は、清水さんの体の痣が発端なの」
「痣……あっ」
わたしは心の中で頭を抱えた。小深に迷惑をかけまいと修行をした結果、それが返って迷惑をかける事になっていたなんて……。
「それは、座禅で……」
「座禅? 座禅ってあの?」
「はい。学校を休んで修行に」
「学校を休んで修行……? あの、それは本当に?」
「本当です」
不可解な顔をする松笠へ、証拠にと修行体験予約の受付完了メールを見せた。
「た、たしかに欠席してた日と同じ期間だけど……どうして学校を休んでまで?」
わたしの行動がやはり理解できないのか、根掘り葉掘り聞こうとしてくる松笠に、小深に迷惑をかけない為に行ったと言うのは、逆効果かもしれない。
「自分を鍛える為に。たくさん叩かれて、痛かったです」
修行の為にと、心を無にするのではなく、小深の事を思い浮かべた結果、住職から向いていないと言われる程度には、わたしの心は乱れているらしい。
そんな生活を十日も続けていたせいで、お風呂に入った時も、青痣はまだ消えずに薄らと残っていた。
「そ、そうなのね……じゃあ、熱中症で倒れて小深さんに運ばれてきたと思うけどその時は何をしてたの?」
「ナニ……」
これは言っていいの……かな。
きっと小深も似た様な質問をされたと思うけど、小深は本当の事を言っていない気がした。
けど、嘘を言ったとバレて、また庇ってるなんて思われるのも嫌だったわたしは、意を決する。
「小深にその……キ、キス、しようとして気付いたら倒れて、ました」
「キス……? えーっと小深さんと清水さんはどういう関係なの……?」
「友達です」
「友達同士では、仲良くても流石にキスはしないわよ?」
それはそうだ。わたしだって小深以外に、キスしたいなんて思った事がない。
「じゃあ、あの『次はないからね』って書いた紙を見て泣いていたのは?」
「キスを迫ったので……そういう事です」
「そう……理解し難いけど、納得がいったわ。小深さんが嘘をついてるのは分かっていたけど、確かにこれは言い難いわね……」
口元を覆って考え込む松笠に、少しだけ申し訳ない気持ちが芽生える。
元はと言えば全て、わたしのせいなんだから。
しばし沈黙が流れる。どうしていいか分からず、息苦しさを感じていると、応接室の扉が勢いよく開いた。
「清水、イジメはなかったってのは本当か!?」
現れたのは、慌てる小田巻と、目頭を抑える小太りの学年主任だった。
「本当です。早く小深の謹慎を解いてください」
「なっ……しかしッ」
小田巻は、わたしから既に話を聞いたであろう松笠に視線を向けた。
「小田巻先生、小深さんは潔白です」
「そんな……ッ、なら俺は無実の生徒に……」
「先生、感傷に浸る前に、小深の謹慎を解いてください」
「そ、そう……だな」
やった! これで万事解決だ。あとは小深にどう謝るべきかと、考えようとした時だった。
「待ちなさい小田巻くん、そもそもだ。本当にイジメはなかったのかね? その……主犯の子に脅されて庇っているという可能性は本当にないと?」
そんな事を学年主任が言い出してしまった。
普通、こういう時はイジメの事実を揉み消そうとするものだと偏見があったから、少し感心してしまう。
「私ゃね、イジメが許せないのだよ。最近の子のやり方は昔と違って陰湿だからね。教師たるものいつだって、目を光らせておかないといけないのだよ」
「主任、話を聞いた限りだと、清水さんの言い分は本当だと感じました」
松笠の言葉に、わたしもそうだと頷くが、学年主任は決して認めようとしなかった。
「清水くん、本当の事を言いたまえ。何があろうと私が守ってみせる。その小深という生徒が君を困らせているんだね?」
「違います」
「しかしだね、報告によると――」
なんちゃらかんちゃら。もう聞く耳すら持ちたくない。
わたしがイジメはないって言ってるのに、どうして信じてくれないんだろう。
もしかしたら、わたしの説明が足りなかったのかな? 早くしないと「次はない」になるのに……!
「それに報道部がいじめ疑惑があると――」
「うるさーーーーいッ! イジメなんてないったらないの! 小深とわたしは友達でッ、喧嘩してるように見えたのは勝手に嫉妬したわたしが悪いし、学校を休んだのも、成績が悪かったのも、キスしようとしたのも、全部ッわたしが悪いの! だから小深にこれ以上迷惑かけないで……!」
全身全霊の叫びだった。人生で一番大きな声を出した記録は、間違いなく更新しただろう。
学年主任は勿論、小田巻や松笠も驚きのあまり、目を丸くしていた。
「……小田巻くん、至急、親御さんと生徒に謝罪の連絡を。それと清水くん、疑って申し訳なかった」
「あ、いえ……分かってもらえたなら」
頭を下げた学年主任は、小田巻と共に応接室から出ていった。
今度こそ、小深の誤解は解けたのだと、心の中でガッツポーズを決める。
わたしも後に続き、教室に戻ろうとした所で、残っていた松笠に呼び止められた。
「清水さん、友達なら節操は持ちなさいね……」
「あっ、はい……」
当然の指摘に、わたしは何も言い返せなかった。
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