第16話

「学校から連絡あったけど、実際はどうなの?」


 家に帰ると、リビングには姉とママが待ち構えていた。

 いや、私が気負っているだけで、少し表現を訂正しよう。

 本日の夕食担当の姉はたこ焼きを机に並べ、既に食べ始めている。

 そしてママはと言うと、私に背を向け、何やらパソコンと睨めっこをしている。十中八九、持ち帰ってきた仕事なのだろう。


「ママはどう思ってるの?」

「どうもこうも聞いてるのはママでしょ。質問に質問で返さない」

「やーい、怒られてやんのー」

「お姉ちゃんは黙ってて」


 というか、たこ焼きって晩御飯じゃないじゃん。

 手抜きの夕食を用意した姉を片目に、とりあえずママに今日あった出来事を簡潔に流れを説明した。


「つまりは誤解って事。多分だけど清水の風邪が治ったら解決する」

「多分ってなによ。その子とは友達なんでしょ? その子の事、信じてないの?」

「別にそんなつもりで言ったわけじゃないし」

「言葉はしっかり使いなさい。多分だとかその内だとか、曖昧な表現は誤解を生むのよ。あんたは昔から何考えてるのかよく分からない子なんだから言葉はしっかり伝える。察してもらおうなんて受け身な考えは社会人になって後悔するわよ」


 ママはいつもこうだ。何かと揚げ足を取って、関係ない事で説教を始める。

 姉も飛び火したら面倒だと言わんばかりに、素知らぬ顔でたこ焼きを堪能している。

 仕方なく、ママの説教をバックミュージックに、夕食にありつく事にした。どうせ仕事に夢中で話してる内容なんて覚えてないんだから。


緒花おばな、せっかく夕食用意してくれたのに悪いけど、ママちょっと出てくるわ」


 十五分もしない内に説教が止まったかと思えば、徐に立ち上がったママは慌ただしく出掛ける準備をしていた。


「もう説教いいの?」

「説教なんてしてないでしょ。人生の処世術を教えてあげてただけじゃない。ほんと可愛くないわねぇ」

「可愛くないかもしれないけど私、美人だもん」

「生意気。まぁ自慢の娘には違わないけどね。それじゃあ帰って来れないと思うから戸締りしといてね」


 結局、一度も私の顔を見る事もなく、ママは急いで職場へと向かっていった。


「ママって絶対、家より職場にいる時間の方が長いよね」

「身内にブラック企業勤めがいると辛いわー。アタシなんて来年から就活だし、インターン面倒だわ」

「お姉ちゃんはちゃんと就職してよね。また浪人してずっと家にいられても面倒だし」


 ママの分のたこ焼きに手を伸ばした姉は、私の八つ当たりに近い言葉には意にも介さず、たこ焼きを頬張った。

 部屋に戻ってスマホを開くと、グループチャットに通知が二件が入っていた。


『報道部のせいで、下級生や上級生にまで噂が広まっちゃってるよ〜』

『ファンクラブの会報で事実無根と発表しましたが、退会者が出始めてしまいました……』


 どうやら学校では一躍、時の人となっているらしい。


『私は大丈夫。千早も小塩も心配しないで。ありがとう』


 それだけ返信して、スマホをベッドに放った。

 イジメには加害者と被害者がいる。その容疑者として私、被害者は清水になっているけど、その二人が同時に否定すれば根も葉もない噂は、噂でしかなかったのだったと理解してもらえる。

 ただ、学校中に拡まった噂を完全に消すのは難しいだろうけど。

 面倒だなぁと思う一方で、ママの言葉を思い出していた。


「信じてないの、かぁ」


 私は、誰の事も信用できずにいる。それをママは見抜いているのかもしれない。

 リセット癖はそこに通ずるものがあった。

 どんな人気者も、その者を慕う人間がいるから人気者足りうる。

 だからこそ、慕う人間が手のひらを返せば、一転して落伍者にすらなってしまう。

 私は、そんな他人の感情任せで成り立った脆い関係性が嫌いだった。

 だから私は、裏切られる前に彼らを裏切り、連絡先を全て抹消する。

 千早、小塩、唯華。この三人にもきっと同じ事をするだろう。それは清水だって例外ではない。

 これは感情の問題ではなく、私の意識の問題なのだから。


「この状況を解決するには、清水を信じる事しか、できる事ないんだけどね」


 自嘲気味に笑う。そう、この問題に私は無力でしかないのだから。


 ーーーーーー


 翌日、私は清水のマンションへと足を運んでいた。

 手土産には図書館の近くにある、お気に入りの和菓子屋で買ったどら焼きを持参している。

 何をしに来たか? 勿論、お見舞いに決まっている。

 ここで恩を売って、清水に貸しを作ろうだなんて打算的な考えは持ち合わせていない。そう、これは百パーセント純粋な私の良心なのだ。

 とはいえ、家を出る前に清水に送ったメールに返信がない事から、まだ熱は下がっていないのだろう。

 だとすると、私の足は少しばかり重くなる。

 呼び鈴を鳴らして、清水母が出てきたら気まずいどころの話ではない。

 呼び鈴を押すか否かで躊躇っていると、ロック解除の音と共に、玄関の戸が開かれる。


「あっ」


 どちらから漏れた声だっただろうか。恐らく両者だ。

 開いた扉の先から顔を出したのは、やはり清水母だった。


「貴女は――」

「これ、お見舞いの品です!」


 先手必勝、押し付ける様に紙袋を渡し、全力逃走を図る。

 昨日の忠告を無視したと思われた筈だ。もう清水母の信用は地に落ちたと同義だろう。


「小深さん、待ってください!」


 そう言われて待つ人間はいない。清水もそうだった様に一目散に逃げる。


楠希なつきの事で話があります!」


 その言葉に足を止めてしまう。そして無情にも、目の前のエレベーターは私を乗せることなく降りていく。

 どうして清水母は、私にそんな事を言うのだろうか。

 もしかしたら清水から事情を聞いて誤解が解けた? その可能性は十分に考えられ、意を決して踵を返した。


「あの、話ってなんですか?」

「立ち話もなんですから」


 どうぞと、手振りで玄関への入室を許可される。

 案内されるがまま、リビングに通された私は促されるままソファに腰を下ろす。


「清水……楠希さんは?」


 キッチンに立ち、ケトルでお湯を沸かす清水母は、かぶりを振った。


「少し熱は下がったけど、まだ眠ったままで……」

「そうなんですか」


 おや、どういう事だ? そうなると清水母の誤解は続いたままなのでは?

 ならどうして清水の話を私に? まさか忠告を無視した私に制裁を……。

 背筋がゾッとし、嫌な汗が頬を伝う。

 そんな私の不安とは裏腹に、キッチンから出てきた清水母が手にしていたのは、私が持ってきたどら焼きとお茶だった。


「ごめんなさいね。大したおもてなしもできなくて」

「いえ、おかまいなく……ではなく、どうして私を呼び止めたんですか?」


 昨日とは打って変わった清水母の対応に困惑している事を察したのか、清水母は「ごめんなさいね」と謝罪の言葉が述べられた。


「楠希のお友達なら聞いていると思うのだけど、私はあの子の本当の母親じゃないから、こういう時、いっつも頼られなくてね……」

「あ、すみません! 清水とはまだ、友達になったばかりで込み入った家庭の話はまだ重いというか!」

「あ、あら? そうだったの。また気持ちだけが先走っちゃったわ」


 何かと思えば、複雑な家庭の話を切り出されて思わず制止してしまった。

 清水も自分の知らない所で、勝手に過去を暴かれるのは嫌だろうし。

 清水母には悪いけれど、私が聞きたいのは私をここに招くに至った経緯だった。


「昨日の時点で、私はあまり良い印象を受けてなかったと思うんですけど、なにか心境の変化でもあったんですか? でないとイジメ疑惑のある私に声なんて掛けないと思うんですけど」

「小深さんの疑問は最もだわ。先程の謝罪もそれを説明しないと意味がないものね」


 ふふふ、と疲れた様に笑う清水母は、よく見れば目の下に隈が出来ていて、昨日は清水の看病であまり寝れていないのかもしれない。


「小深さんよね。私が来る前にあの子の看病をしてくれていたのは。そんな優しい子が、イジメなんてする訳がないって思ったの。あの時は感情のままに失礼な事を言ってしまって本当にごめんなさい」


 深々と頭を下げる清水母は、本当の母親と言っていなかったけれど、血の繋がっていない娘の為にこうして頭を下げる事ができるのは、母である証拠だと強く、そう思った。

 清水は愛されているんだな。清水母にとって清水が大切な人だと言う事は、言葉にしなくても分かる程に。


「いえ、私は全然気にしていないので」


 愛想笑いを浮かべ、この話は終わりだと暗に示す為に、お茶をいただいた。


「それにね、悪いとは思ったのだけど、確証を得るためにメールを少し見させてもらって」

「ゴホッ、ゲホゲホッ」

「だ、大丈夫!?」

「す、すみません。ちょっと変なとこに入って」


 思わずお茶を吹き出してしまった。

 待て待て、清水にどんな内容のメールを送ったか脳内を総動員して思い出す。

 変な事は……送ってないな! 清水からのメールも至って普通の内容だったと胸を撫で下ろす。

 清水には今度、スマホにはロックを掛けることをしっかり教えないといけないな。

 息を整え、正面を向くと、清水母は晴れやかな笑みを私に向けていた。


「小深さん、娘を今後もよろしくお願いします」


 まるで、娘を嫁に出す事に決めた、そんなニュアンスが込められていた気がした。

 だから、私は誠心誠意、その言葉には本心で報いる事が正しい気がして、つい本音を言葉にしてしまった。


「清水……楠希さん次第ですね」


 そんな私の言葉を聞いた清水母は、多分笑っていた気がした。

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