第2話 俺達に明日は無い

アーノルドが左手でイホウンデーのレバーを動かすと、ガラスを思いっきり引っ掻いたような咆哮が『鳴り響く』。


それと同時に、機動兵器の赤いモノアイカメラが一瞬止まる。同時に、まるで人が天に向かって吠えるように頭部パーツが空を向く。瞬間。


ギィリィィィィィィィ!!ギギギィィィィ!!

ギギギギギーーーー!!ギーーーー!!ギーーーーー!!


機械が、人に動かされる、人殺しの操り人形が、まるで鳴き声のような音を全身から上げて軋みはじめた。まるで、自分の意思を取り戻し、今までの行いを悔やむ人間のように。イヤイヤ期を迎えたばかりの幼子が、地面にへばりついて全身で拒否するように。


「な……!?妨害電波か、今の」


イホウンデーは、何も答えない。ただ、アーノルドの繊細な触感を通して「両手のレバーを思いっきり押せ」と伝えてくる。超常の意思に導かれるようにアーノルドが両手のレバーを押し込むと、ダメージによって生まれたひび割れが細く伸び、触手のように機動兵器へ伸びていった。


遊色の触手は機動兵器の腕間接に近寄ると、その間に入り込み、絡みつく。アーノルドがその様を呆然としながら見守っていると、「ボギン!!」という鈍い金属音とともに、兵器の肘から下が無くなっていた。


ねじ切ったのだ。イホウンデーのオパール色の触手が。

予想外の事態に慌てて誤操作でもしたのか、機動兵器の外部スピーカーから声が聞こえてきた。


「オイ、どうなっているんだ、コレ!!」

「わからん、博士は何もできないと言っていたよな!?民間人が乗っていたとしても、武装がないから抵抗できないって、新兵でも問題ないって言っていたよな!?」

「なんなんだよアレ!!死にたくない!!」


「……何だか知らんが、チャンスみたいだな」


アーノルドはペダルを踏み込み、機動兵器に向かって突進するように操作する。イホウンデーの機動音で我に返った新兵どもが慌てて道を開けた瞬間、ペダルの踏み込みを強めてその間を走り去った。


◇◆◇◆


照明の無い暗闇の中を、がむしゃらにイホウンデーを走らせる。ペダルから「戻れ」という意思を感じるが、それを無視してひたすら走らせる。


あれは、上層区軍の兵士だ。新兵とはいえ、機動兵器を動かすための訓練は受けている。そのまま戦っても勝ち目はない。そもそも、勝ったとしても報復が怖い。こちらにその気はないとはいえ、相手の兵器に多大な損傷を与えたのだ。そのまま戦って生きて帰れたとしても、何をされるか分からない。逃げるが勝ちだ。


(上層民から見た俺達下層民なんて、しょせんはすべて『おもちゃ』でしかないからな)


ふと浮かんだ『おもちゃ』という単語に違和感を覚え、ペダルを踏み込む力が弱まる。


(……。こんな時に、何を気にしているんだ?ドラッグ窟に行けば、こんな会話日常茶飯事だ。この前だって、だまされた挙句妊娠した娼婦が、上層区の傭兵に生きたまま腹を裂かれて死んだじゃないか。俺達はいつだってあいつらのおもちゃだ)


ペダルにかかっていた力が抜けると同時に、吐き気がこみあげてついレバーからも手を離そうとする。しかし、手は離れなかった。


真っ赤なセロファンのリボン、イホウンデーのコードが、ギチギチと音を立てる勢いでレバーと手を固定していたのだ。


「……なんだよ。戻らないぞ、俺は。死にたくないんだ」


さっきまで饒舌だったコンソールはうんともすんとも言わない。ただ、ギチギチと、血のように赤いセロファンが彼の腕を掴んでいた。まるで、生きることを諦めるなとでもう言うように。


「どうしろっていうんだ。戦うにしても、ここでは不利だぞ。お前、夜の上層区のネオンみたいにピカピカ光っているんだからな。しかも装甲かなり薄いだろ。このまま戦っても、新兵の射撃訓練の的にしかならないぞ」


アーノルドの指摘を受けたのか、少しだけイホウンデーの輝きが暗くなる。しかし、まだ明るい。暗いドックの中でイホウンデーはウランガラスの置物のように、乳白色に虹色を浮かばせて輝いていた。


「ハハハ、俺もお前も、おもちゃみたいだな」


諦めたようなアーノルドの乾いた笑い声に、ますますイホウンデーの輝きが落ちる。それでもドック内ではキラキラと居場所を主張していた。


(それにしてもこのドック、かなり広いし大きくないか?廃棄施設にしては大きすぎるし、そもそもこんな規模の施設をそのまま破棄するか?)


諦めから幾分か冷静になった思考は、今いる場所の異常さを感知する。戦うにしても逃げるにしても、このままでは埒が明かない。イホウンデー自身の明かりを頼りに、ゆっくりとペダルを踏みながら移動する。


イホウンデーは人型ではないため、どうしても足元が見えにくい。その事実に気がつかないままうろついた結果、足元にあった黄色い蛍光色に発光しているボタンをそのまま踏み込んでしまう。


途端、前面の隔壁が錆びついた機械特有の不快な音を立てながら上下に開く。赤いライトに照らされながら、平たく、大きな建造物がこちらに向かってきた。


「なんだ、あれは…」


赤いライトの下では黒いシルエットのようにしか見えなかった姿が、イホウンデーの輝きに照らされる。


一言で言うなら、カニだ。しかし、海はおろかまともな水すらないハルピュイアイ育ち、しかも下層区民のアーノルドは、そんな生き物は知らない。


「気持ち悪いな……。クモ、だったか?」


クモにしては足が短く、そもそもクモにはハサミは無い。最も、目の前のカニ型機械のハサミ部分にあるのは、赤を通り越して白く発熱した鉄の棒だが。兵器はちょうどシオマネキがハサミを振り上げるような仕草をしたあと、その手をイホウンデーめがけて振り下ろした。


アーノルドは両ペダルをかかとで踏むことで反射的に後退し、その一撃を避ける。ヒートバトンの落ちた先は、ジュウジュウと音を立てながらバトンと同じく白く溶けていた。


前門の不明兵器。後門の上層軍。

どっちに行っても、死ぬしかない。


(どうする?俺は、どうしたらいい?)


こめかみに汗が伝う感触が鬱陶しい。集中するために汗をぬぐうと、自分の無精ひげの感触が伝わる。ズボンで汗をぬぐおうとするが、谷底に落ちたときに流れた血が染みこんでいるせいで碌に拭けない。


—————不快だ。何もかも不快だ。


仕方なく握ったレバーに力が入る。先程のイホウンデーのコードよろしく、ギチギチと音を立てながらレバーを握りしめる。強くかんだ歯がギシギシと音を立てる。


—————どうして俺がこんな目に遭わなくてはならない?

—————どうして真面目に生きようとしているのに、上手くいかない?


瞼が裏返るように開く。憎悪に満ちた空色の目に、彼をあざ笑うように手を振り上げた鋼鉄製のカニが映る。


—————どいつもこいつも、バカにしやがって!!!!


衝動的にレバーとペダルに力を籠めると、イホウンデーが前方に躍り出るように飛び出した。


否。正確には、飛び出したのではない。飛び上がったのだ。


イホウンデーはドックの天井ギリギリまで飛び上がると、そのまま前足を間抜けなカニめがけて突き出した。


カニは、ヒートバトンを落とした時に溶けた床材に絡めとられ、もたつくような動きを繰り返している。


先の戦闘でひび割れ、さかむけだらけになったイホウンデーの前足が、見えない『何かに』少しずつ削られ、より刺々しい形状になる。やがて削られきってオパール色の氷柱のようになった足が、柔いカニの頭部に直撃した。


ゴワン!ガション!!

メキメキゴキゴキ……


どこか間抜けな音とともに足がカニの頭部に着地、踏み抜けなかったために少し跳ね返される。後ろ足で着地してバランスを取り、どこかヒステリックな咆哮を上げながら、凹んだカニの頭部に前足を突き刺した。そのまま、水たまりで遊ぶ子供のように、前足でカニの頭部を文字通り踏んだり蹴ったりする。


金属とコードの水たまりでイホウンデーとともに遊んでいるアーノルドは、笑っていた。

歯をむき出して、いかにもざまあないといったような、邪悪な笑みだった。楽しそうなのに、実際本人も心底楽しんでいるのに、薄い水色の目だけが虚無を飼っていた。


ひとりと1機で嫌というほど遊んだ頃には、カニのヒートバトンも冷えただの黒い鉄棒と化していた。カニ自体は足のパーツを残してバラバラになっている。子どもが虫の足を引きちぎって遊んだ様子を、鉄のカニで無理矢理表現したような状態だ。


興奮の熱が冷めたアーノルドは、ふとフロントモニターに目を向け、カニ型兵器の出てきた部屋の向こう側に足を進めようとした。


途端、イホウンデーの足が杭のように尖り、歩けないことに気がつく。イホウンデーもそのまま沈み込み、困惑したかのように足を動かした。当然、蹄があったときのようには動かせず、一人と1機で、まるでドックの床に溺れそうになっている様な動きを繰り返す。


しばらく動いたところで諦めて、ドッグの床に足を『刺しながら』移動した。


◇◆◇◆


カニ型兵器の入っていた部屋はどうやら格納庫だったらしい。しかし、あのヒートバトンの熱で劣化していたのか、イホウンデーの尖った前足で蹴り飛ばすだけで壁が壊れた。壊れた壁の先には、蔓状の有機ナノマシンが作った、クリアグリーンの海が広がっていた。


この蔦が本物の植物だったなら、地面を覆ってまで繁殖したりはしない。せいぜい建物を覆いつくす程度だ。地面を覆いつくしはしない。なぜならここは谷底で、ろくな光も刺さないのだから。


光がなければ、本物の植物は育たない。目の前に広がる葉緑素を模したクリアグリーンと、その中に点々と続く花もどきの紫のように、地面と斜面一杯を覆いつくすことはない。


しかし、アーノルドはそんなことは知らない。

生まれてこの方、有機ナノマシン以外の生き物は人間以外見たことがなかったし、そもそも星の外に出たこともない。

だから、彼より豊かな人達から見れば凄惨な光景にしか見えない、谷底にしては広い一面を覆いつくす緑と花、そして谷底から除く青空に、彼は心を奪われていた。


しばし呆然としていると、イホウンデーのモニターからわずかに空気の抜ける音がした。

ハッチが開いて、無数のキラキラと光るコードが、彼の全身を優しく掴み、持ち上げてクリアグリーンと転々と咲く紫の中にそっと下す。


有機ナノマシン特有の硬い感触と、切り立った山々に遮られることで幾分か和らいだ風が、アーノルドの髪を、肌を、優しくなでる。


いつもの彼なら、その感覚を不快に思い、手を振り払うなどの動作をしただろう。

しかし、今はただぼんやりとその光景を見ていた。


なぜか、抵抗する気が起きなかった。

そんなことも気にならないくらい、青空がきれいに見えた。

今まで感じたことがないほどの安らぎが、彼の体を満たしていた。


安らぎが頭の上からつま先まで満ちていく感覚を味わいつくしたアーノルドは、ふと足元に目をやった。


そして、気がつく。

自分が、蔦の海の中で『立っている』ことに。


谷底から落ちた時、全身を打ったはずだ。イホウンデーに受け入れられるまでは、身じろぎもできないほどの痛みに襲われていたのに。


それなのに、彼はペダルを踏めた。レバーを動かせた。

そもそも、全身を打って姿勢を保つこともできなかったはずの体で、コクピットに座っていられたのだ。


—————心当たりは、ひとつしかない。


アーノルドは、イホウンデーを見上げる。

今は前足を地面にめり込ませているため余計に異様さが際立つが、余計な足が2本も付いた、人とは異なる異形の姿が目に入る。

前足は今地面に刺さるように埋まっているため分からないが、後ろ足はほっそりとしたハイヒールのヒール部分だけを切り取ったような形状をしている。


その底部分、それの名称を知っているものからすると、蹄に当たる部分には柔らかい色合いのゴールドがあしらわれていた。

後ろ足から続く、地面に平行な腹と背中は、前足と優美で長い首につながっている。

頭は鼻先が前に飛び出した、人とは異なる奇妙な生き物の形をしていた。

小さな耳らしき触角が、頭の上に左右ひとつずつ付いている。


そしてそのすべてが、薄い色ガラスを何枚も重ねたような形で形成されている。様々な色が混じり合い、それぞれが発光することで、淡く、白い光に包まれた虹色を生み出す。


そして、角。

この幻想的な生き物の頭部には、左右の耳の間に重苦しく、黒々とした色合いの角が左右均等な長さで緩やかなカーブを描きつつ生えていた。

幻想的な見た目の中、その角だけが鬱々とした重厚な色合いを見せている。


目の前に広がる有機ナノマシンの草原と同じくらい、奇妙で美しいものがそこにいた。


そう、アーノルドはイホウンデーを奇妙で、美しいと感じたのだ。


彼の肉体を再生させた超常の力か、はたま同調による繋がりか。

彼の思念を読み取ったイホウンデーのセロファンめいたコードがフヨフヨと降りてきて、頬をくすぐる。

柔らかいプラスチックのような見た目のそれに、アーノルドは今まで触れたことがないような、それでも上等だと分かるような質感を感じた。


どんな理由があれ、上層軍にケンカを売った。

もしかしたら金になるかもしれない機械を、売り物にならなくなるまで壊した。

そもそもここがどこかさえも分からない。

もしかしたら、下層区にすら帰れずにここで野垂れ死ぬかもしれない。


今のアーノルドは恐らく、下層区民で最も明日が見えない状態だろう。

それどころか、今日この瞬間すらあってないようなものだった。


しかし、アーノルドとイホウンデーは、今確かにこれまでにないほど落ち着いていた。

お互い、自分と相手が『ここにいる』事実を味わっていた。


今、自分達は確かにここにいる。


その事実を少しでも味わえるよう、忘れぬよう、ひとりと1機はいつまでも青空を見上げていた。

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