ハルピュイア達の咆哮の中で

星田 ヤチヨ

第1話 セロファンの祝福

–––––少し、足を踏み外しただけ、のはずだった。

運悪く地盤が緩んでいた場所を踏んだのだろう。彼の体は惑星ハルピュイアイにありがちな、険しい斜面を超えもなく滑り落ちていく。

そのうち体勢を崩して、下層区民の子供達が使う気の抜けたボールのように重たいバウンドを繰り返す。

全身の骨が折れ、内臓に刺さる。痛みで気を失いながら落ちていく。

最終的に錆と透明なグリーンで覆われた屋根に落ち、突き抜けたがその時にはもう意識はなかった。


惑星ハルピュイアイ。

この星は元々、切り立った山々と底の見えない谷底しかない寂しい星だった。

宇宙の端っこに浮かぶこの寂しい星を見つけた人間は、その中に大量の鉱物資源とアームコアを見つける。

そこからは今までの歴史と同じく、自然を切り崩し消費する作業の始まりだ。暴風による鳴りやまない轟音と金属にすら切り傷を残すかまいたちの中、人々は山を切り崩し、土砂を谷に捨てた。


ハルピュイアイには水がない。水がなければ当然生き物もいない。本来、ここで暮らそうとすれば自分達の汚物をすすって生きるしかない。しかし人間にはそんな度胸も力も無い。

そこで、自分達の代わりに汚物をすすり、水を生み出す生き物を放った。有機ナノマシン。汚物から錆などの有害物質を片っ端から食い尽くし、水や食料を生み出す便利な生き物だ。

プラスチックで出来たブロックを組み合わせて作ったようなこの生き物は、瞬く間にハルピュイアイを覆いつくす。人間達の汚物はおろか、打ち捨てた物すら食べ尽くして。


結果、ハルピュイアイは精巧なジオラマに出来の悪いテクスチャを無理やりくっつけた、歪な星になった。


鉱物資源やアームヘッドとそれを応用した技術で肥えた人間は自分たちが打ち捨てた土砂でできた台地に、ハルピュイアイの山々のようなビルを建て、享楽の日々を過ごす。

しかしそれも長くは続かず、今や枯渇の兆しが見え始めた。怠惰で楽しい、未来の無い日々を手放せない人々は都市と惑星の生き方を観光と歓楽でなんとか延命しようとしている。

彼らと彼らの街は『上層区』と呼ばれるようになった。


今やかつての鉱夫達のように実直に働いているのは、上層区の恩恵を受けられない、哀れで貧しい下層民だけだ。今ちょうど、谷底にあるドックに落ちた彼、アーノルド・マクラレンように。


–––––風に吹かれた有機ナノマシンの欠片が、血まみれの瞼をくすぐった。

そのわずかで不快な触感に、アーノルドは目を開ける。褐色でガサガサの肌とハルピュイアイの谷底のように暗く、うねった黒髪の隙間から、春の空のような薄い水色の瞳がのぞく。


彼の瞳に真っ先に入ったのは、有機ナノマシンの欠片でも、自分の体から飛び出したパーツでもなかった。


セロファン。赤や青、緑、紫、ピンク。無数のセロファンでできたリボンが、まるで彼を祝福するように伸びてきたのだ。


柔く、しかしどこか意思のある奇妙な動きに言いようのない嫌悪を覚えたアーノルドは、何とかセロファンのリボンから逃げようとする。しかし、崖から落ちたダメージは、彼の動きを完全に封じていた。


セロファンのリボンはアーノルドのたくましい二の腕に触れると、まるで人間が驚いて手を引っ込めるような仕草をする。しかしそれは一瞬で、まるで縋り付くように巻き付いてくる。布越しに感じる超常の意思に身じろぎしようとするも、傷みで動きが止まる。

その間にセロファンのリボンは数を一気に増やし、絡みついた。


赤、青、黄色、紫、オレンジ、緑、ピンク、水色、黄緑、黒、白、灰色、茶色、金、銀…。


無数のセロファンは彼の大柄な体に絡みつき、最終的には遊色めいた繭を形成する。繭はそのままセロファンが伸びてきた『元』に引っ張られていった。


––––––アーニーはママに愛されているじゃない。そんなこと言っちゃダメよ。

––––––ピーターったら!またそんなことをしていたの?

––––––あ゛、ありあとうあ゛……。おわぇ、あんていうの?


複数の声が聞こえる。少女の声、ヒステリックな女の声、しゃべりにくそうな自分と同じくらいの少年の声。

少年?自分はもう25にもなる。これは……。


アーノルドが声だけの夢から覚めたのは、暗くて狭い椅子の上だった。

驚いて周りを確認しようとすると、目の前にディスプレイが浮かび、ショッキングピンクの文字色を浮かび上がらせる。


『イキテル、いきテル、生きてル、生きてる‼

…………こんにちは』


「……はぁ?」


アーノルドの困惑した声に反応したように、ディスプレイ以外の機器が光を放った。

レバー。コンソール。ペダル。

アーノルドの知識では、工事用重機の操縦席が一番近いと感じた。しかし、明らかにそうではない機器がある。困惑していると、ディスプレイが別の物を表示した。


『ARMHEAD:Yhoundeh

Model No.:HPI-AMH-004

Affiliation:nothing

Armament:nothing


………Pilot:Arnold Maclaren』


今度は声も出ないほどアーノルドが困惑していると、突如周りが輝き、重機でいうフロント・サイドの両モニターに外の様子が映し出される。その前面には、黒々とした軍用機動兵器が3体、赤いモノアイを輝かせながら着地していた。


アーノルドは反射的に動こうとするが、そこで自分をからめとった無数のセロファン、表示された機体情報によると、イホウンデーのコードがそれを制止する。


ディスプレイに、再度メッセージが表示された。


『たたかって。おねがい。わたしといっしょに、たたかって』


呆然としているアーノルドの体を、イホウンデーのコードがレバーやペダルに誘導した。瞬間、左足がコードに導かれると同時に、機体が残像を残して左に移動する。


「なっ……!?」


アーノルドが混乱しているのをよそ目に、軍用機動兵器がマシンガンのような形状の銃器を構え、イホウンデーめがけて発砲した。


コクピットの位置からして、おそらく数メートルの高さはある大きさのイホウンデーの体が大きく揺れ、サイドにヒビのような割れ目が走る。同時に、アーノルドの両足がコードに引っ張られて思いっきりペダルを踏み込んだ。


イホウンデーの巨体が、二本足で立つ機動兵器に向かって突進する。


「うおおっ…!!」


足が引っ張られたせいでコクピットから体を前のめりに乗り出したアーノルドは、その勢いを殺しきる前に機動兵器に衝突した衝撃でコクピットの背もたれに叩きつけられた。


「っっっ!!!……お前!一緒に戦えというならせめてもっと詳しく説明しろ!!せめて俺に操縦権を寄越せ!!」

『……ほんとうに?ほんとうにわたしと、たたかってくれる?』

「ああ、やってやるさ。どうやらあいつらを倒さない限り、お前、俺を離すつもりはないんだろう?」

『……うれしい!

うれしいうれしいうれしい嬉しい!!』


ディスプレイいっぱいに『嬉しい』の文字が表示されると、コード達はアーノルドの体からそろそろと離れていった。彼が覚悟を決めたように前を向き、レバーを握ると不思議としっくりくるような質感を感じた。


「……どうなっても、知らないからな」


苦虫をかみつぶしたような顔でつぶやくと、アーノルドはその触感に従うようにレバーを動かした。

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