こころのピース

夜明け

互いの悩み

5月下旬。かすみ中学校の1年2組の教室で、おれ___桐谷きりたに 八代やしろは、5時間目の数学の授業を受けていた。


…と言っても、今は給食後の眠気と葛藤中。

給食後の眠気は本当に手強い。

寝ちゃダメって必死に言い聞かせるけど、起きようと思えば思うほど瞼が閉じていく。しかも数学担当の佐藤先生はゆったり喋るから余計眠くなるんだ。


突然、カラカラ…と、おれの手から落ちたシャーペンが机の上を転がった。

眠気のせいか?…いや、違う。発作だ。


おれは、脱力発作を持っている。発作が起こると数十秒間、身体の力が抜けて動かせなくなるんだ。毎日起こるから本当に嫌だ。

今は右腕から先が脱力状態になっている。だからシャーペンが持てなくなって、落ちてしまったんだ。

数十秒後、発作は無事治り、普通に動かせるようになった。すると、再び眠気との戦いが始まった


「おい!!」


完全に瞼が閉じそうだった時、突然佐藤先生が怒鳴った。おれはその声に驚いて背筋を伸ばす。

これ、怒られるやつかな…?

先生、怒るときとか注意するときは、声張るんだよな〜。

おれは怒られる覚悟をして先生を見た。しかし…


「三河!起きろ!!」


先生の視線は、おれ…じゃなくて、隣の席で寝ている三河みかわ 晴留はるくんの方に向いていた。


なんだ、晴留くんか…。

自分じゃなかったことにホッとしていると、先生が晴留くんの席の方へ近づいて来た


「おい三河!起きろー!」


先生は、何度も机を叩きながら大声で言う。

いつも声デカすぎるよ…。

おれも含めて周りの人は耳を塞ぐ。しかし晴留くんは全く起きる気配がなかった


「ったく、いつもこうだよな。逆にすごいよ」


とうとう先生は諦めたらしく、一瞬苦笑いを浮かべ、黒板の前に戻ると授業を再開した。



晴留くんは、普段は普通に起きているのに、突然寝てしまう。しかも一度眠りに入ると、さっきみたいに鼓膜が破れそうなほど大きい先生の声でもなかなか起きない。

おれはそれを、いつも不思議に思っていた。寝不足なのかもしれないけど、起きられないほど寝てしまうことは普通ない気がする。


そんなことを思っていると、晴留くんがゆっくりと目を覚ました。すると周りをきょろきょろと見回す


おれが不思議に思っていたことの二つ目だ。晴留くんは毎回起きると周りをきょろきょろと見回している。まるで状況が全くわかってないかのようで、戸惑った表情をしている。


「桐谷、授業に集中しなさい」

「あ…すいません」


先生に怒られておれは急いでノートを書き始める。

晴留くんのことが気になってつい授業中っていうのすっかり忘れてたよ。


「書くところないな…黒板消していいか〜?」


先生は、黒板消しを持ってスタンバイしている。

待って!まだ全部書き写せてない!

おれは心の中でそう叫びながら、慌ててシャーペンを動かした。





休み時間、おれは顔を腕にうずめて目を瞑っていた。

先生の大声のおかげで授業の後半には目が覚めてたけど、今その分の眠気が襲っているんだよね。休めておかないと6時間目も眠気と戦わないといけなくなるかも。それは流石にキツすぎる。


…そういえば晴留くんは何やってるんだろ。

おれは基本ひとりで過ごすことが多く、いつも周りのことを気にしてなかった。それに、特に興味を持つことではない。

だけど今は、なんとなく晴留くんが何をしているのか気になる。おれは、顔を半分だけ腕から出して横を見た。


「寝てる…」


晴留くんは、今のおれとほぼ同じ体制をしていた。

さっきの時間、30分以上は寝てたよね…?そのくらい寝れば十分だと思うけどな〜。

でも、ちゃんと寝ても眠い時はあるからなんとも言えないや。


「…あれ?」


ふと顔をあげた時、誰もいないことに気がついた。


「みんな、どこいったんだろ…」


戸惑いながらきょろきょろしていると、時間割に目が止まった。


「あぁっ!次理科じゃん!!」


理科室移動しないと!眠くてすっかり頭から抜けてたよ!

おれは慌てて理科の準備をして、教室から出ようとした。しかしその足を止めて、後ろを振り返った。まだ寝ている晴留くんがいる。

うぅ〜、早く行かないと遅れちゃう。…けど、流石に起こさないとまずいよね。

おれは晴留くんのところへ駆け寄ると、身体を揺さぶった


「晴留くん!起きて!!」


しかし、晴留くんは起きる気配がない


「はーるーくーん!!」


さっきよりも声を大きくして何度か呼んでみる。でも晴留くんは全く起きない。

あー、心が折れそう。先生がいつも諦めてしまうのも納得だな。


「お願いだから起きてよ〜」


晴留くんを揺さぶりながら時計を見る。あと1分しかない。

すぐ行けるように、晴留くんの教科書とノートを出しといた方がいいよね。

おれはそれらを机の上に出すと、また晴留くんの身体を大きく揺さぶった


「晴留くーん!!起きてー!!」


すると、晴留くんが目を覚ました。晴留くんは顔を上げるとゆっくりと周りを見回す


「晴留くん!!」

「えっと…」


晴留くんは、戸惑った表情でおれを見上げる。


「理科だよ!早く理科室行こ!」

「えっ…理科…?!」


晴留くんは焦った表情に変わる。おれは、そんな晴留くんに教科書とノートを渡した。その時…


キーンコーンカーンコーン


あー、チャイムなっちゃったよ。


「晴留くん、急ご!!」

「う、うん!」


おれと晴留くんは走って教室から飛び出した







「起立。礼。」

「「「ありがとうございましたー」」」


授業が終わり、みんな一斉に理科室から出て行く。おれもみんなの後ろで理科室から出る。

遅刻はしたけど、先生の機嫌がよかったおかげで怒られずに済んでよかった。


「あの…桐谷くん。」


急に後ろから呼ばれた。振り向くと、申し訳なさそうな顔をしている晴留くんがいる。


「どうしたの?」


おれが訊ねると、晴留くんは少し俯いた


「桐谷くん、僕のせいで遅刻しちゃったよね。ごめんなさい」

「いやいや、おれも理科ってこと忘れちゃってたからさ。こっちこそごめんね」

「桐谷くんが謝ることないよ!」


晴留くんはそう言ってくれるけど、そんなことない。おれがちゃんと確認していれば2人とも遅刻せずに済んだかもしれない。 


そう思った次の瞬間、ドサッと持っていた筆箱や教科書たちが落ちた


「大丈夫?」


晴留くんは、おれが落としてしまった物たちをすぐに拾って、渡してくれた


「ありがとう」

「どういたしまして」


おれが受け取ると、晴留くんは優しい笑顔を見せた。

晴留くんってこうやって笑うんだ。

いつも真顔で静かだから、笑っている顔を見たことなかった。おれが彼と話したことなかったってこともあるのかも。


「き、桐谷くん?」


戸惑った晴留くんの声を聞いて、自分が晴留くんの顔をジッと見てしまっていることに気がついた。


「あぁごめん!」

「よかった!意識なかったらどうしようかと思った」

「意識なかったら今頃倒れてると思うよ?」


反射的にツッコむと、晴留くんは「そうだよね」と言って笑ってくれた。

よかったー、気まずい雰囲気にならなくて!


胸を撫で下ろしていると、理科室から先生が出てきた


「2人とも、掃除場早く行きなよ」

「「はーい」」


2人で返事をすると、先生は階段を上がっていく。

そうだ、次掃除か。早く行かないと。

あ、ついでに…


「晴留くんって掃除場所どこ?」

「えっ、昇降口だけど…」

「ならその荷物持ってくよ。おれ、教室掃除だから」

「えぇ、悪いよ」

「でも、教室3階だよ?」


今は1階にいる。昇降口はすぐそこなのに戻るのは大変だと思う。

すると晴留くんは迷うように自分の荷物を見つめる。数秒後、顔を上げた


「じゃあお願いしていい?」

「任せて!」


おれは晴留くんから教科書とノート、筆箱を受け取る。すると晴留くんは、笑顔で昇降口へと歩いていった。


おれは階段を上がりながら、抱えている荷物を見る。

…さっき落としたのって、発作じゃないよな?普通に落としてしまっただけだよね?

発作の時はいつも数十秒脱力状態だけど、今回はすぐに腕は動いたし。

普通に落としたことにしていっか。


「おーい、桐谷〜!早くしろよー!」


階段を上がり切ると、3人のムードメーカー的な男子が教室から顔を出しておれのことを呼んでいた。

あれっ、もう掃除始まってた?!


「ごめん!遅れた!」


おれは走って教室へ入っていった







放課後、おれは教室で宿題をしていた。今のうちにやらないと、帰ってもやる気が起きないからね。

ちなみにおれは部活に入ってない。だからみんなが部活をやってる時は自由に教室を使っている。

本当はダメかもしれないけど、先生は部活でほとんどここに来ないからまだ見つかってないしセーフでしょ。


「よし、終わった!」


明日までの課題は完了。よし、帰ろ〜。

おれは教室の窓が全部閉まっているか確認すると、教室を出て昇降口へ向かった。


「あれ、桐谷くん?」

「あ、晴留くん。」


昇降口に行くと、靴に履き替えている晴留くんがいた。そういえば晴留くんも部活入ってないんだっけ。


「桐谷くん、部活入ってないの?」

「うん。入ってない」

「そっか!一緒だね」


そう言って晴留くんはニコッと微笑む。


「晴留くんはさっきまで何してたの?勉強?」

「ううん、図書室で本読んでた」

「そうなんだ」


おれは相槌を打ちながら靴に履き替える。

その様子を見ながら晴留くんが口を開く


「あのさ…」

「ん?」

「一緒に帰っていい?」

「えっ?」


おれは靴紐を結ぶ手を止めて、晴留くんを見上げた。

今、誘われた…?おれなんかでいいの…?

初めてそういうの誘われたから戸惑ってしまう。それで不安にさせてしまったのか、晴留くんはアワアワする


「急にごめんね!迷惑だよね」

「全然迷惑じゃない。むしろ嬉しいよ!」

「ほんと?!」


晴留くんはパァ…っと明るい表情になる。

窓からの光のせいかな?晴留くんの目が輝いているように見えるよ。

とりあえず喜んでくれていることが嬉しい。

おれは靴紐を再び結ぶとジャンプするように立ち上がった


「よし、行こっか!」

「うん!」


おれらは昇降口を出ると、横並びになって歩いた。

こういう時って、なに話せばいいんだろう。

友達と一緒に帰るってことをしたことないからみんなどういう話してるのかわからないな。

困っていると、晴留くんが喋り始めてくれた。


「理科の時は本当にありがとう」

「どういたしまして」

「たぶん桐谷くんが起こしてくれなかったら僕ずっと寝てたかも。」


すると晴留くんは困ったような笑顔を見せる。


「役に立てたなら良かったよ」

「僕、なかなか起きなくて大変だったでしょ」


大変だったけど、それ言っていいのかな?

そう躊躇ったため、「まぁ…」と曖昧な頷きになった


「だよね。ごめんね」

「でも、おれも悪かったからごめんね」

「あの時言ってたやつ?」

「そう、眠かったから理科の存在忘れて目を瞑ってたんだ」

「そうだったんだ。でも思い出してくれて良かったよ!」

「本当に良かった」


思い出さなかったらたぶん、成績に大きく支障が出てたかもしれない。


「過去の自分に感謝だ」

「過去の桐谷くんに感謝だね」


同時に言ったおれらは顔を合わせる。そして、ぷっと吹き出した


「ちょっと桐谷くん、真似しないでよ〜」

「真似してるのは晴留くんだろ〜」


2人で身体を軽くぶつけ合いながら校門を出る。すると、晴留くんは急に落ち着いて、前を見つめた


「桐谷くんに聞きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「僕が寝てること、なんでだろうとか、ずるいとか思ってる?」


そう言うと晴留くんは、おれを真面目な目で見つめる。

もしかして、晴留くんの悩みだったりするのかな。そう思うと答えるのが怖い。でもこういうのは素直に答えないとダメな気がする。 


「正直、不思議だなって思ってた。でもずるいとは思ってないよ。」


すると晴留くんは目を大きく開いて顔を近づけてきた


「嘘ついてない?」

「ついてないよ!」

「本当に?!」

「本当だよ!寝ててずるいって意味わからなくない?」


すると晴留くんは安心した表情になって、顔を離した


「良かった…ありがとう、正直に答えてくれて。」


良い回答だったらしい。変に嘘つかずに本当のことを言って良かった。

すると晴留くんは深呼吸をしてからまた口を開いた。


「僕、特発性過眠症っていう病気なんだ」

「とくはつせいかみんしょう?」

「ちゃんと夜寝てるのに、日中に異常な眠気を感じる病気」


じゃあいつも寝てしまってるのは病気のせいなのか。


「いつの間にか寝ちゃってるの?」

「うん。耐えることはできるけど、それに限界が来ちゃうと寝ちゃうんだ」

「そうなんだ。でも、寝たらスッキリしない?」

「いや、寝ても爽快感がないのがこの病気の特徴なんだ。だから身体が重いままなんだ。」


おれは5時間目の休み時間の眠気を思い出す。あれがずっと続いているのか…キツいな。

それに起きた時に周りをきょろきょろするのは、状況が把握できなくてやってしまうんだって。状況がわからないのも怖いよな。


「本当に晴留くんは大変な思いをしてるんだね」

「でも寝ちゃう病気って、信じられないでしょ。だからみんなには話せなくて…」


確かに。否定されていろいろ酷いこと言われそうで話すの怖いかも。…あれ、でも


「なんでおれには話してくれたの?」


昨日まであまり話したことなかったよね?

おれで良かったのかな?

すると、晴留くんは優しい表情でおれを見た


「桐谷くんなら分かってくれるかなって思ったんだ」

「えっ、なんで?!」

「だって優しいイメージだったし、寝ちゃってた時に、桐谷くんだけが僕を起こして一緒に授業行ってくれたし!」


な急に褒められてびっくり。だけど嬉しいな。


「ありがとう」


照れながらもそう言うと晴留くんは満足そうな顔をする。

…おれも、晴留くんになら話してもいいかも。


「晴留くん、おれも話したいことがある」

「なにー?」


おれは自分が持っている脱力発作について話した。すると晴留くんは目を大きくする


「そんな大変なことが毎日起こってるの?!」

「個人差はあって、おれは毎日起こるタイプ。でも本当に軽いやつだけだよ!」

「それでも大変だよ…」


晴留くん、そんなに心配してくれるんだ


「晴留くんの症状のほうが大変だと思うけど」

「そんなことないよ。それに、桐谷くんも大変な思いをしてるのは事実でしょ!」


確かに。大変な思いをしていることには変わりないのかも。それなら…


「おれ、晴留くんの力になるよ!」

「僕、桐谷くんの力になるよ!」


あ、また同時に言った。

言葉がぐちゃぐちゃになったけど、晴留くんがなんて言ったかわかった。それは晴留くんも同じらしい。

おれらは笑うと顔を合わせた


「お互い助け合お」

「そうだね!桐谷くん!」

「八代でいいよ。なんか苗字呼びって壁がある気がするし」

「わかった。じゃあ僕のことは晴留って呼んで!」

「わかった!」


すると晴留は、手をおれの前に出す。そして真っ直ぐな視線を向けた


「よろしく!八代!」

「こちらこそよろしく!晴留!」


おれは晴留の手を握ると、2人でニッと笑った

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こころのピース 夜明け @yu_ri0615

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