祝祭にありて歌姫に寄する歌 2
いきつけのキャバクラで、オキニのサキちゃんのおっぱいを触りながら先のような自分の不幸をべらべら話し、したこま酒飲んで、お金をしっぽり取られて店を出た。
「へへへ……、へへ……、……」
……何やってるんだろうな。
高揚感が解け、冷えた頭でそう思う。
けれど手にはまだ残るサキちゃんの乳房の感触と、香水の匂い。忘れがたく、後を引く。
ああ、ひどくくるしい。こんなことでしか自分の憂さを晴らせない自分に腹が立つ。
けれども憂さがかなり晴らされてしまっていることも事実で、乳房の感触も真実で、話したことに嘘がなくて、それががらんどうの薄っぺらいもので、甘臭い香水の匂いと、夜の寒気が襲ってきて。つまりは。
自分はしっちゃかめっちゃかに打ちのめされていた。
『これはだれにでもあるものがたり だれのものでもないものがたり』
打ちのめされていると、機械音声丸出しの歌声が聞こえてきた。そしてへたくそなキーボードの音。何かが自分の心に触れた。気がつくと、自分は憑かれたようにその方を向いて歩き出していた。
「これは機械音声だね。あなたはうたわないのか?」
駅前の賑やかな場所で、一人空白を作っている灰色のパーカーを着た女はすぐ見つかった。キーボードを面白くなさそうに弾いているマスクをした女。年齢はそんなに若いというわけでもないように見えた。傍らにはノートパソコンがあって、そこから機械の音声が漏れ聞こえる。音楽の終わりを持って話しかけた。
「自分の声ではうたいたくないの」
僕の声に反応して少女は首を曲げた。
「なんで?」
「私は誰かに歌って欲しいの。けれどいないから、この子がその代わり」
「そう。でも変わってるね。街で演奏しているのにボーカルが機械音声だなんて」
「本当は、あなたとのやりとりも機械音声で済ませたい」
「はは」
自分は笑う。女は今まで忘れていたかとでも言うように尋ねてきた。
「で、あんただれ?」
「自分? ただの雑文ライターだよ」
「なんだか、おかしい。一人称が自分だなんて」
「そうかな」
「軍隊の人みたい」
「はは、そうかも」
「実際は?」
「全然違う」
「そ」
つまんなさそうにマスクをした女は言った。
「それにしても、演奏、下手だね」
「うん、わかってる」
特に傷ついた様子もなく女は言った。
「全部打ち込みで済ませればいいのに」
「そうかも、でもそうすると私、することないし」
「それもそっか」
「バカみたいに立ってるのは本当にバカみたいだなって思って楽器の演奏習い始めた」
「いや、その気持ちはすばらしいと思うよ」
「そうね、私もそう思うわ」
「でもこの腕じゃあ、人より付かないね」
「あなたが邪魔してるからよ」
少し眉をしかめてみせる女。
「そうかも」
「でも悪くない。こうして話すのも、この子に歌ってもらうのと同じ」
「そう、か」
「ねえ、あんた、どんな記事書くの」
「下手くそな記事だよ」
自分は言った。
「見せて」
「気が重い」
「なんで」
「自分でもめったに見返さないんだ。嫌すぎて」
「だったらなおさら見たい」
「どうしても?」
「どうしても。ほら、このラーンのコード読み込んで?」
「わかった」
自分はそう言って女とラーンでつながり、ショートメッセージを送信しようとして手が止まる。
「杏奈(死に場所を探しています)、か、あまり良くないプロフだね」
「そうね」
「なにか死にたいと思うようなことあるの?」
「あれば、よかったのにね」
「そっか」
「……」
杏奈とプロフに書いてある女の無言が嫌だったので僕は口を開いた。
「自分も死にたいと時に思うけど、そう思えるような理由が人生には特にないんだ」
「そ」
「……それはどちらも、強いからでしょ」
突然、機械音声がぎこちなく話し始めて僕はびっくりした。
「死にたいと思えるようなことが何もないってことはそれだけ強いってこと。幸せなこと」
「そうかなぁ」
杏奈は機械音声に臆することなく語りかけて、自分はそれにびっくりする。
「待て、なんでこの機械音声普通に、いやぎこちなくではあるがしゃべってるんだ?」
「あははー、種を明かせば機械音声を使ったボイスチェンジャーだよー。つまり中の人がいるの」
機械音声が笑う。
「中の人?」
「そ、私のWeb上のお友達。あったことはないけど外に出たくないって言う人」
杏奈が横から口を挟んだ。
「そうか」
「私も見たいな、あなたの記事」
機械音声の子も自分の記事をねだった。
「ほら、さっきの続きのお願い」
杏奈という死に場所を捜している女もねだる。
「わかったよ。ほれ」
メッセージを送り、それは二人に共有される。
「ふうん、悲しい記事ね」
杏奈は素っ気なく言った。
「……」
「まあ悲惨な出来事を記事にしたからな」
「でもあまり胸には届かないような?」
機械音声も言う。
「あまり深く届くように書いてもいけないんだ。読んだ人の心が必要以上に重くなるだろ」
「そういうの、いけないの?」
「万人向けのチューンをしなくちゃ、このサイトを見てくれる人が減るだろ。それにこれでも傷ついてくれる人はいる。傷つくのが大好きな奴がいる。本当は傷ついていないんだが傷ついたつもりになってしまう奴もいる」
「あなた、饒舌ね」
杏奈がつぶやく。
「そうだね、なんか話しやすい、キャバクラでもあけすけに話す方だしね」
「ふうん」
「それとも君が聞き上手なのかもね」
「もしかして、キャバ嬢とか向いてるかな、私」
「なんないほうがいいよ」
「でも、お金、もらえるなら欲しいし」
「お金稼げると思ってお店に入っても、先輩方からホスクラに連れて行かれてホストの新しい養分にされるだけだよ。少なくとも今日僕の相手してくれたサキちゃんはそうだった。最初は美容師の専門学校行くお金を一生懸命貯めていたんだけどね」
「……」
「ホストにはまるとね、目がね、死んでいくの。いや、ホストクラブではどうだか知らんよ。でもお金を稼ぐキャバクラでは金に染まった目に変わるの。僕のことをただの金づるにしか見れない目に。でもどうしようもできない。入店連絡もバンバン来るし、可哀想だなーと思いながらしぶしぶお金を払ってる」
「……」
「これが本当の悲しい話だと思うけど、僕はそんなことは書けない。悲しすぎて」
「でもこれ、あなたのかいた記事、人が死んでるじゃん」
「まあ、記者が書けって言うし。僕は取材か情報を元になるべく穏便に書くだけだよ」
「なーんか二重規制」
「まあそんな感じで自分は人生をやりくりしてるわけだ」
「欺瞞」
杏奈は吐き捨てるように言った。
「そうだよ。全部そうなんだ」
僕は答える。
「かわいそうなんですね」
機械音声も言う。
「ああ、かわいそうなのかも。でも、自分には、小説で食っていける、小説の才能が無いから……」
自分はつぶやく。それは今まで生きていてようやくに感じた確信ですらあった。
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