第28話 霧の奥の影

三木が霧の中に足を踏み入れると、冷たい空気が肌を刺し、周囲の音がすべて消え去ったように感じた。鈴を握る手が冷たくなる一方で、どこか温かみも帯びている。その不思議な感触が、彼の緊張をさらに高めた。


「ここには…まだ何かがいる…」


道が完全に静寂を取り戻したはずだったが、霧の中には未だに怨念の残滓が漂っているように感じられた。彼は慎重に歩を進める中で、奇妙な模様が地面に浮かび上がっていることに気づいた。それは、かつて見た封印の呪術的な円に似ていたが、中心部分が崩れ、不完全な形をしていた。


「これは…封印の一部?」


三木が模様を調べようとしたその瞬間、霧の奥から低いうなり声のような音が響いた。彼が顔を上げると、ぼんやりとした人影が霧の中に立っていた。


影との対峙


その影は、人間の形をしているようだったが、どこか歪んでいた。肩や腕、脚の輪郭が揺らめき、実体があるのかさえ分からない。影はゆっくりと三木の方へ近づきながら、低い声で囁くように語りかけてきた。


「お前もまた…この道に囚われるのか?」


その声は何人もの人間が同時に話しているかのように聞こえ、不気味だった。三木は恐怖を抑えながら影に問いかけた。


「お前は誰だ?この道に何をしている?」


影は一瞬動きを止めたが、次の瞬間には再び霧の中を漂いながら語り続けた。


「私は…封印の影だ。この道が平穏を取り戻すたび、私は形を失い、漂い続けるしかない。だが、完全には消えない。私はここに縛られた者たちの残滓…」


三木の胸に冷たい恐怖が広がった。封印の儀式は成功したはずだったが、それでもこの「影」は完全に消えることなく、道に取り残されている。


「お前がここにいる限り、この道はまた危険にさらされるのか?」


三木がそう問い詰めると、影は静かに答えた。


「私はこの道そのものと同化している。この封印がある限り、私はここに存在し続ける。だが…お前が望むなら、完全に消すことも可能だ。その代わり…」


影の言葉が途切れ、霧がさらに濃くなった。三木は息を飲みながら続きを待った。


「その代償として、私の存在を受け入れ、道の新たな守護者となる覚悟が必要だ」


選択の時


影の言葉に、三木は言葉を失った。封印を完全なものとするには、自分がその守護者として影を受け入れ、この道に縛られる覚悟をしなければならないというのだ。


「俺が…この道に囚われる…?」


心の中で葛藤が渦巻いた。道を守ることは、自分がずっと感じていた使命だった。しかし、それが自分自身を犠牲にすることを意味するとは思っていなかった。


影は再び近づきながら、淡々と語り続けた。


「お前が選ぶべきだ。この道を見守る新たな存在となるか、それとも、今を保つだけで先送りにするか」


三木は鈴を握りしめ、深く息を吸った。女性が命を懸けて守った道を、また危険にさらすことはできない。しかし、自分の犠牲がその解決策であることに、恐怖を感じざるを得なかった。


「俺がその存在になれば…本当に道は安全になるのか?」


影は微かに頷いたように見えた。


「私が完全に消え去ることができれば、この道は再び怨念の影響を受けることはない。ただし…お前の魂がこの道に結びつくことでのみ、それは可能だ」


決意


三木は目を閉じ、過去の出来事を思い返した。彼女の犠牲、解放された行方不明者たちの笑顔、そして道が再び静寂を取り戻した瞬間。それらすべてが、自分をここに導いていた。


「分かった。俺が選ぶ。俺がこの道を守る新たな存在になる」


彼の言葉に影は静かに頷き、霧が大きく渦巻き始めた。その渦の中心で、三木は鈴を高く掲げた。鈴が鳴り響き、霧と影が徐々に薄れていく。


「お前の決意を受け入れる…」


影の声が消えた瞬間、霧が完全に晴れ、道は穏やかな光に包まれた。三木は静かに目を閉じ、自分の中に新たな責任と力が宿るのを感じた。


道の守護者として


それから数日後、道は何事もなかったかのように平穏を保っていた。人々はその道を通りながら、変わらぬ日常を送っていた。しかし、道の奥深くには、鈴の音を背負いながら静かに見守る一人の男がいた。


彼の名は三木——この道の新たな守護者となり、平穏を永遠に守るために存在する者。


道の風景は静かで美しいが、その奥底には、忘れられることのない物語が刻まれている。そして、鈴の音が響くたびに、彼はその物語を静かに見守り続けていた。

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