一章 和の国の姫君、果ての地で決意す ―②

 思わず声を荒らげた。カマールは不愉快そうに眉をひそめている。


「なんでしょうか。早く商談をまとめたいのですが」

「私をスルタンへ献上するって……本気なの」


 必死になって問いかければ、カマールは青い瞳をゆるりと細めた。


「ええ。そのつもりですが?」

後宮ハレム行きってこと!? 冗談でしょう……!?」

「まさか。以前も言いましたよね。最も尊い方への贈り物にすると」


 衝撃的だった。混乱して変な汗がにじんでくる。

 ハレム──スルタンのために美しい女奴隷が集められた場所。旅路の最中にカマールが教えてくれた。おおぜいの女を囲うなんて物好きだとあきれていたのだが──

 ──まさか、自分が入る羽目になるなんて思わないじゃない!?

 私は至高の存在への貢ぎ物。だから丁重に扱われていたのかと納得した。


「ねえ。私を送り込んでも、なんにもならないと思うの」


 考え直せと視線で訴える。

 焦っていた。こちとら〝てんひめ〟である。自他ともに認める器量なしだ。美女がウヨウヨいるハレムに入れられても場違いだろう。贈り物どころか迷惑料を取られかねない。


 ──故郷では容姿なんて関係ないって豪語できたけれど。


 ここはどうあっても異国だった。身につけた能力や知識が役に立つとも思えない。


「あなたなら問題ないですよ」


 カマールはゆうしゃくしゃくだった。自信さえうかがわせる不敵な笑みを浮かべている。

 しゃくに障る顔だ。無性に腹が立ってくる。


「あのねえ……」


 どんな根拠があるというのか。詰め寄ろうとすると、買い手の男が割って入った。


「まあまあ。不安がるのはわかるが……」


 男の顔を見たとたん、脳裏にとある考えがひらめいた。

 私がどれだけ器量なしかを証明できたら、ハレム入りは回避できるんじゃ?

 ──よし、やろう。

 即決だった。男へ近寄り笑顔になる。


「じゃあ、確認してくれる?」

「え? え? え?」


 困惑している男をよそに、ヒジャーブをわしづかみにして取り払う。


「私がハレムにふさわしいか。ちゃんと見てから買って!!」


 はらり。灰色の布が地面に落ちる。久しぶりに外気に触れた髪がこぼれた。


 ──さあ、思いっきり罵るがいいわ!


 覚悟を決める。なのに、男から返ってきた反応はまったく想定外のものだった。


「なんて神秘的だろう!」


 瞳を輝かせた男は、がっしと私の肩をつかんだ。興奮気味に叫ぶ。


「目がいい! アメジストみたいな瞳に吸い込まれそうだ。ツンととがった鼻がつつましい。れいな肌だ。シミひとつない。きゃしゃなのに胸があるのもいい。背丈もちょうどいいし、なによりこの黒髪! 夜の色だ。綺麗だな。ずっと眺めていたい。カマール、極東の島国の女ってみんなこうなのか? ああ、なんて言ったらいいか……」


 ずいっと顔を近づける。頰をほんのり染めて、男は断言した。


「すごい美人だな! 皇帝陛下も気に入るに違いない!! ぜひ買わせてくれ!」


 ──な、なんだって────!?

 脳天に雷が直撃したような衝撃だった。

 予想外の褒め言葉に混乱する。短所だと思っていた部分をぜんぶ肯定されてしまった。

 私が美人? 冗談でしょう!?

 性癖が特殊すぎる。変わり者なのだろうか……。

 ドキドキしていると、知らぬ間に辺りが静まり返っていた。そろそろと周囲の状況を確認すれば、なぜか奴隷市場にいた人々の視線が集まっているではないか。


「ちょっと。アンタがこの子の売り手かい?」


 ひとりの商人がカマールに声をかけた。重そうな革袋を取り出して断言する。


「言い値で買おう。いくらだ?」

「……はっ!?」


 変な声がもれる。なんだって? お前もか。

 頭を抱えたくなっていると、周囲の人々がカマールに殺到した。


「おい。俺は三倍出すぞ」

「いやいや。こっちは五倍だ。なんなら子羊もつける!」

「落ち着いてくれ。彼女を売る相手は決まっていて──」

「「「どうでもいい。いくらで売ってくれるのかと聞いているんだ!」」」


 あの奴隷を売れ、どうしたらいい! あちこちで怒号が飛び交った。とんでもない騒ぎだ。市場に集められた奴隷たちが、ポカンと騒動を見つめている。


「どういうこと……?」


 ぜんとするしかない。たまたま変わり者が大集結したわけではなさそうだ。

 誰もが口々にこう言っている。


「あの娘なら、スルタンのちょうあいを得るのも容易に違いない!」


 ──なんなの。誰か説明してよ!

 ぼうぜんと立ち尽くしていると、群衆を割って男が近づいてきた。


「お前ら、道を空けろ!」


 偉そうな態度の男だ。羊毛で織られた白く丈の高い帽子を被り、帽子には大きな羽根に宝石がはまった帽章がついている。腰帯には半月刀をいていた。軍人だろうか。部下をふたり従えた男を見るなり、誰かが「イェニチェリだ」とささやいた。


「イェニチェリって……?」

「皇帝直属の歩兵部隊ですよ」


 すぐさまカマールが答えをくれる。いけ好かない雰囲気をまとった男は、皮肉な笑みをたたえ、いけしゃあしゃあと言い放った。


「女をよこせ。俺のものにする。別に構わんだろう。我々イェニチェリがいたからこそ、帝国に栄華がもたらされたのだからな。ありがたく差し出せ!」

「ふざけんじゃねえぞ!! こっちは金を払うって言ってんのによ!」


 げきこうした商人が殴りかかった。綺麗な一撃が男の顔にさくれつする。


「なっ……なにをしやがる!」


 男は腰の刀に手をかけるも、別の商人が小気味よい追撃を見舞った。


「スルタンの親衛隊だか知らねえが、お前らの好きにはさせねえぞ!!」


 気がつけば乱闘が始まっている。軍人相手にまるで容赦がない。民から尊敬されていないようだ。関係ない人々も、やんややんやとはやてている。


「これはどういう……」


 後ずさると、カマールがため息混じりに言った。


「あなたなら問題ないと言いましたでしょう?」


 じっと私を見つめて困り顔になる。


「和の国ではどうだったか知りませんが、この辺りであなたは美人の類いです」

「ええ……?」


 顔が引きつった。どう反応すればいいかわからない。


「逃げますよ」


 カマールが神妙な顔つきで言った。こくりとうなずく。慌ててヒジャーブをかぶなおした。男たちの視線が恐ろしかったのだ。


「ともかく落ち着ける場所へ」


 カマールと共に駆け出す。

 こうして私たちは、騒ぎが大きくなっていく奴隷市場から逃げ出したのだった。

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