一章 和の国の姫君、果ての地で決意す ―①

 奴隷商人は、そのまま船で大陸に渡り、絹の道と呼ばれる交易路をひたすら進んだ。

 故郷が滅ぼされてから一年後。ようやく目的地に到着する。

 ダリル帝国首都、アレハンブル──

 きんかくわんを挟み、ふたつの大陸にまたがって栄えている町だ。


 到着するなり、奴隷商は市街中心部に位置する天蓋市場カパル・チャルシュにやってきた。

 広大な土地に作られた屋根つきの市場だ。対立していた国を打ち倒し、アレハンブルの地を帝国が手に入れた時に建設されたという。

 故郷にも市は立っていたが、ここはなにもかもが違った。弓形に張ったはりには多種多様な幾何学模様アラベスクが描かれ、店頭をにぎわせている品も自己主張が強い。

 精緻な文様が織り込まれたじゅうたん。賑やかな色遣いの絵皿。山盛りの香辛料。行儀よさそうにきちんと並べられた乾果類。自慢の品をそろえた店が、数え切れないほどひしめき合っている。色の洪水だった。素朴な故郷とは大違い。


 行き交う人だってさまざまだ。男女問わず、父より背丈がある人も珍しくない。肌の色だってすれ違う人ごとに異なる。男性はゆったりとした服にくちひげ。女性は体のほとんどを隠す服を着ている。

 辺りは香と香辛料の匂いで満ちていた。故郷より乾いた空気。人々の口から飛び出すのは、和の国語とは似ても似つかない言語。見るもの聞くものすべてが初めてだった。まぎれもない異国だ。


 ──こんな遠くまで来てしまった。


 胸が押しつぶされそうになる。帰りたかった。里はどうなったのか。両親や、ばあやは無事なのだろうか。確認したいが無理な話だ。

 じゃらり。手首にはめられたかせが硬い音を立てた。


「大丈夫デスか?」


 先導していた奴隷商が振り返る。男の名はカマールと言った。


「疲れたデショ。少し休憩してもいいデスよ」


 ゆるりと青い目を細める。優しげなまなざしにムッとした。


いいえハユル大丈夫よスクントゥヨク


 道中で学んだダリル語で返すと、うれしそうに笑む。


わかりましたアンラドゥム


 満足げにうなずいて、再び歩き出した。ゆったりとした歩調だ。彼からすれば小柄な私が疲れないように気遣ってくれている。


 ──いったいなんなのよ……。


 カマールはダリル帝国に拠点を構える奴隷商だ。商品となる人間を探して、極東までわざわざ足を延ばしたという。

 大陸行きの船に乗せられた時は、荒れ狂う海に死をも覚悟した。


 ……が、思い返してみれば大変だったのはそこくらいだ。長い旅路、それなりの苦労はしたものの、過酷さはそうでもない。拍子抜けである。

 ひどい扱いを受ける覚悟をしていたのに、カマールを始めとした隊商の人たちは、たいそうよくしてくれた。食事をきっちり与え、医者に診せ、惜しみなく薬を使い、馬やらくに乗せてもくれ、宿にも泊めてくれた。衣服だってそうだ。質は悪くないし、その時々に適したものを用意してくれる。いまの私はアレハンブルに住まう女性たちと同じく、目もと以外を覆い隠した恰好をしていた。


 ──商品だもの。粗野な扱いはしないと思うけど。それにしたって……。


 道中、ダリル語の教育すら施してくれたのだ。破格の扱いだった。鉄の枷でつないでいなければ、旅の連れとあまり変わらない。これだけ手間をかけて仕入れ、知識を仕込むだけの価値が奴隷にあるのだろうか。


 ──理解できない。


 未知の国。未知の民族。常識すら推し量れない。

 なにもかも違う環境に目が回りそうだった。これから私はどうなるのだろう。

 頭からすっぽりかぶった襟巻きヒジャーブの中で唇を嚙みしめた。大人しくカマールの後について歩く。故郷が恋しくて仕方がない。けれど、逃げようとは思えなかった。帰りたい場所から離れすぎている。糧を得るあてはない。逃げ出したらすぐ飢えて死んでしまうだろう。私はそこらの子どもよりぜいじゃくだ。


 ──情けない。


 涙は出なかった。一年もの旅路で飽きるほど悲嘆に暮れたからか、とうにてている。ぽっかり胸に穴が空いたようで感情が動かない。ひどく冷淡なもうひとりの私が、悲惨な運命を行く自分を他人ごとのように眺めている感覚があった。


 ガラン、ガラン!


 激しい鐘の音がして、ハッと顔を上げた。気がつけば周囲の雰囲気が様変わりしている。店頭にひしめいていた商品は姿を消し、代わりにおおぜいの人間が並んでいた。

 奴隷市場だ。

 人々が縄で繫がれていた。生成りの絹を思わせる肌の人や、闇に溶けそうな色の肌を持った人が多い。市場は盛況だった。おおぜいの客が商品の前で足を止めている。

 乳房をあらわにした女性を見つけた。裕福そうな身なりの男が淡々と品定めしている。奴隷とはいえ相手は同じ人間だ。どういう感情で眺めているのだろう。

 まさか、私もああやって──?


「やはり調子が悪いようですねえ。動きが硬い」


 カマールが顔をのぞんできた。ダリル語である。カタコトの和の国語は封印したようだ。くすりと笑んだ彼は「不安ですか」とたずねた。


「当然でしょう」


 こちらもダリル語で答えると、そうですかとうなずいた。


「安心なさってください。あなたを使い捨ての奴隷のように扱いはしません」

「……どういうつもりなの」

しかるべき客のもとへ商品を届ける。商人としての基本でしょう?」


 どこか読み切れない表情を浮かべ、更に奴隷市場の奥へ進んでいく。


「カマール!」


 ひとりの男性が駆け寄ってきた。焦げ茶の髪にへきがん。筋肉質でがっしりした人物だ。カマールと握手を交わした男は、宝石にも似た瞳で私をマジマジと眺めた。


「この奴隷か?」

「ええ。極東の島国で仕入れてきました」


 カマールの頰が緩む。私を見つめて、なぜか誇らしげに言った。


「スルタンへ献上するのに最もふさわしい女性です」

「──は?」


 聞き捨てならない言葉に、変な声がもれた。


 ──皇帝スルタン……??


 困惑している私をよそに、どんどん話が進んでいく。男が買い手のようだ。売り渡した後の段取りに話が及んでいる。


「待って! 待ちなさいよ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る