序章ー③
数日後──
無我夢中で山中を走っていた。心臓が破裂しそうだ。
「姫様! お早く!! さあ!!」
ばあやが
ぎゅうっと胸が苦しくなって視界がにじむ。木立の向こう、涙でよく見えない視界の中に、
父が戦から戻ってきた日からそう
『今生の別れだ』
燃えさかる天守閣で、父は言った。
『嫌です! 共に戦います!!』
抵抗を見せた私を押しとどめたのは母だ。
『逃げるのです。ここはもう駄目』
『では、お母上も……!』
『わたくしは残ります。こんな体では敵も逃がしてはくれないでしょうし』
大きなお腹をそっとさする。決意のこもったまなざしを私に向けた。
『息子はすでに脱出させました。残るはあなただけ。自由になりなさい。普通の女としてどこかで幸せになるのです』
『そ、そんなの無理です。私は、私は……』
『大丈夫だ。お前ならできる』
父が手を伸ばしてきた。血と汗、
『言ったろう? 藤姫は我らの誇りだ。強く生きられるように育ててきた』
ゴツゴツとした指先が涙の跡をたどる。
絶望の
『どんな時だって美味い飯さえ食えばなんとかなる。行け! 生き延びるんだ!!』
ドンと突き飛ばされた。父と母は炎うずまく城内へと戻っていく。
『お父上、お母上ッ……!!』
必死に叫ぶが、崩れてきた
『行きましょう』
失意に暮れる私を連れ出したのは、ばあやだ。母の乳母をしていた人。最も信頼している教育係だ。隠し通路を通って裏山の中腹に出る。外の空気はひんやりと冷たく、熱風がうずまく城内とはまったく違った。
『逃げますよ』
『どこに?』
『帝のもとへ。きっと
ばあやと共に山中を駆けた。息が弾み、体じゅうが痛みを訴えている。
思考は止めたまま、現実から逃げるようにひたすら走り続けて──いまにいたる。
「どうしてこんな……」
ぽつりとつぶやいて涙をこぼした。なにも考えられない。いや、考えたくなかった。
脳裏に浮かんだのは両親の姿。守らなくてはいけないと思っていた民の笑顔。
──すべて失ってしまった。なにもかも炎に包まれてしまった!
煙の臭いがするたびに心がえぐられる。現実に理解が追いつかない。
──
喪失感、絶望感、悲壮感。あらゆる負の感情に見舞われて押しつぶされそうだった。
「大丈夫ですよ。ばあやがついておりますから」
そっと手を握られて胸が苦しくなった。涙を優しく拭ってくれる。
「いつもの姫様らしくありませんよ」
ばあやの言葉に
──そうだ、私はおてんば姫じゃないか。メソメソなんて似合わない。
「そうだね。都へ行こう。落ち込むのはそれから」
顔を上げて笑顔になる。強がりでもいい。ともかく気分を奮い立たせたかった。
ドカッ!
鈍い音がした。
「……あ」
ばあやの顔が
いつの間にか見知らぬ男が忍び寄っている。汚らしい
「いやあああああああああああ!!」
わけもわからず悲鳴を上げれば、男は
「手間ァとらせやがって」
「きゃあっ!」
「暴れんじゃねえぞ」
「ひ、姫様、逃げて……」
「うるせえババア! てめえは黙ってろ!」
「ぐうっ……!」
蹴られたばあやが沈黙する。あっという間に、猿ぐつわを
「なあ。たぶんコイツだ。確認してくれよ」
背後を見る。そこには異彩を放つ風体の人物が立っていた。
「
異国の男だ。病的に白い肌を持ち、海を思わせる青い瞳を持っていた。特徴的なのは服装だ。長布をゆったりまとい、頭には幾重にも布を巻き付けてある。
「東の果てマデ来た
カタコトの和の国語を操った男は、私の前に膝をついた。
顎を持ち上げてしげしげと眺める。美術品を品定めするような
満足したのか、男はゆるりと目を細めた。
「アナタを最も尊い方ヘノ贈り物に」
衣をひるがえして立ち上がり、野盗に指示を飛ばす。
ばあやは置き去りにして、私だけを連れていくつもりのようだ。
手足を拘束された私になす
野盗の背から、轟々と燃える故郷の姿を
異彩を放っていた男はダリル帝国から来た奴隷商だ。
為政者の娘として、己の使命をまっとうしようとしていた矢先──
見ず知らずの地で奴隷として生きるはめになった。
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