序章ー②
「大丈夫。怒ってないわよ」
へらっと笑顔になると、誰もがホッと胸を撫で下ろしていた。
まあ、ひどいあだ名だとは思うけどね。
怒る必要なんてなかった。実際、私は
鼻は高く、目はギョロギョロと大きい。身長はそこらの男くらいあるし、胸はちっとも
書画に描かれる美人とは正反対の容貌……。
ついたあだ名が〝天狗姫〟。
正直、一国の姫としてはよろしくなかった。容姿は優れていた方がいい。
だけど──
「……ひ、姫様。本当にすみません」
頭を下げた男に「いいのよ、気にしてないから」と笑う。
「姫様!」
息を弾ませた百姓が駆けてきた。頰が紅潮していて、どことなく嬉しそうだ。
「殿様が帰ってきた! 戦に大勝したそうだよ!」
「──本当!? 急いでお迎えの準備をしなくっちゃ!」
ウキウキと答える。近くにいた女が気遣わしげに声をかけてきた。
「あの、本当に気にされてないんで?」
ぱちくりと目を
「ええ。もちろん。私には容姿以上の価値があるもの」
自信たっぷりな様子に女は驚いたようだった。ひらりと身をひるがえして城を目指す。
戦勝祝いだ。戦場で疲れ切った男たちを癒やさねばならない。
男は武功をあげ、女は家を守る。それが私たちの生き方だ。
*
勝利の
浮かれた空気が満ちる中、城に戻った私は茶を
「見事な
不敵な笑みを浮かべたのは山中朔之介。私の父だ。
「旦那様がご不在のおりも稽古に励んでおりましたからね」
コロコロ笑ったのは私の母。大きなお
「ありがとうございます。お父上もおめでとうございます。見事な勝利だったとか」
「ああ。にっくき
余裕たっぷりに答えた父だが、実際は日を追うごとに状況が厳しくなっている。群雄割拠の時代はひとつの節目を迎えようとしていた。
代々、
「藤姫、近々お前を嫁に出すぞ」
父の言葉に息を
「聞いたぞ。
父の瞳は
「もちろんでございます」
まなざしをまっすぐ受け止めた。父は楽しげに目を細めている。
「ほう。ちまたではお前を〝
「できる、と。そう言っています」
淡々と答えてふわりと笑みをたたえる。私にはひとつとして迷いがなかった。
「器量なしの私に、お父上は最高の教育を施してくださいました。舞踊、演奏、詩作、茶の湯の作法。書を惜しみなく与え、男にも負けぬ知識を持つにいたりました」
次に母をみやる。
「お母上からは主君を支える妻としての役割を学びました。立ち居振るまいから、女衆への差配の仕方。籠城に必要な知識。天守閣に攻め入ってきた
「まあ」
クスクス笑う母に笑顔を向けて、再び父を見つめた。
「私以上に、武家の妻としてふさわしい人間がおりましょうか」
任せてくださいと胸を張る私に、父は相好を崩した。
「そのとおりだ。どこに出しても恥ずかしくない。藤姫、お前は我らの誇りだ」
父の言葉に胸が熱くなった。嬉しく思っていると、両親が
──私も、まだ見ぬ夫とこんな関係になりたいな……。
そのためにもがんばろう。決意を新たにすると、父が真面目くさった顔になった。
「他家に嫁ぐお前に言葉を贈ろう。心して聞けよ、藤姫」
「はい」
居住まいを正した私に、父は一転して茶目っけのある表情になった。
「どんな時だって
「やだ。あなたったら!」
母まで笑い出す。私もついつい噴き出してしまった。大笑いしていると、眠っていた弟がグズり始める。父が抱っこしてやると「母がいい」と暴れて大変だった。
なによりも心安らぐ時間だ。遠い地に嫁ぐ私に勇気をくれる。
──そう思っていたのに。
時代は容赦なく私たちを吞み込んでいく。夢も希望もすべて
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