序章ー②

「大丈夫。怒ってないわよ」


 へらっと笑顔になると、誰もがホッと胸を撫で下ろしていた。

 まあ、ひどいあだ名だとは思うけどね。

 怒る必要なんてなかった。実際、私はしこだからだ。

 鼻は高く、目はギョロギョロと大きい。身長はそこらの男くらいあるし、胸はちっともつつましくない大きさ。なのにやせ型で肌も白くない。自慢できるのは、黒髪と藤の花を思わせる瞳の色くらいだ。

 書画に描かれる美人とは正反対の容貌……。

 ついたあだ名が〝天狗姫〟。

 正直、一国の姫としてはよろしくなかった。容姿は優れていた方がいい。

 だけど──


「……ひ、姫様。本当にすみません」


 頭を下げた男に「いいのよ、気にしてないから」と笑う。


「姫様!」


 息を弾ませた百姓が駆けてきた。頰が紅潮していて、どことなく嬉しそうだ。


「殿様が帰ってきた! 戦に大勝したそうだよ!」

「──本当!? 急いでお迎えの準備をしなくっちゃ!」


 ウキウキと答える。近くにいた女が気遣わしげに声をかけてきた。


「あの、本当に気にされてないんで?」


 ぱちくりと目をまばたいて、にこりと笑う。


「ええ。もちろん。私には容姿以上の価値があるもの」


 自信たっぷりな様子に女は驚いたようだった。ひらりと身をひるがえして城を目指す。

 戦勝祝いだ。戦場で疲れ切った男たちを癒やさねばならない。

 男は武功をあげ、女は家を守る。それが私たちの生き方だ。



 勝利のしらせに沸いた里の熱気は、陽が落ちてもなお冷めやらなかった。遠くから笑い声が聞こえる。振るまい酒に酔っ払った誰かが、騒いでいるのかもしれない。

 浮かれた空気が満ちる中、城に戻った私は茶をてていた。ちゃせんを振るうたび、軽快な音が部屋に響く。慣れた仕草でちゃわんを差し出すと、目の前の人は一気に飲み干した。


「見事なまえだった。また腕を上げたな? 藤姫」


 不敵な笑みを浮かべたのは山中朔之介。私の父だ。


「旦那様がご不在のおりも稽古に励んでおりましたからね」


 コロコロ笑ったのは私の母。大きなおなかで窮屈そうに座っていて、隣では幼い弟がすやすやと寝息を立てていた。


「ありがとうございます。お父上もおめでとうございます。見事な勝利だったとか」

「ああ。にっくきの侍どもを出し抜いてやったわ。しばらくは手も足も出せまい」


 余裕たっぷりに答えた父だが、実際は日を追うごとに状況が厳しくなっている。群雄割拠の時代はひとつの節目を迎えようとしていた。

 代々、みかどが治めてきた和の国に変革の気配が漂っている。原因は尾田家だ。都へ攻め上り、現帝を廃して政権を得ようとしている。かつてはうつけと呼ばれた尾田家当主だが、着々と勢力を伸ばしていて、けっして侮れない存在となっていた。一方、我が家は古くから帝に仕えてきた家系だ。現帝とも強い結びつきがあり、帝派の最大勢力のひとつである。尾田家をのさばらせておくわけにはいかない。


「藤姫、近々お前を嫁に出すぞ」


 父の言葉に息をんだ。婚姻により他家とのつながりを強固にする、人質と言い換えても差し支えない政略結婚である。とうとう、その時が来たのだと緊張感が高まった。


「聞いたぞ。わしの不在中、好き勝手に外へ出て、伸び伸びと過ごしていたようではないか。嫁に出れば自由などなくなる。覚悟はあるか」


 父の瞳はえと冷え切っていて、私に手駒になれるかと問うている。


「もちろんでございます」


 まなざしをまっすぐ受け止めた。父は楽しげに目を細めている。


「ほう。ちまたではお前を〝てんひめ〟などと呼んでいるそうだ。器量がないというだけで、口さがなく言うやからもいるだろうが──失敗は許されぬ。状況は厳しいぞ。得体の知れない大陸人が尾田家に接触しているという噂もある。場合によっては、お前の立ち居振るまいが戦況を左右するのだ。山中の娘として役目を果たせるのか?」

「できる、と。そう言っています」


 淡々と答えてふわりと笑みをたたえる。私にはひとつとして迷いがなかった。


「器量なしの私に、お父上は最高の教育を施してくださいました。舞踊、演奏、詩作、茶の湯の作法。書を惜しみなく与え、男にも負けぬ知識を持つにいたりました」


 次に母をみやる。


「お母上からは主君を支える妻としての役割を学びました。立ち居振るまいから、女衆への差配の仕方。籠城に必要な知識。天守閣に攻め入ってきたらちな輩のあしらい方まで」

「まあ」


 クスクス笑う母に笑顔を向けて、再び父を見つめた。


「私以上に、武家の妻としてふさわしい人間がおりましょうか」


 任せてくださいと胸を張る私に、父は相好を崩した。


「そのとおりだ。どこに出しても恥ずかしくない。藤姫、お前は我らの誇りだ」


 父の言葉に胸が熱くなった。嬉しく思っていると、両親がほほっているのに気がつく。娘の私から見てもなかむつまじい。政略で婚姻を結んだはずなのに、温かな情が通っているのだ。素敵だと思う。憧れずにはいられない。

 ──私も、まだ見ぬ夫とこんな関係になりたいな……。

 そのためにもがんばろう。決意を新たにすると、父が真面目くさった顔になった。


「他家に嫁ぐお前に言葉を贈ろう。心して聞けよ、藤姫」

「はい」


 居住まいを正した私に、父は一転して茶目っけのある表情になった。


「どんな時だって美味うまい飯さえ食えばなんとかなる! 大丈夫だ! ワハハハ!!」

「やだ。あなたったら!」


 母まで笑い出す。私もついつい噴き出してしまった。大笑いしていると、眠っていた弟がグズり始める。父が抱っこしてやると「母がいい」と暴れて大変だった。

 なによりも心安らぐ時間だ。遠い地に嫁ぐ私に勇気をくれる。

 かれの信頼に応えたいと思った。愛する家族と民のためなら、ぜったいに役目を成し遂げてみせる。たとえ、二度と故郷の土を踏めなくとも──


 ──そう思っていたのに。

 時代は容赦なく私たちを吞み込んでいく。夢も希望もすべてかいじんに帰そうと、悪意に満ちた運命が、そろそろと手を伸ばしてきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る