第20話

「あーもう、そこ違う。ここも、全然違うし。どーなってんだお前は」

「あうー」


 あーだこーだと駄々を捏ねるので渋々俺の部屋で勉強を始めたが、やはり他人と勉強するのはストレスだ。

 教えるつもりもないのに向かいから「これわかんないー」「えー、進むのはやいよー」といちいち話しかけてこられて集中が切れて、仕方なく雪村の解いている問題集を見たら間違いだらけで。


 それを放っておくのもイライラするから仕方なく教えているのだけど。 

 こいつ、アホだ。


「そんなんでよくうちの高校来れたな」

「受験の時はめっちゃ頑張ったんだもんー」

「だったらその頑張りを今も続けろよ」

「だって目標がないとやる気でないしー。あうー、わかんないー! なんか思ってた勉強会じゃないよー」


 頭を抱える雪村はそれでも必死に問題を解いていた。

 その様子をしばらく見守っていると、独り言のように「大学、行きたいなあ」と溢した。

 

「なんだ、やっぱり進学したいんじゃないか」

「……貴樹君はやっぱり進学しないの? こんなに頭いいのに」

「ラーメン屋に学歴なんかいらないからな」

「でも、将来なんかどうなるかわかんないし。損はないかもだよ?」

「金がかかる。俺一人では賄えないし、叔母さんたちに負担させるのはもっと嫌だ。奨学金だって所詮借金だし、そこまでして行きたいとは思わん」


 ずっと昔からこの考えは変わらない。 

 行けるやつは行った方がいいし、選択肢も広がることくらいわかっているけど。

 俺は勉強ができても、大学生になれる境遇なんかじゃないんだ。

 親がいないというのは、そういうことだ。


「そっか。おばさんは賛成なの?」

「大反対だな。そのことでしょっちゅう喧嘩してた」

「ほら、だったら」

「俺は考えを曲げるつもりはないさ。あの人たちの為に一日も早く一人前のラーメン屋になる。それでいい」


 これ以上この話をしても無駄だと突き放すように言うと、雪村は静かになった。


 黙々と、それぞれの問題集を解いていく。

 時々雪村の間違いを指摘しながら淡々と時間は過ぎていき。


 気がつけばお昼を回っていた。




「あーお腹すいたー。早くこないかなー」

「ほんと食べることばっかだな」

「えへへ、ここ最近我慢してたんだけど、貴樹君とこでご飯食べだしてから火がついちゃった」


 雪村の腹の虫が悲鳴をあげたところで勉強は一旦ストップした。

 どうせ帰ったら続きをやるつもりだったので勉強道具はそのままにして二人で家を出て近所のファミレスにきたところ。


 雪村は少し疲れてる様子だったが、メニューを見る目は爛々としていた。

 結局俺はハンバーグランチを、雪村はエビフライランチを注文した。


「我慢って、ダイエットでもしてたのか?」

「うん。太りやすい体質だから、普段はあんま食べないの。ほんとは食べるの大好きなんだけど」

「無理はよくない。それに、別に太ってなんかないだろ」

「女の子は細くなりたいもんなの。それに、やっぱりデブだと嫌われるし」


 お腹の辺りを気にしながら雪村は神妙な顔つきになる。

 今の彼女はむしろ痩せ型なくらいの体型だから気にする必要なんてどこにあるのか不思議なくらいだけど。


 中学の頃はいじめられていたと言っていた。

 体型のこととかでトラウマがあるのかもしれない。

 

「容姿で人を判断するやつなんか放っとけよ」

「……でも、貴樹君だってやっぱりブスより可愛い子の方が好きでしょ?」

「人による。好みはあるかもしれんが美人でも中身が伴ってないやつとか、性格が合わないやつは嫌いだ」

「じゃあー、もしさゆがまんまるさんでもこうやって一緒にご飯食べてくれる?」


 雪村が俺を見上げる。

 そもそもの話、俺がこいつと飯を食ってるのはこいつが執拗に絡んでくるからであって、好みの女性だからとかそういう話でもないんだが。


 もし、か。

 いや、関係ないな。


「食べるさ。どうせ逃げたって勝手についてくるんだろうし」

「ほんと? 嫌じゃない?」

「別に。あんまりしつこいと嫌になるかもだけどな」

「えへへ、じゃあ外食は週末だけにするね」

「毎週はやめろ」

「やだー、毎週がいいー」


 わがままに無邪気に奔放に。

 あーだこーだ言いながら笑う雪村とは、なぜか自然に会話が弾む。

 気を使うこともなく無理するでもなく、ずっと前からこうしていたような気にさえなってくる。


 なんで、だろうか。 

 他人といると気が休まらないと思っていたのに。

 今は妙に落ち着いている。


「あー、またデートしてる。ラブラブだねー」


 少しまったりとした昼下がりの時間に割り込むように後ろの席から声が聞こえた。

 振り返ると、また彼女がいた。


 上村凛。


「あ、凛! 昨日はお疲れ様ー」

「さゆ、おはよ。ねーねー、ほんと二人って仲良しだよねー。浅海君も隅におけないねー」


 上村のカラッとした声が癇に障る。

 イラっとしてつい、彼女を睨んだ。


「取り込み中だ。絡んでくるな」

「へー、随分とさゆにご執心なんだね」

「お前には関係ないだろ。用事がないなら」

「俺は誰とも仲良くしない。だからほっといてくれ」

「……なに?」

「自分で言った言葉、覚えてないの? ま、覚えてないなら別にいいけど」


 立ち上がり、伝票を持って上村は奥のレジの方へ行ってしまった。


 遠目で彼女を見ながら、俺はまた過去を頭の中で巡らせる。


「あの時の……」

「貴樹君?」

「……」


 思い出した。

 俺は昔、あいつと話したことがある。


 上村凛。

 中学最後の運動会の翌日に、俺に声をかけてきたやつだ。

 

 しつこく絡んでくるのがうざかった記憶がある。

 どこの高校に行くんだとか、なんで陸上をやらないのかとか。


 鬱陶しいから、興味ないの一言で片付けたけど、あの頃の俺はろくに他人の顔すら見ていなかった。

 でも、あの頃の上村はもっと髪が長くて肌色も今ほど焼けていなかったような気がする。

 

「貴樹君!」

「あ、ああすまん、ちょっと考え事を……え?」

「凛のこと、考えてたでしょ?」

「え、あ、いや」


 テーブルに置かれていたフォークの切先が、俺の方を向いていた。


 そして雪村も。

 濁った目を大きく開けて、親の仇を見るような目つきで俺をまっすぐ見ていた。


「や、やめろそういうのは」

「さゆが質問してるの。凛と何かあったの?」

「な、ない。ないから早くそれをおろせ」

「ほんとに? ほんとにほんとにほんと?」

「ほ、本当だ。鬱陶しいやつだなと思っただけだ」

「……そっか。えへへ、そっかー」


 フォークを握る雪村の手の力がフッと抜けた。

 その時ちょうど、「お待たせしました」と、俺のハンバーグランチが席に届いた。


 それを見てまた、目の輝きを取り戻す雪村は「ねーねー、一口ちょーだい」と甘えてくる。


 少し、身震いがした。

 雪村の明るさの裏に秘めた闇は、俺が思っているより深く、暗いのかもしれない。


 とりあえず、彼女の前で上村の話題を出さない方がいいことはわかった。


「えへへー、おいしそー」


 幸せそうにハンバーグを見つめる雪村に俺は。

 そっと取り皿に分けたハンバーグを渡した。

 

 


 

 

 

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