第19話
また、昔のことを思い出していた。
中学一年の冬。
クラスメイトの一人に突然絡まれた時のことを。
「おまえ、人の気持ち考えたことあんのか!」
教室で静かに本を読んでいた俺の胸倉を掴んで突き飛ばしたあとで「ちょっと見た目がよくて勉強できるからって見下してんのか」とキレたそいつの名前はもう思い出せないが。
あとで先生に聞かされた話はなんとなく覚えてる。
そいつが好きだった女の子が実は俺のことを好きで、だけど俺がその子の気持ちに応えなかったせいでその子が傷ついて、だからそいつがキレて云々と。
よくわからない話だった。
そもそも仲良くしている女子はいなかったし、勝手に抱かれた行為に対していちいち真面目に応えなければならない理由もわからない。
単なる逆恨みだ。
なにもかも。
勉強がそいつより出来たところで何を目指そうが俺の自由だし、運動神経がいいやつは運動部に入って学校に尽くす義務があるわけでもない。
向いていることとやりたいことが合わないなんて、よくある話だ。
なのにどうしてみんな、俺が興味のない素振りを見せると怒るのか。
全くもって理解できない。
俺の何が、人を傷つけているってんだ。
◇
「……朝か」
考え事をしながらそのまま眠っていたらしい。
風呂にも入らず寝落ちしたのなんていつぶりだろうか。
昨日、慣れないことをしたせいで疲れたのだろう。
全力で走らされた上、あちこちに連れ回されたんだから当然といえば当然だが。
「上村はなにがしたいんだ……」
俺がみんなを傷つけている、か。
つまり、俺があいつのことも傷つけていると?
まじで意味がわからん。
まさかあいつ、雪村のことが好きだとか……いや、変なことを考えるのはやめよう。
時間の無駄だ。
今できることは、極力あいつと関わらないことだな。
「ところで、俺はもう起きてるからな」
「……あっ」
ベッドから降りた時、そろっと部屋に入ってこようとする雪村と目があった。
足音を消していたつもりだろうが、ペタペタと歩く音がダダ漏れだ。
「勝手に入ってくるな」
「えへへー、おはよー貴樹君。早起きだね」
「こんなに早朝から勉強か? 随分と優等生だな」
「朝ごはん食べにきたの。もう準備してあるから下いかない?」
「……」
一体何時からいたんだよ。
「なあ、毎日毎日うちに来て家族は大丈夫なのか?」
「え、もしかして心配してくれてるの? 嬉しい」
「いや、お前の家庭事情とか知らないけど後で家族に文句言われたくないから」
「大丈夫大丈夫。パパもママも仕事だし、お姉ちゃんは大学でこっちにいないから」
「そ。ならいいんだけど」
「ねーねー、今度お姉ちゃんが帰ってきた時貴樹君のこと紹介するね」
「いや、別にいい」
「えー、お姉ちゃんすっごく美人で優しいんだよー。あっ、だけど好きになったらダメだからね」
「だから別にいいって」
「ダメ。お姉ちゃんに貴樹くんのこと話したら絶対に会わせてねって言われてるもん」
「勝手にそんな約束するなよ」
「えへへ。ほら、早くご飯食べにきて」
朝からご機嫌な雪村は先に部屋を出て行った。
なんか、だんだんと周りを固められているような気がするのは気のせいだろうか。
雪村の姉。
なんかやばそうな気配しかしない。
なんとか、回避する方法を考えよう。
◇
「はいあーん」
「ご馳走様でした」
「むー、いつになったら食べてくれるのー?」
「そんな日は永劫来ない」
誰もいない店で雪村と二人っきりの朝食。
いつもなら一人でさっさとおにぎりを食べてから掃除して片付けして次の日の準備を終わらせて。
昼から図書館に行って勉強して帰ったらまた仕込の続きをやって。
そんな休日がずっと昔のことのように思える。
「ねーねー、今日はなんの勉強するの?」
「社会だな。この前のテスト悪かったし」
「さゆ社会は一番自信あるかも」
「ほー。何点くらいなんだ?」
「えへへ、五十二点だよ」
「……」
「え、ダメなの? 貴樹君は何点くらいなの?」
「いや、まあ前回は七十八点だけど」
「ガーン。さゆ自信なくした……」
しょんぼりする雪村は手をもじもじさせながら俯いてしまった。
別に自慢するつもりはなかったんだけど。
……傷ついた、のか?
「なあ雪村」
「んー、どしたの?」
「おれ、おまえのこと傷つけたか?」
「え?」
「あ、いや、すまん変なこと聞いて。なんか辛そうにしてたから」
どうしても昨日上村から言われたことが頭に引っかかっている。
落ち込む雪村を見て、俺の言動がそうさせたのかと不安になったが。
「えへへ、嬉しい」
「……は?」
「だって、貴樹君が心配してくれたから。さゆはハッピーだよ」
「いや、心配というか」
「やっぱり優しいね。大丈夫、さゆは自分がバカってわかってるから。貴樹君は何も悪くないよ」
雪村の優しい笑みを見て、俺は緊張がほぐれた。
上村の言葉にあったみんなとは、雪村のことも含まれていたのではないかとどこかで感じていたから。
もちろん上村の言ったことを鵜呑みにする気はないが、彼女が何の意味もなしにあんなことを言うとも考えにくい。
気にしないようにと思うけど、やっぱり真意がわかるまではモヤモヤする。
「さて、飯食ったら勉強だ。で、さっさと解散するぞ」
「勉強終わったらランチいこー」
「贅沢は敵だ」
「えへへー、実はねー」
雪村が厨房の棚をゴソゴソと漁り、茶封筒を取り出した。
その封筒には「デート代♡ 叔母より」と書かれていた。
「おばさんにね、お小遣いもらってたの」
「……お前がもらったものなら好きに使えばいいだろ」
「うん、だから貴樹君とご飯いくの」
「……奢ってもらうならいかない」
「そう言うだろうって、叔母さんも言ってたの。だから、はいこれ」
雪村が封筒を渡してきた。
「おい、さすがにお金貰うわけには」
「よく見てー、ここ」
「ん?」
封筒の隅に小さく「貴樹へ」と書かれていた。
「貴樹君のだよ、これ。だからこれでご飯いこー」
「……」
「ちなみに、使い切らないと没収だって言ってたから。ねっ、いこ?」
「はあ……わかったよ」
叔母はつくづく俺の性格をよくわかっている。
どうせゴネても時間の無駄だ。
たまには甘えるとするか。
「よーし、じゃあ早速勉強位しよー」
「ああ、始めるぞ」
食器を片付けてから、持ってきていた勉強道具を出そうとすると。
雪村が俺の荷物を取り上げてから。
照れながら言った。
「あの……部屋、行かない?」
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