第18話


 別に何の思い出でもない、今の今まで忘れていたある日の一場面。


 中学生最後の運動会の日の最後の種目。

 三年生全員が参加するクラス対抗リレー。

 クラス毎に男女が交互に走るそれは数十人がリレーをするとあってかなりの時間を要するが、一日の集大成として異様な盛り上がりを見せた。


 走順は身長の低い女子からで、一番背の高い男子がアンカーだった。

 走力が全然違うもの同士で走るため、最初から順位はめまぐるしく動いていて。

 追い抜き追い抜かれを繰り返しながらもなんとなく均衡した勝負が続いていたところで。


 うちのクラスのある女子が転んだ。


 少し小太りな子だったと思う。

 足がもつれて不細工に転んで。 

 怪我もしていたと思うけど、立ち上がり必死に走ってバトンを渡していた。


 そんな様子を俺は、自分の順番を待ちながら遠目で見ていただけだったが。

 クラスの男子数人が転んだ女子に罵声を浴びせていたのを見てしまった。

 聞いてしまった。


 デブ、ブス、短足。

 お前のせいで負けだ。 

 責任とって学校辞めろ。

 

 そんな感じだったか。

 もっとひどいことを言っていたやつもいた気がする。


 そんな奴らに、腹が立った。


 クラスメイトとろくに会話なんてしたこともないし、運動会なんて戯事の結果がどうなってもどうでもよかったのに。


 負けるわけにはいかないと思った。

 そして、勝たせてやるから、さっき吐いた暴言を撤回しろと。

 吐き捨てるように言ってからバトンをもらって、走った。


 結果は全員を抜いて一位に躍り出て。

 でも、その後のやつが抜かれて結局うちのクラスは優勝しなかった。


 何位だったかも覚えていない。

 誰を抜いたのかも覚えていない。

 あの時、転んで泣いていた女子のことだって。

 

 ぼんやりとしか思い出せない。



「貴樹君ごめんなさい、つい嬉しくて泣いちゃって」

「大袈裟なんだよ」

「私にとっては大事なことなんだもん。あ、見て見て可愛いぬいぐるみだー」

「……」


 しばらくして泣き止んだ雪村と一緒に、今度は少し歩いた先にあるショッピングモールに来た。


 で、今は入ったところにあるゲームセンターでUFOキャッチャーの景品を眺めているところだ。

 さっきまでの涙はなんだったのかと呆れるほど、雪村はいつもの調子ではしゃいでいる。


「いいなー、ほしいなあ」

「こんなのは取れないように出来てんだろ。金の無駄だ」

「でもでも、絶対に取れないわけじゃないでしょ? ねっ、一回だけ」

「……一回だけだからな」


 雪村が欲しがっていたのは、虎柄の小さな猫のぬいぐるみ。

 俺には不細工に見えるが、雪村の目には可愛く映っているらしい。

 目をキラキラさせながら景品を見つめる彼女に押されて俺は百円玉を機械に入れた。


 どうせ一回で取れるはずもないと。

 適当に狙ったフリをしながらボタンをおすと。

 アームが景品をがっちり掴み、そのままぬいぐるみを穴にポトリと落とした。


「え、とれた? わーっ、取れたー! すごーい!」

「そんなに騒ぐなって。偶然だろ」

「でも取れたもん! わー、見せて見せて」


 わーきゃー騒ぐ雪村に、取れたぬいぐるみを渡す。

 彼女はそれを見つめながら顔を赤くして目尻を下げていた。

 よっぽど欲しかったんだというのはよく伝わってくる。


「ちなみに俺はいらないからな、それ」

「え、くれるの? ほんとにいいの?」

「元々お前が欲しいって言うからやったんだろ」

「私のためにとってくれたの?」

「いや、まあ……結果的にはそうなるが」

「嬉しい……一生大切にする!」


 ぎゅっと人形を抱きしめながら、またしても雪村の目にうっすら涙が滲んでいた。


「……欲しいもんが手に入ったんだからもう行くぞ」


 こんな人の多いところで泣かれたらたまったもんじゃない。

 急いで雪村をゲームセンターのコーナーから連れ出してから。

 通路にあるベンチに並んで腰掛けた。


「はあ……雪村、いちいち泣くなよ」

「だって嬉しいんだもん……貴樹君からもらった初めてのプレゼントだし」

「プレゼントっていうほどのもんでもないだろ。百円だし」

「金額じゃないもん。気持ちが嬉しいの。えへへ、可愛いー。ねーねー見て見て、可愛いよね」

「……さあ」


 何度見せられても、その猫が可愛いとは思わなかった。

 それに、泣いて喜ぶほどの代物にも。


 でも、まあ。


「えへへ、可愛いなあ。えへへー」


 雪村の幸せそうな顔を見れて、嫌な気持ちはしなかった。

 どうせ今日のことを嬉しげに叔母に話して、叔母にもあとで散々と揶揄われるだろうことも想像に難くないが。


 それも、不思議と嫌な気はしなかった。



「あー、楽しかった。明日も行きたいね」

「明日は勉強だ。それは譲らないからな」

「むー」


 何度も泣いたせいか雪村も疲れたようで、ベンチで欠伸をしながら「いいことありすぎてクタクタになっちやった」と言ってきたので二人でモールを後にした。

 

 その帰り道の間中ずっと雪村はさっきのぬいぐるみを見ては笑って、また見つめてはニヤついて。

 そんな様子だから大した会話をするでもなく、気がつけばうちの店の前に帰ってきていた。


「やっと帰れたか。じゃあ、俺はこれで」

「ねーねー、今日は一人なんだよね?」

「叔母さんたちは明日の夕方には帰ってくるけどそれがどうした」

「んーと、今日泊まって行ったらダメかなーって」

「は? ダメに決まってるだろ」

「やっぱり?」

「そもそも外泊は校則違反だろ。家族旅行だって申請がいるんだし」

「うちの学校って色々厳しいよねー。運動部には甘いくせに」

 

 少し棘のある言い方をしながら道に転がった石をコツンと蹴る雪村は、少し遠くを見ながら思い詰めたような顔をしていた。


「田村のことか? あれはもういいだろ」

「わかってるけどー。運動ができたら偉いんだったら、貴樹君の方がもっと偉いのになーって」

「そういう話じゃ無いだろ。如何に学校の為になってるかどうかだ」

「ふーん」

  

 まだ田村の一件を引きずっている様子の雪村だったが、これ以上その話はしたくないと口を紡ぐと彼女もまた静かになって。

 二人でゆっくり散歩しながらやがて店の近くに着いた。

 

「あ、もうすぐ家だね」

「送っていこうか? すぐそこだし」

「いいの? やったー」 

 

 一度は断ったものの、またうちに泊まりたいだのなんだの言われないうちに。

 先手を打って彼女を家まで送ることにした。

 

「あー楽しかったー。あしたも楽しみだね」

「明日は勉強だからな」

「ふふっ、いいよー」

「何がおかしいんだよ」

「だって、私と会うのは嫌じゃないんだなって」

「……嫌だと言ってもどうせくるんだろ」

「えへへ、正解。やっぱり優しいね、貴樹君は」

「どうだろうな」


 やがて雪村の家に到着した。

 家の前で彼女と別れる時、ずっと手を振ってくれていた雪村の姿が印象的だった。


 明日も雪村がうちに来る。


 それが当たり前のことのようで、しかし心なしか待ち遠しいなんて思ってしまう自分に気づき、空を見上げた。


 ずっと一人だったせいか。

 今は孤独が少し寂しい。


 雪村……。


「あ、いたいた。おーい、浅海君」

「……またか」


 うちの店の前で手を振る女子が一人。

 先ほど、陸上選手のイベントで笛を吹いていた上村だった。


「今日はお店休みだからお引き取り願う」

「あはは、意地悪だなあ。ちょっと時間ある?」

「ない。じゃあな」

「そんなにさゆがいいんだ」

「勝手に思ってろ」

「自分のこと、優しいやつだとでも思ってんの?」

「……なに?」


 無視して家に入ろうとする俺に、暗い声で上村は言った。

 思わず振り返ると、さっきまでの笑顔が嘘のように、ぎろりと俺を睨みつける上村がいた。


「浅海くんは優しくもなんともないから」

「だから何が言いたいんだよ。そんなに俺と雪村が一緒にいるのが気に入らないのか?」

「別に。でも、さゆに優しくしてご満悦なところを見ると、腹が立つのよ」


 上村は露骨に不快感を露わにする。

 さっきのイベントで俺が陸上選手に勝ったことが原因か、それとも。


 やはり雪村と何かあるのか。

 この際だからと、上村に聞こうとしたその時。


 俺の言葉を遮るように上村は言った。


「あなたのやってることって、結局みんなを傷つけてるだけだから」

 

 


 


 


 


 

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