第17話
「ううっ、さむっ……」
「どうしたの? クーラーききすぎてる?」
「いや、そうじゃないが」
悪寒がした。
多分上村が俺の悪口でも言ってるのだろう。
早々にイベント会場を離れた俺たちは今、商店街から少し外れたところの古い喫茶店にいる。
「じゃーあ。はい、あーん」
「じゃあってなんだよ。やめろ」
「もー、おばさんに写真送りたいのにー」
レトロな雰囲気のこの店はパンケーキがお勧めらしく、目を輝かせていた雪村はそれを頼んだ。
俺は疲れと足の痛みもあって腹が減っていないのでカフェオレだけを注文し、初めての家族以外との外食とやらを経験している。
周りは大人ばっかりだが、皆家族やカップルばかり。
気まずい店に来てしまったもんだ。
「ねえねえ、そういえば貴樹君ってほんと足速いよね。なんでなの?」
「うちの両親が陸上やってたから遺伝かもな。でも、俺は井の中の蛙だよ。もっと速いのなんてたくさんいるさ」
「えー、でもさっき走った人ってオリンピック選手だよ? ということは貴樹君もオリンピック出れるじゃん」
「男子と女子でタイムも全然違うし、そもそもあんな短い距離じゃ参考にならん」
「ふーん。陸上詳しいんだね」
「いや、別にそうでもないけど」
「ううん、詳しいよ。やっぱり足が速いから興味あるんだね。私なんか何メートル走るのかも知らないもん」
雪村の言うように、興味のないスポーツなんてルールの一つもわからない人の方が多い。
もちろん好んで陸上を見るわけではなく、親が好きだった影響でなんとなくルールはわかる程度。
興味があるというのは語弊がある。
「とにかく、さっきのことは忘れろ。一緒に走った人だって何回も走った後だったから疲れてたんだろ」
「そんなもんかなー?」
「それよりこれを食べたら帰るからな」
「えー、デートはこれからだよー?」
「いつのまにデートになったんだ。せっかく時間ができたんだから勉強するんだよ」
「明日でいいじゃんー。ねっ、明日は絶対勉強していいから今日はもうちょっと遊ぼー?」
「……もうちょっとだけだからな」
だいたい俺のスケジュールをなんで勝手に雪村に決められないといけないのかと言いたいところだが、どうせ来るなと言っても雪村は明日も家にくるだろうし。
ちゃんと明日の予定を確保しておいた方が賢い選択だろう。
まあ、そうなると今日はこいつのやりたいことに付き合わないといけないわけだが。
「で、どこに行きたいんだ? 駅前以外大したところないだろ」
「全然あるもん。海側にあるモールでお買い物とか……あ、ちょっと遠いかな?」
「別に商店街を抜けてすぐだろ」
「でも、足痛くない?」
心配そうに雪村はこっちを見上げる。
普段全く空気が読めないやつなのに、どうしてそういうところは気がつくんだろう。
不思議なやつだ。
こいつの線引きはどうなってるんだろうな。
「大丈夫だよ。まあ、もう一回走ったら千切れるかもだが」
「ほんと? よかったー。それじゃあ勉強の他にトレーニングもしないとだね」
「しない。別に走ることなんてないから」
「体育祭は? それに連休明けには校内の陸上大会もあるし」
「体育祭は去年は見学だ。陸上競技大会は選ばれた選手しかでないわけだし関係ない」
「むー、つまんなーい」
唇を尖らせる雪村を見ながら俺はカフェオレを飲み干して席を立つ。
そして会計の時。
俺が支払いを済ませようとすると雪村が財布を出しながら「ダメダメ!」と止めてくる。
「いや、いいって。バイト代出せてない分こういう時くらい出すって」
「だめだよそんなの。私が全部出すの」
「は? いや、割り勘ならわかるけど奢ってもらうのはないだろ」
「だって、私が誘ったんだし」
「関係ない。お前にご馳走になったなんて言えば叔母さんにどやされる。だから俺が出す」
店員さんが戸惑っていたので、雪村を無視して会計を済ませて外へ出た。
すぐに追いかけるように店から出てきた雪村には文句を言われるだろうと、身構えたが彼女はなぜか少し涙ぐんでいた。
「ど、どうしたんだ?」
「んーん、初めてだったから」
「初めて?」
「うん。あの……はじめて、貴樹君にご馳走になったから。嬉しい。私、絶対忘れないもん! ぐすんっ」
「そ、そんなことで泣くなよ……」
手で顔を覆いながら彼女はグズグズと泣いた。
店の入り口の前だったから、そっと彼女の背中を押して少し脇は避けてから。
しばらく雪村が泣き止むまで立ち呆けている間。
俺はなぜか中学の時のことを思い出していた。
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