第9話

 また、夢を見ている。

 いないはずの人が、俺を見ながら泣いている。

 なんで俺のことなんかで泣くんだよ。

 あんたの方がよっぽど辛いはずなのに。

 ほんと、他人ってのはよくわからん。


「……くん」

「ん……」

「たかきくん! よかった、目が覚めた」

「……ゆき、むら?」


 目が覚めると、ベッドに横になった俺の隣で心配そうな雪村が椅子に座っていた。


「ここは?」

「保健室だよ。貴樹くんのクラスの前が大騒ぎになってたから何かなと思ったら先生に担がれて運ばれてる貴樹くんを見つけて、それでついてきたの」

「……そっか」


 そういえば俺、あの坊主頭に殴り飛ばされたんだっけ。

 

「……いてて」

「大丈夫? 顔、ちょっと腫れてるよ?」

「ん、まあなんとか」

「ねえ、なんで喧嘩なんかになったの?」

「……さあ」


 殴られたのは俺の責任だ。

 別に雪村が悪いわけでもないし、こいつを庇った結果でそうなったわけでもない。


 俺が勝手にあの男にむかついて突っかかっただけだ。


「お、目が覚めたか」


 保健の杉村先生が戻ってきた。

 若くて美人と評判の彼女のことは男子どもがあちこちで話しているからその噂はよく耳に入る。


 たしか二十七で独身だとか。 

 タバコを吸う姿が色っぽいだのなんだの、そんな程度だが。


「浅海、軽く頭打ってるから一応このあと病院に行ってこい」

「でも俺、家の手伝いが」

「保護者には連絡してある。必要なら迎えにくると言ってたが、まあ付き添いがいるなら心配はないか」


 男口調でサバサバと話しながら杉村先生はちらっと雪村を見る。


「雪村、病院付き添ってやってくれるか?」

「はい、もちろんです。予約とかは」

「もうしてある。すぐそこの中央病院に行けばいい。何かあったら連絡してこい」


 先生は自分の椅子にどさっと座ると、そのまま机に向かい作業を始め出した。

 

「じゃあいこっか。立てる?」

「大丈夫。なんか巻き込んですまん」


 よれよれしながら立ち上がると、なぜか雪村はクスクス笑っていた。


「なんだよ」

「んーん。なんか今日の貴樹君は素直だなって」

「ほっとけ」


 殴られて気絶したあとで毒づく元気もないだけだ。

 この捻くれた性格がそんなすぐに治るはずもない。


 そんなことを考えながら雪村に付き添われて俺たちは保健室を出た。



「よかったね、なんともなくて」


 病院を出た時には外はすっかり暗くなっていた。

 叔母には雪村からも連絡を入れてくれていたようで「さゆちゃんがいてくれてよかったわね」と俺にラインが入っていた。


「でも、明日は職員室だ。喧嘩のことであれこれ叱られるんだろう」

「貴樹君は被害者なんだから堂々としてたらいいのー。どんな理由があっても人を殴るやつなんて最低だし」


 俺を励ますように気丈に振る舞う雪村はしかし、少し下を向くとボソッと呟いた。


「そんなやつ、死んじゃえばいいのに」

「……雪村?」

「え、あ、ごめんなんでもない。それより、もし先生にひどいこと言われたらさゆに言ってね。ちゃんと味方するから」

「……わかった」


 時々、雪村は様子が変になる。

 じっとりとした暗い雰囲気を纏い、ずっしり重い空気が滲み出る。


 いじめられていた影響なのか、それとも。

 いや、今は気にするまい。

 

「ただいま」


 閉店間際の店に戻ると、食器を引いていた叔母が持っていた食器を置いて俺のところに走ってきた。


「貴樹、ごめんよ仕事で迎えにも行けなくて」

「いいよそんなの。俺のせいで店休むなんてその方が嫌だし」

「でもさゆちゃんがずっと連絡くれてたから安心したわ。ほんとさゆちゃん、ありがとね」

「いいえそんなの。私こそいつもお世話になってるので」


 叔母と雪村が仰々しく互いに頭を下げ合う姿にむず痒くなる。

 俺のせいでみんなに迷惑ばかりかけたのもあるし、今まで邪険に扱ってきた雪村に結果として助けてもらったことへの罪悪感もある。


「とにかくなんともなくてよかったわ。さゆちゃん、私が送っていくわ」

「いえ、そんなの悪いですよ」

「だめよここまでしてもらって何もできてないのに。ほら、車回すから。貴樹、悪いけどそこの食器だけ下げといてくれる?」

「ああ、わかった」


 そのあとすぐ、雪村は叔母の車に乗って家に帰っていった。


 珍しく帰り際も大人しくて、「また明日ね」とだけ言い残して車に乗り込む彼女を見送ってから店に戻ると、叔父が奥から俺のところにやってきた


「貴樹、まずは何もなくてよかった。でも喧嘩はダメだぞ」

「ごめん叔父さん」

「まあ、お前のことだから自分のことで怒ったりしないだろ。彼女のことで何かあったんだな」

「別に。たまたまイラつくやつがいただけだよ」


 普段から無口な叔父はそれ以上は聞いてこなかった。

 俺も何も言わず片付けを手伝ってから先に家へ戻って。


 色々と、本当に色々とあった一日がようやく終わりを告げた。



「貴樹君……」


 部屋に戻って机に向かい、彼の写真を眺める。


 こっそり撮った、さゆの宝物。

 ほんと、かっこいい。

 何度もさゆを救ってくれる、私のヒーロー。


 やっぱり覚えてはいなかったけど。

 さゆがいじめられていたあの時も。

 

 さゆの味方をしてくれた唯一の人。

 さゆの為に頑張ってくれたたった一人の人。

 彼にどれだけ心を救われたか。


 あの時からずっと。

 彼を見ているだけでいいって思っていたけど。


 知り合ってしまったから。

 もう、逃がさない。

 さゆは彼に尽くすために生きるの。

 今、本当に幸せ。


 でも、今日はほんと心配したなあ。

 あんなに優しい彼を殴るやつがいるなんて信じられない。


 確か、柔道部の田村とかいう人だっけ。


 そんなひどいやつ、死んじゃえばいいのに。

 死んじゃえばいいのに。

 死んじゃえばいいんだ。


「……死ね、クズ」

 

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