第6話

「はい、あーん」

「やめろ」

「えー、つまんなーい」


 人生初の同級生の家。

 玄関側のリビングにて。

 

 俺は広いソファに腰掛けてお茶をいただいている。

 落ち着かない。

 なぜか隣に座ってくる雪村の存在もだが、そもそも他人の家というだけで全くくつろげない。


 それに。


「ふふっ、ほんとに仲いいのね。もしかしてさゆとお付き合い」

「してません。ただの同級生です」


 俺たちを微笑ましく見守る雪村母の存在が余計に落ち着かない。

 優しい目で俺を見るな。

 絶対勘違いしてる。

 最悪だ。

 早くこれを飲み干して帰ろう。


「お茶、ご馳走さまでした。それでは俺はこれで」

「もうちょっとゆっくりしていってよー」

「いや、だから俺は」

「そうよ、せっかくさゆも楽しんでるし。私が帰りは送ってあげるわよ」

「い、いえさすがにそこまでしてもらうのは」

「いいからいいから。それにもう少ししたらパパも帰ってくるんだし」


 パパ。

 父親。

 まぎれもなく雪村の親父。


 いや、父親とか気まずすぎるだろ。


「えーと、観たいテレビが」

「なになに? ここで見ようよ」

「あー、えーと、店の片付けとか」

「さっきおばさんがお店暇そうだから片付けあんまないってラインきたよ?」

「ええと、だから、その、そうだ勉強だ。勉強しないと」

「じゃあさゆと一緒にやろうよ! やったー、早速教えてもらえるね」

「ぐっ……」


 いつもなら「うるさい帰る」と突っぱねるところなのに。

 今日は雪村母がいるせいで雑な対応ができない。

 さすがに初対面で何も事情を知らない他人の親にまで失礼な態度を取れるほど俺は腐っちゃいない。

 困った。

 どうすれば帰れるんだ。

 とにかくまず、母親が席を外したタイミングで雪村を説得しなければ。


「じゃあさ、さゆとここで勉強しようよ」

「いや、やっぱり疲れたから今日はやめとこう」

「えー、それじゃあ映画みるー?」

「そ、それよりこのケーキ美味しいなあ。もっと食べたいなあ」

「あら、それはよかった。まだあるから持ってくるわね」


 他人の家で茶菓子をおねだりなんて無礼な真似はしたくなかったが背に腹はかえられない。

 ケーキを取りに雪村母が席を外した。

 今しかない。


「雪村、ケーキ食べたらほんと帰るから」

「えー。なんでなんで?」

「朝の仕込みとかあるから早く寝たいんだ。友達ならその辺理解してくれ」


 使いたくなかったが敢えて友達と言った。

 そして思惑通り彼女は嬉しそうに頷いた。


「うん、わかった。ごめんね無理に付き合わせて。食べたらママに送ってもらうね」

「いや、いいよそれは。歩いて帰れる」

「遠慮しなくていいのに」

「これ以上図々しいことできるか。まあ、そういうことだから」


 ようやく話がついた。

 我ながらこういう時に頭が回るのは流石だと思う。


 こうやって小狡く立ち回って面倒なことから逃げてきて今がある。


 俺は結局こういう生き方しかできないんだ。



「じゃあねー! また明日ねー!」


 玄関先で大きく手を振りながら見送りに出てくれた雪村に少し頭を下げてようやく雪村家を脱出できた。


 外はすっかり暗くなっていて夜風が少し冷たかったが、解放的で爽快な気分だった。


 しかし明日からもしばらくこんな日が続くのだろうか。

 いっそのこと、ガツンと言ってやって嫌われた方がいいのかもしれないが。


 あそこまで純粋に好意を向けてくる相手にひどいことなんて……言える気がしない。


 だからと言ってこのままでは俺の生活が崩される。


 とりあえず帰ったら叔母さんに勝手な連絡はしないように言い聞かせておかないと。


「ただいまー」

「あら、早かったわね。どうだった?」


 閉店作業中の叔母さんは相変わらずニヤニヤしながら俺を出迎えてくれた。

 さて、と。


「叔母さん、あいつとは何もないから。余計な気をきかせなくていいしあいつから連絡きても返事しなくていいからな」

「なになに早速喧嘩でもしたの? あんないい子なかなかいないわよー。叔母さん的には二人が仲良くしてくれたら嬉しいけどなー」

「俺は嬉しくない。風呂、入ってくる」


 勝手に浮かれる叔母さんに今は何を言っても無駄なようだと諦めて二階へ上がり風呂へ入ってから部屋に戻り、何をするでもなくそのまま眠りについた。



 夢を見た。

 はっきりそれが夢だとわかったのは、もういないはずのあの人たちがいたから。

 昔は俺もお寝坊さんだったっけ。

 そしてよく母に起こしてもらっていた。


 肩を揺らされながら。

 優しくおはよう、と。


「……よう」

「ん……」

「おはよう! 起きないといけない時間じゃないの?」

「あ、ああおはよう。すまん起こしてくれて……ん?」

「叔母さんに聞いて仕込みの準備はしておいたから。着替えたら下にきてね」

「いやなんでおまえここにいるんだよ!?」


 寝ぼけ眼から一転飛び起きた。

 目を開けたらそこには雪村の笑顔があったから。


 急いでベッドから出て身構える俺に対して彼女はまるで長年連れ添った彼女のように落ち着いたまま「そんなに慌てなくていいよー」と。


「いや、だからなんでお前が部屋に」

「だって部屋は鍵かかってないし」

「じゃなくてだな」

「叔母さんに言って入れてもらったの。ほら、朝早くに仕込みするって聞いたし」

「だからって部屋まで起こしにくるってどういうつもりだよ」

「えへへ。でも起きれてなかったんだし結果オーライ? だよね」

「……」


 枕元の目覚まし時計を見る。

 現在朝の6時過ぎ。

 確かに毎日朝5時半と6時に鳴るようにセットしてある、はず。

 それに目覚ましの音に気づかなかったことなんてこの生活を始めてから一度だってない。


 疲れていたのか?

 それとも、誤作動で鳴らなかった?


「ほら、先に行ってるから着替えて準備してきてね」


 まだ冷や汗が止まらない俺をよそに、雪村は部屋を出て行こうとする。


 そして去り際。

 半分しまった扉からひょこっと顔を覗かせてから。


 嬉しそうに言った。


「目覚まし、ちょっと早くに仕掛けすぎだよー?」

 

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