第2話

「ねえねえ貴樹、あの子誰なのよー。彼女? 可愛い子じゃないのー」


 閉店後の店内にて。

 洗い物をする俺にしつこく絡んでくる叔母はいつになく嬉しそうだ。


「知らん」

「そんなわけないでしょー。まああんたもそういう年頃だもんねー。ちょっと安心しちゃったわー」

「だからそんなんじゃないって。あの女が勝手にだな」

「へー、それじゃおっかけ? あんたも隅に置けないわねー」


 今まで一度たりとも人を家に招いたことのない堅物甥っ子の初スキャンダルとあって叔母はいつになくはしゃいでいた。

 まあ、無理もない。

 今まではむしろ「誰か友達くらいいないの?」「デートするなら仕事休んでいいからね」と心配ばかりされていたし。

 余計なお世話だけど。


 ちなみに雪村はあのあと注文したラーメンを食べてさっさと帰っていった。

 何がしたかったのかさっぱりわからん。

 助けたことの礼をしたいにしても、わざわざ家を調べるなんてことするか?

 ただのストーカーだろ。


「風呂入って寝る。おばさんも早く寝なよ」

「はいはい、ゆっくりね」


 俺は洗い物を終えて先に2階へ向かった。


 着替えを持って風呂場へ。

 脱いだ服を洗濯機へ放り込んでから一番風呂に飛び込むと、今日一日の疲労がじわっと体中を走るのがわかる。


「……疲れた」


 飲食店ってのは過酷だ。

 俺は夕方の手伝いだけだが、叔母達は朝から晩までずっと働いている。

 俺みたいに若いわけでもない。

 

 いずれ父さんや母さんみたいに無理が祟って倒れないか心配だ。


 だから俺がやれることは全部やりたい。

 もう、あんな辛い思いも後悔もしたくない。



「いってきます」


 朝。

 俺は誰もいない静かな店内へ向かってそう言ってから店を出る。


 この家で一番早く起きるのは俺だ。

 以前は、叔父叔母も昼の営業に備えてもっと早起きだったのだけど俺がもっと寝るように言い聞かせている。


 どうせ学校に行く分早起きだし、練習ついでに二人の朝飯と店の仕込みの準備くらいまでは俺がやっている。

 そして二人が起きて来る前に学校へ向かう。


 もうこんな生活を何年か続けているけど別に嫌だなんて思ったことはない。

 俺が好きでやってるんだから当然のことだ。


「今日はいい天気だな」

  

 もうすぐゴールデンウィークか。

 また忙しくなるな。


「あー、いたー! おはよーおはよー」

「……ちっ」


 背後から聞き覚えのある声がした。

 振り返るまでもなく雪村だとわかる。

 まあ、ストーカーみたいに人の家をつきとめる女があのままあっさり引き下がるとは思っていなかったし。


「ねえー、無視しないでよー」

「……何の用だよ」


 渋々足を止めると、雪村が俺の隣にやってきて覗き込んでくる。


「やっと喋ってくれたー。お店、流行ってるんだね」

「別に俺の店じゃないから。ていうかなんで俺に付きまとうんだよ」

「だって、昨日のお礼もまだ出来てないし」

「いらない。たまたま居合わせただけだから助けたつもりもない」


 彼女を避けてまた早足で学校の方角へ足を運ぶ。

 ただ、もちろんそんなことで引き下がるやつではない。


「ねえー、ライン教えてよー? 友達になろ?」

「ならない。友達なんかいらない」

「なんで? 寂しくないの?」

「暇じゃないんだ。誰かと遊んでる暇なんかない」


 ずっと早歩きで逃げる。

 しかし彼女もずっと俺の隣を離れてくれない。


「ねえ、ねえってばー」

「あーもういい加減にしろよ。もう俺に構わないでくれ」


 もう一段階歩くスピードをあげてそのまま一目散に学校を目指した。

 ようやく諦めたのか歩を緩めながらだんだん俺の視界から雪村が消えていく。


 やっと静かになったと、胸を撫で下ろしたその時。


「さゆは絶対貴樹君と仲良くなるから」


 雪村の言葉に俺は足を止めてしまった。

 そして振り返ると、朝日を背にニコニコと笑う彼女がいた。


「……なんで俺の名前を知ってるんだ?」


 そういえば昨日も。

 表札もないうちの店をどうやってか調べて尋ねてきて、知らないはずの俺の名前を叔母に聞いていた。

 俺は名乗った覚えなんてないのに。


「えー、だって同級生なんだし」

「お前の知り合いで俺のこと知ってるやつなんていないはずだ」


 昨日こいつと会ったのは放課後だったし、一体誰に聞いたんだと彼女を睨む。


 ゆっくりと俺の方に歩きながら。

 白い頬を真っ赤にさせて彼女は微笑みながら口を開く。


「学校まで戻ってね、せんせーに聞いて調べたの。住所も名前も。浅海貴樹君♡」



「頭痛い……」


 朝のホームルーム前の賑わいだした教室の片隅で頭を抱える。

 あの時の雪村の言葉に恐怖を覚えて走って学校にきたせいもあるのだろうけど。


 あいつの笑顔が頭から離れない。

 可愛いとか、そういう話ではない。

 ただただ怖かった。

 わざわざ俺の素性を知るために学校へ引き返して調べて家までやってくるなんてどうかしてる。


 普通なら次の日に学校で俺を探すとか、その程度ならわからなくもないけど。


「あ、いたー! さゆだよー! 貴樹くーん」


 聞き覚えのある甲高い声が教室の入り口から響いた。

 頭が割れそうに痛む。

 心のどこかで、こういうことにならないで欲しいと思っていた最悪の事態が現実になったようだ。


「おい、あれって一組の雪村じゃね?」

「さゆー、おはよー」

「みんなおはよー!」


 男子は色めきだち、女子は一斉に彼女に手をふる。

 どうやら雪村は学校でも目立つ存在のようだ。

 もちろん俺は他人に興味なんて持ったことがないからそんな事実すら初めて知ったわけだが。


「もー、せっかく来たんだから手くらい振ってよねー」


 今はそんなことよりも、彼女に見向きもしない俺の席まで勝手にやってきて怒ったフリをしながら俯く俺の顔を覗き込んでくるこの女をどうにかしないと。


「え、なになに? 雪村って彼氏いんの?」

「ていうかあれ誰だっけ?」

「確か浅海だっけ? でもなんであいつと?」


 変に目立ってしまったじゃないか。

 ああもう、めんどくさい。


「頼むからほっといてくれって言っただろ」

「さゆは仲良くしてってお願いしたもん」

「だからしないって」

「そっちが聞いてくれないならさゆも聞かないもんね」


 べーだっ、と。

 舌を出して笑う彼女が心底うざい。

 しかしこのままではまずいことくらいわかる。

 こんなことで悪目立ちして、クラスの連中に絡まれる展開なんて望んじゃいない。


「……友達になったらこういうことはやめてくれるのか?」

「え、じゃあ友達になってくれるの?」

「俺の質問に答えろ。はっきり言うがこういうの迷惑なんだよ」


 突き放すつもりで敢えて厳しい口調でそう言った。

 今まで、これほどひどく他人に当たったことはないがここまでしつこくされたら俺だってキレたくもなる。

 しかし、


「仲良くしてくれるなら、いいよ」


 嬉しそうに、彼女は言った。

 そしてすぐに「貴樹君って恥ずかしがり屋さんなんだね」とわけのわからないことを言い残して教室から出ていった。




 

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2024年11月30日 00:00

病んでそうなギャルに懐かれたのだが、同時に周りの様子もおかしくなった件 天江龍(旧ペンネーム明石龍之介) @daikibarbara1988

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