第20話
まずは一番可能性の高そうな教室の中心から攻めていく。木製のタイルをバールを使って剥がしていくと、コンクリートの床が姿を現した。一昔前の塗装には有毒のアスベストが使われていたと言うが、これがそうではないことを祈るしかない。四畳半程の広さのコンクリートが見えた所で、今度は破つり機を使用して少しずつ砕いていく。
一時間半が経過しある程度の深さまで掘り進めたが、一向にそれらしきものが出て来る気配が無い。
「ここじゃないんじゃなかですかね」
そう弟子の一人が言うが、確かにこれ以上掘り進めたとして、出て来るのか不安になっていた。伝播した焦りと暑さ、ぶっ通しの作業で疲労がかなり蓄積していた。横を見れば、瓦礫の撤去を手伝っていた陽菜がダウンしかけている。
「まだ集会は終わってないみたいですけど、そんな何時間も引き延ばせないって言ってます」
「……分かった。一旦休憩して、それから教壇の方も掘ってみよう」
そう言って弟子達はバリケードの先まで出ていき、私と祖父、陽菜が教室に残った。本当は陽菜も外に出してやりたかったが、一度入ってしまった以上出る事が約束を反故にすることになりかねない。
教壇の縁に座り込んだ陽菜が膝を揺らしながら言う。
「床とかはあれですけどなんか……本当に普通の教室、ですよね」
そうだね、と返すがそれは真理でもある。
「どうして真帆さんは手伝ってくれたんですか?」
「それは……どうして何だろう」
桑名君にした質問を答えようとしてもすっとは出て来なかった。
勿論理由は幾つかある。祖父の人を救う姿に憧れただとか、無防備な弟を守っていく内にだとか、大抵の霊が人を憎む前に助けを求めているからだとか。
それらが合わさって思うのは、ほんの少しの優しささえあれば悲劇は起こらないんじゃないかってことだ。だから先ずは私が体現しないと、これまでもこれからの自分も否定する事になる、とは思っている。答えとして正しいかは分からないけれど。
上手く言葉に出来そうにないが、そう答えようとして陽菜の横に座り何気なく天井を仰ぎ見た。
「あ…………そうか……そうだ、そうだよ! お爺ちゃん! みんな! 場所が分かった!」
「え、どこにいるんですか!?」
「陽菜ちゃん、私達勘違いしてた。あの子は床じゃなくて天井に埋まってる!」
弟子の一人に他の教室を確認させ、それは確信に変わった。
どうして今まで気付かなかったのか。いや思い込んでしまっていたのか。
『人柱は地面に埋められている』ものだから、教室の床に埋められているのだと信じ込んでいた。
多くの建築様式の場合、天井を見上げると梁が見えている事が大半で、その上に床スラブという鉄筋コンクリート構造の床が乗っかっている。二枚歯の下駄の歯が梁で、足を乗せる台を床スラブだと考えれば早いだろう。
二枚歯の下駄の歯と歯の間がコンクリートで埋まっているのが確認出来たために、天井に埋まっていると推測した。
謎はある。土地に起きる災害を鎮める為なら、普通地面に埋めたままにしないだろうか。校舎を建て直したとしても、わざわざ校舎の三階に移す必要がどこにあるのか。人柱であれば地面に埋めるか水に沈めるのが一般的だが。それに何故わざわざ埋めにくそうな天井にしたのか。
……彼女を掘り起こせさえすれば謎は解明され、大きな歪みは元に戻るのか。
模様の付いた石膏ボードを剥がすと、そこにはやはり不必要に突き出たコンクリートの天井があった。
「やっぱり……」
万一彼女が落下してはいけないし、天井に重機は使えない。時間はかかるが、手持ちのバールや金槌で慎重に天井を打ち崩していく。
バキャッ
それまで聞こえていたガツガツ砕く音とは違う音が教室に鳴り響いた。
コンクリートを脇によけていた陽菜が脚立によじ登り、細かくなった欠片を手で払いのけると若干欠けているが、木材の一部が顔を出した。
その脇で祖父は儀式の準備を始めていた。
「……あった」
私は思わず口にした。喜ばしい反面、暗い気持ちも同時に襲い来る。
こんな場所に一人埋められてしまったなんて。
そこからは人数を減らして慎重に掘り進めていく。砕かれ瓦礫が運ばれる度に全貌が明らかになっていく。何往復か除去を繰り返すとそれは完全に姿を現した。
三階の教室の天井に、古びた紙で一面を覆われた木製の箱が埋まっていた。
コンクリートで固められた木箱は想像していたよりもずっと小さく、大人は勿論、低学年の子供でないと入らない様なサイズだった。それも立ったまま入れるサイズではない。傷を付けない様慎重に周りのコンクリートを砕き、落下させない様弟子達が箱を支えた。
取れそうになった時点で兼忠が歩み出た。再度祝詞を唱え酒と米を捧げ、大幣を揺らす。
5分くらい経っただろうか。兼忠が祝詞を唱え終わり、私に目配せした。
私、陽菜、弟子の三人がかりで天井から運び降ろす。
コトッ
と軽い音だった。これに本当に人が入っているとは誰も信じられない程に、箱には重みが無かった。
まじないなのか、無地の白い紙が一面に貼られ、漢字と模様の書かれた札が蓋の上下左右を閉める様に貼られている。大分かすれてしまっているが、鎹や楔、封といった文字がかろうじて読み取れる。蓋は閂で閉じられてはいるが、仕組みは至ってシンプルであり、三本の木材を横に通しているだけの物。やはり人柱として埋められていたのは間違いない様だ。これを開けるのかとの恐怖もあるが、人柱という物自体への怒りややるせなさも感じており、それはここにいる誰しもが同じだった。
祖父がお酒を口に含み、箱に吹きかける。それからまた大幣を振り、札を剥がす準備を整えていく。私達はその間手を合わせ祈りを捧げる。
一体何に? 神か仏か、埋められている彼女にかは分からない。
ふと細目でを見ると、祖父が異常なまでの汗をかいているのが見えた。外から流れ込んでくる熱気と着用している衣装のせいもあるだろうが、それにしても今にも倒れんばかりの異常な汗だ。
儀式が終わったのを見計らって小さく聞いた。するとこんな答えが返ってきた。
「真帆、陽菜さん、皆……よう聞きなっせ。今、この教室のそこら中から視線を感じとる……それも一人二人でなく、何十……この学校の敷地内に入った時から見られている様な気がしとった。見張られている、と言った方がより近いかんしれん」
つい周囲を見渡しそうになり、祖父に止められた。
「見るな。お眼鏡に適うか値踏みしとる。あくまで冷静に、注意して望まないかん。それに真帆。お前も疑問に思っとったろうが、『天井に』『蓋を地面に向けて』埋めていたのはまじないの一環。この子らの怒りば反転さすっ為のもんた。そりゃ怒りも増ゆる」
私は他の面々を見た。弟子の一人が歯の根が合わぬ様に震え目が泳いでいたが、陽菜ははそうではなかったようだ。
「大丈夫です。多分私達が本当に解放してくれるのか気になるんだと思います。信用していいのか、そうじゃないのか…………じゃあ、開けますね…………長い事待たせちゃってごめんね」
箱の前に座り込み、短く手を合わせる。
札に指を掛けた瞬間、全員が唾を飲み込んだ。いつ、何が起きてもおかしくはないと皆の緊張が高まっていく。
ペリ……ペリ……とあって無い様な粘着を剥がしていく。いとも簡単に札を剥がし終わると、次は閂を抜いていく。コンクリートの欠片が隙間に挟まっていて少し難航したが、それでも10分とかからなかった。取り外されたお札も閂も真っ白な布に包まれ、用意されていた台座の上に静かに置かれていく。
そして、陽菜が蓋に手を掛けたその瞬間だった。
「う、うわぁぁあああ!!!」
突然弟子の一人が叫び声を上げ、開いた扉に向かって走り出した。誰しもそれなりの恐怖を覚えていたが、一番顕著に恐怖を示していたのが彼だった。彼は教室のあちこちに見回しながら、何かに怯えながら駆けていく。
「でけん!!」
祖父が叫ぶが彼にその声は届いていない。
あと一歩で廊下に出るという時に独りでに扉が勢いよく閉まり、そのまま扉にぶつかって撥ね飛ばされ教卓側の壁に激突した。
彼が呻いてその場にうずくまるとフッ、と教室が一瞬で薄暗闇に包まれた。
驚いて窓を見ると、凄まじい勢いで黒く濁った雨が割れんばかりに窓を叩きつけ、振り返った先の廊下では同じく黒々とした水が土砂と共に蛍光灯までをも飲み込んでいた。それらを認識した途端、濁流然とした爆音が教室を揺らし、外の音はおろか誰の声も聞こえない程になった。辛うじて中が見えるのは開けられた窓から差し込む光のおかげだが、それも水の勢いによってかゆっくりと、しかし一枚一枚確実に閉められていく。
初めに動いたのは祖父だった。一目散に窓に駆け寄ると指をねじ込んで強引に押さえつけた。閉められる力が強いのか、閉まらないよう留めるのが精一杯の様子だ。次に走ったのは私で、続けて残りの作業員が窓に向かって走り出した。藤父はその場で腰を抜かしていた。
恐らくあの窓が閉じ切れば私達の命は無い。直感がそう教えていた。
私は窓を押さえつつも、陽菜の動向を見逃すまいとして顔だけはそちらを向けていた。
陽菜は酷く狼狽していたが、私達が窓に着いたのを確認し蓋を開いた。
その中には薄汚れた白い着物を着て、木乃伊と化している少女が手足を縛られ折りたたまれた状態で入っていた。左手らしきものが見えているが右手に比べ異様に小さくも見える。
生きたまま入れられてしまったのだろう、どうにかこじ開けようと必死に藻掻き苦しみ、唯一動かせる首を曲げて板を噛んで開けようとしたが叶わず、悲しみと怨嗟に大きく捻じ曲がった顔があった。それは私が見たとあの少女の霊そのものだった。
横から濁流の音に交じり
「ひいぃぃぃ」
と叫び声が聞こえた。声の方を向くと初めに逃げようとした作業員の足元の床が黒く濡れ、体が沈んでいくのが目に入った。よく見ればその沼の表面が無数の手の様にぬらぬらと蠢き、作業員の足を引っ張りこもうとしていた。南郷を引きずり込んだあの黒い水溜まり。藻掻けば藻掻くほど絡まる底なし沼。
だが先に消えたのは彼ではなかった。教室の後方でその光景に気を取られた作業員が窓に力を入れられず、閉まる窓に指を挟まれてしまい痛みに手を離してしまった。その瞬間彼の周辺が一気に闇に包まれた。小さく
「たすっ」
と言った彼の声も姿は最早どこにもない。続いて
「あ、あああ、だすけっあがっ…がっ」
横倒しになった彼が床に溺れていき、ものの数秒で姿を消した。
更に沼は教室の床を着実に侵食し私達の方へと向かって来ていた。ゆっくりだが確実に広がる沼が祖父の左足を捉えた。
「真帆っ、こ、これは、もたん」
ずぶずぶと絡まる沼に指が離れていく。
「お爺ちゃん!!」
私からでは遠すぎる。それに私が手を離せば両サイドから闇がやって来る事になってしまう。また……また私は大事な人を失うのか?
「手を伸ばしてください!!」
腰を抜かしていた筈の藤父が窓際まで這い寄り、サッシを掴みつつ祖父に向かって手を伸ばした。祖父が辛うじてそれを右手で掴むと、藤父は力任せに引っ張った。ずるりと沼から足が抜け、負荷が消えた祖父の体は慣性に則って私の背後まで転がって来る。
「あっ」
藤父が祖父を飛ばしたのも束の間、閉まる窓枠に指を弾かれ闇が更に広がった。
私は陽菜の方を見た。彼女はその少女の顔を覗き込んでいた。「急いで」と叫ぼうとしたが、それは憚られた。
たかだか十そこらの子供がそんな表情が出来るとは。
轟音も横に倒れる祖父も忘れ、彼女の行動に目を奪われた。
陽菜は少女の顔に優しく触れた。そして顔を近づけ
「────────」
何かを優しく囁いた。
私は言葉を失った。彼女が手を離すと少女の顔が穏やかなものになっていたからだ。全く水分の無くなった筈の木乃伊の顔が変わるなど、数多ある蒐集譚の中でも聞いた事が無い。
あれが本来の少女の顔なのだ。優しくて可愛らしく整った顔。
私は全てが元に戻った、歪みは正されたのだと確信した。
陽菜が少女を抱きかかえ箱から出すと、濁流の音と黒い水、腐ったドブの匂いが一瞬にして消え去り、また蒸し暑い空気と突き刺す様な陽の光が教室へと入り込んだ。
それから少しして階下からドバドバと水の跳ねる音が遠く聞こえてきた。
「お爺ちゃんはそこで待ってて」
了承を得る前に私は立ち上り階下の教室へと走った。
そこにはつい先程水に飲まれた筈の作業員二人と藤父が倒れていた。それも無数の死体と骨のすぐ傍にだ。数種類の学生服、幾つもの上履き、半襦袢……奥の方には赤い上履きが水溜まりに浮いている。
駆け寄って容体を確認すると全身の骨が折れているようだったが、大量の水をえずいて吐き出した。意識は無いが生きている様だ。
私ははっとして辺りを見渡した。
大量の骨を掻き分けたその下に、見覚えのある男性物の衣服が隠れていた。
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