第19話
その後教室を開けに来た先生に発見され、病院へと連れて行かれる事となった。勿論道中も退院後も警察署でも質問攻めに遭ったが、全てを答えるには私を含め理解が追い付いていなかったし、全てを説明するつもりも無かった。
あれだけ事件性があるにも関わらずあっさりと留置所から解放されたのは、状況的に私が手を出しようが無い事と、床に埋まった南郷の不自然さ、陽菜の助力があったからだろう。留置所内を解放されてすぐ、あるいは帰宅後に長住家が口止めにやってくるかと思われたが、そうはならなかった。
理由は、留置所を出て二日後に掛かって来た陽菜からの電話で判明した。
「口添えしてくれてありがとう。おかげで助かったよ」
「いえ、私の方こそ……本当にありがとうございます。教室で起きた事、両親に話しました。上手く説明出来たか分からないですけど……とにかく、お父さんとお母さんは水城さんをその……良くは思ってないみたいですけど、助けてくれた事には感謝してて」
「それで出すだけ出してくれたって訳ね」
「まあそうみたいです」
大きく溜息をついてパンフレットにあった具体例を思い浮かべる。燃えるゴミになっていた可能性もあるとするなら胸を撫で下ろすべきだが、それにはまだ早い。やらなければならない大きな仕事がまだ残っている。
一人でもやるべきだが陽菜がいないと話にならない。彼女は陽菜がやる事を望んでいるのだ。どう切り出すべきか。
悩んでいると陽菜から質問があった。
「どうして……南郷さんは中途半端にその……残されたんでしょうか……桑名さんは……いなくなったのに」
残された南郷と完全に連れて行かれてしまった光輝達との違い。
「私が思うに理由は二つあって、一つはタイミングじゃないかな」
「タイミングですか」
「そう」
霊を感情があるシステムだと仮定する。システムはある一定の周期が来るかある災害が起ころうとすると、その代わりに子供をどこかに連れ去ろうとする。
優先度が高いのは長住家の人間。長住家の人間を連れ去れればシステム的に一番良い。しかし長住家がこのシステムを作った為、長住家のコマンドが優先された。
つまり光輝が連れて行かれた後、陽菜の言葉で上書きされ連れて行かなかった。
「あくまで想像の域を出ない話だけどね……こういうのは桑名君の方が色々思いつくのは上手かったかもしれない。今のもほぼ桑名君の受け売りだし」
「そうだったんですか……」
「……それで、もう一つは多分怒り」
「怒り?」
「うん、陽菜ちゃんのお爺ちゃんがそうだったように、南郷も水の中で苦しんで死んだ。自分たちがされた事と同じように……共通しているのは、二人とも誰かを犠牲にして願いを叶えようとしていたこと。お爺ちゃんは陽菜ちゃんを守ろうとして小学生の誰かを、南郷は梨香子さんに会いたいが為に私達を。罰すると言うと大袈裟だけど、見せしめというか」
「気付いてほしかった?」
「かもしれないね」
「……それで私、これからどうしたらいいんでしょうか。出してあげるって約束したのに」
「それは私に考えがある」
日曜日、
数日ぶりに訪れた御粕會はいつもと変わらない生活を送っており、何も知らなければ、まさかここで何人もの子供が失踪し、凄惨な死を遂げた人がいるとは考えられない。この街からオリンピック選手が現れたことも相まってか、横断幕や顔写真パネルなどがあり活気に満ちている様に見える。
目的地へは十時過ぎに到着した。
禁足地を持つ学校には以前感じた全体に錆びた雰囲気や、一瞬で分かる程の黒いオーラの一つも感じられず、肩透かしを食らったように何の変哲も無い学校だった。街と同じように至って普通のどこにでもありそうな学校。強いて言えば、爆心地である三階真ん中の教室の窓に、大量の新聞紙が貼ってあるくらいしか違いは無い。
車から降りて昇降口まで進むと、作業着に身を包んだ男が数人と宮司らしき人物が立っている。傍らには工事用の掘削機らしき物とお酒や神具が置いてある。
「お爺ちゃん、本当にありがとう」
「迷うたばってん……お前からも泣いて頼まれるとなら仕方なかもんな」
「泣いては、ないけど」
「で、こん子が例の」
「そう、長住陽菜ちゃん。陽菜ちゃん、こっちが私のお爺ちゃんの兼忠お爺ちゃん。気軽にかねちゃんでも良いよ」
「くらっ! なんばしょうもない事ばいいよっか」
「冗談だよ冗談。場を和ませようと思って」
「全く……確かにこん子は町と同じ匂いがすっけん、間違いなかとだろうな」
「町と同じ……」
苦々しい顔をする陽菜。
「お爺ちゃん、そういう事言わないの。この子だって被害を受けてる一人なんだから」
「あ、いや、そんな。私大丈夫です」
「大丈夫じゃないから。はあ……まあ気を取り直して。作業してくださるお弟子さんの方々、藤さん今日はよろしくお願いします。見れば分かるかと思いますが、今この学校の敷地内には私達以外に誰もいません。万が一邪魔でもされたら嫌なので、長住さんの両親に手伝ってもらっています」
陽菜の両親、特に母親はこの十年、細々と両親の説得を続けてきたそうだ。この街で一番権力を持つ家、長住家の家長になれさえすれば、それは最早役場のみならず警察、街全体を支配するに等しい。その家長である両親、ひいては祖父を説得し、長く続く人柱の悲劇を終わらせようとしていた。もしも今も祖母が健在であったならそう上手く事を運べなかっただろう。なにせ彼女は、人柱から得る利益を一から十まで享受してきた身なのだから。
陽菜が産まれてから十年以上、いや、自分達の時も他人の子を人柱にしてきた。祖父母と町の思考に染まらなかったのは、陽菜と同じく友人を亡くしていて、近くでその親の悲痛な叫びを聞き続けたからだ。如何に我が子を人柱にしない為とは言え、他人の子を差し出すのに相応の心労を抱えていたし、この街や人の為に、陽菜の為にならないと思っていた。
そして、長年町を牛耳って来た祖父が死んだ。好機だと思った。
しかしそう簡単にこの町の基礎を崩す事は出来ない。
簡単に言えば、きっかけを待っていた、誰かに後押しして貰いたかった。そこに陽菜からの申し出があった、ということらしい。
更に今日は御粕會全域の大人達も出払っている。祖父が亡くなったのを周知させるのと、今後の事についての集会を開いているからだ。勿論これは建前であり、出来るだけ時間を稼ぐ為の口実。あえて創立記念日を選んだのも町民に疑われないようにする為だ。
また、作業員の一人は藤君の父親であり、仕事柄重機を取り扱っており、破つり機などを拵えてくれていた。
ある意味では丁度良かったというべきかもしれないが、これが吉と出るか凶と出るかはまだ誰にも分からない。
再度行程を確認し、三階へと階段を登って行く。今は真昼間かつ真夏だというのに、うすら寒い感覚を覚えているのは私だけではない。階が上がるにつれて暑かった空気が生温くなり、吐き気を催す程の凄まじい湿気とカビ、腐った肉の様なドブの様な匂いが強くなっていった。祖父もそれを感じ取っているのか、分かりやすく顔をしかめている。
出すと約束したがそれはそれとして、彼女にとって今日が忌まわしい日には違いない。彼女の、無数の被害者達の良心によって留めおかれているだけで、今も変わらずそこにあるのだ。
三階に着くとバリケードが復活していた。黄色と黒のテープに加え前回よりも太いチェーンと南京錠が付いている。
良く見れば机の天板は劣化して剥げて奇妙な模様を作り出しており、脚は殆どが錆びきっていて今にも折れそうだ。たった数日でここまで劣化するものだろうか。
誰かが唾を飲み込んだ。
私が一言
「皆さんお願いします」
と言うと、兼忠は
最後に
赤い上靴は無い。
私を先頭に教室のドアの前に立つ。ここに入るのはあの事件以来か。
今中がどうなっているのか誰も分からないが、あらぬ噂ではあの趣味の悪いオブジェがそのままになっているだとか、取れる部分だけ取って後は残っているらしいとも聞いた。
藤父曰くだが。
「やっぱりやめた方がいいんじゃないですか」
ぼそりと作業員の一人が呟いた。藤父を除く作業員も、頷きこそしないが同調している風の顔だ。わざわざ危険を冒す必要がどこにあるのか、享受出来るならそれでもいいじゃないか、と言わんばかりである。しかし、ここで引いてしまえばもうチャンスは巡って来ないと私も陽菜も分かっていた。彼女との約束を反故にする事はつまり、これからも延々と子供に犠牲を強いる事であり、本来起こるはずだった自然災害を他所に擦り付ける事でもある。
これまでの状況を祖父の弟子である彼らにも説明はしているが、それを曲げてでも帰ろうとしている。腐臭も空気も以前とは比較にならないからか。
「この馬鹿どもが! そん気性が人ば捻じ曲げち、穢れば産むて何べん言えば分かっとか! 霊て言うたっちゃ相手は人とぞ! 正しく畏れ敬意ば払わんかぬしゃどんがぁ!」
兼忠の一喝に弟子のみならず全員が背筋を伸ばした。弟子達は各々祖父に謝罪をしているが、私も気を引き締め直さねばならないと肝に銘じた。
いくら約束したからと言っても相手はこの世の者ではないし、約束したのは陽菜だ。全員が約束に庇護されているとは限らない。
人柱を捧げ続け、街は順調に発展を遂げてきた。勿論時代と共に街が発展するのはどこも同じであり、そこに違和感はない。だが、歪みを引き受けている近隣は違う。毎年の様に土砂崩れや川の氾濫に見舞われ、作物も育たなくなっていた。この十年でそれらが加速しているのを私達は調べて分かったし、藤家や甲斐家の大人からもそう聞いた。
だからこそ今ここで止める訳にはいかない。歪んだ物は真っすぐに正さなければならない。
意を決し、ドアを開く。途端に閉じ込められていた生温く腐った空気が、止めどなく廊下になだれ込んでは私達を包み込み、足元からゆっくりと鳥肌を立たせ背筋に冷たい物を引いていく。
踏み込んだその教室は据えた臭いが充満し、散り積もった埃と砂で鼻と喉が粘りついた。私は温い空気を割いて窓の方へと駆け寄り、勢いそのままに古びた新聞を破り捨て窓を開け放った。紙の破ける音と共に、数十年ぶりに差し込んだ陽の光が舞い立つ埃を照らし出し、黒く絡みつきそうな影を教室の隅へと追いやっていく。次々と新聞を破き窓を開けると、ここで人が消え、死んでいったとは思えない程普通の教室に様変わりしていった。
本来のあるべき姿に近づいたとも言えるが、それにはまだ異物が存在している事を忘れてはならない。
一つは廊下側に敷いてあるブルーシートだ。場所は南郷が生えていた場所に被さっているが、遺体があるような膨らみは無い。彼女の遺体はどうやってか取り除かれたようだが、臭いの発生源はどうやらここからのようだ。四隅に重しが乗せられているが、これを外して見る必要はないだろう。作業の邪魔になる臭いだが、承知の上だ。やるしかない。
もう一つはあの少女の霊、もとい少女自身がこの教室のどこに埋められているという事だ。どこにいるか判断が付かない以上、とにかく床を剥がしていくしかない。
蒸し蒸した教室の中、けたたましい音と共に彼女の救出作業が始まった。
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