第15話
光輝と航の二人が最初の地図を広げている頃、真帆と陽菜の二人は例のマンションの前に立っていた。場所は唯人の母親に電話して判明し、案外近かった為徒歩で移動していた。粕會川を跨いで少し坂を上った所にそのマンションはあった。
白と焦げ茶を基調にしたモダンな風合いがあり、玄関ホールはガラス張り、一階の目隠しには綺麗に切り揃えられた生垣が設けられていた。夜になればその生垣を照らせるようにライトまで仕込んである。
「高級マンションらしい高級マンションだね」
「こんなとこ住んでみたいです」
子供らしい発想だなと真帆は思った。だがそれくらい良い見た目のマンションに真帆も頷き、いかにもなマンションの中に進みインターホンを押した。
マンションの場所と同時に藤母と仲の良かったママ友の連絡先を教えて貰い、学校の名を語って約束を取り付けた。案外すんなりと騙せる物だなと思ったが、逆に学校の名前がどれだけ強い物かを実感する事にもなってしまった。
呼び出し音が鳴りお淑やかな声が返事をした。声だけで人となりを判断するのは浅はかだが、
実際、玄関を開けて出てきたのはやつれてはいるものの、小綺麗で出る所に出ればモテたであろう人物だった。真帆を学校関係者だと信じ込んで挙動不審でなければ、もっと素敵な女性に見えただろう。
真帆は半ば強引に部屋へと押し入った。
「それで……その、学校についての話とは一体なんでしょうか……私は、その、今は子供もおりませんし、夫とも離婚しておりまして……」
「いえ、実は今回はそういった内容で伺ったわけではありません」
「……と言いますと?」
「お子さんがいなくなった当時の話を聞きに来ました」
「……学校の方ではないのでしょうか」
挙動不審さが更に増したのが目に見えて分かる。そもそも子供がいるなどとは聞いていないし、その時点でおかしいとは思っていたが、学校関係者でないのであればこの二人は誰なのか。思考を巡らせる目で真帆達を見た。
だが部屋にあげてもらった段階で、彼女の策略はほぼ成功していると言って良かった。怪談の被害にあってなお被害届や捜索願を出していないならば、どこかから待ったが掛けられている証拠だ。そんな人に
「怪談について知っている事を話して欲しい」
などと初めに言ってしまっては、門前払いを食らうのがオチだ。『今は子供はいない』と明言したのが被害にあった確たる証拠である。真帆は続けた。
「先日、一人の男の子がどこかに連れ去られました。ここにいる彼女や今も普通に学校に通う子供達の友達が、です。なのに、その両親は彼女達に何も告げず家を出て行きました。何故ですか?」
「し……知りません、帰ってください」
「いえ、話を聞くまでは帰れません」
「かか、帰ってください! け、警察を呼びます!」
「ここにいる彼女も、今図書館にいるであろう男の子も、あなたの子供と同じ様にどこかに連れ去られようとしているんですよ。それを見過ごすって言うんですか」
「わ、私には関係ありません! 帰ってください!」
「関係無い? 本当にそうですか!? 誰かが声を上げさえすれば、子供達は被害に遭う事もなく普通に学校に行って友達と遊べていたはずでは? あなたの子供も、本当ならもう中学校に上がって、青春を謳歌していたはずではないんですか!?」
「そ、それはだって」
「悔しかったはずですよね。急に自分の子供が訳も分からない怪談なんて物に連れ去られて、それでも黙っていろなんて」
「それは……」
真帆は一呼吸置き、真っ直ぐ南郷を見据えた。
「私はどうにかしてこの怪談を終わらせたいと思っています」
その言葉を聞き南郷は目を見開いた。驚愕と不信、期待と諦観が混じっていた。
「……どうやってやるつもりですか……いや終わらせた所で
「無理にとは言いません。それにまだどうやって終わらせるのか、終わらせられるのか検討もつきません。でもだからと言って、このまま子供が犠牲になって言い訳が無い。他人だからと見て見ぬふりをしていてはこれまでと何も変わらない。梨香子ちゃんが消えたのをただ静観していた周りと同じになるんですよ? 酷なことかもしれませんが、理不尽に立ち向かわなければ、ただ従順に流されるまま生きて手を差し伸べないのは、生きていないのと一緒です。世の中には度を越えた理不尽な人や物事が渦巻いてます。立ち向かうには余りに大き過ぎる理不尽が。私はそれに巻き込まれ、挙句の果てに生きる事を放棄した人を沢山見聞きしてきました…………南郷さんはそれに巻かれて泣き寝入りしてしまうんですか。勿論何でもかんでも協力してくれとは言いません。私には分からない南郷さん自身の痛みがあって、これから先も処理しきれない程苦痛を背負っているのかもしれない。でも……もし少しでも理不尽に対する悔しさや物を言えないもどかしさがあるのなら、ほんの少しだけでも勇気と優しさを彼女達に見せてくれませんか。それだけで十分なんです……お願いします」
真帆は深々と頭を下げた。陽菜もそれを見て頭を下げた。無言の空間に小さく時計の針が進む音が響き、南郷は最早声も思い出せなくなってしまった我が子を思い浮かべていた。
好きだった玩具もテレビ番組、部活動で使っていた道具。三人でよく遊びに行った草スキーが出来る高原とアイス。あるいは着るはずだったぶかぶかの学生服。
南郷は無言で立ち上がると、どこかの部屋に歩いて行ってしまった。目線の隅で感じていた真帆は顔を上げ、気配を察した陽菜も顔を上げ見合わせた。
暫くして南郷が戻って来ると、手には特に装飾の無い紙の束があった。その束を真帆に差し出した。中央には赤字で「必読」と書かれている。
「それは……梨香子がいなくなった翌日、当時の校長先生から渡されたパンフレットです。中には学校の怪談に関する簡単な概要と、子供がいなくなった際の補償について書かれていました。最後の方には子供がいなくなった事を黙っておくようにと注意書きがあって、口頭でも説明を受けました……もう空でも言えるくらい読みました……最初のページに『大切にお育てになったお子様につきまして、人柱となるのは大変心苦しいものがあるとは存じます。心よりお礼申し上げます』って……書いてあって……お礼? お礼って何? 子供がいなくなってお礼を言うなんて、どんな学校なのって二人して怒鳴り込んだの。そしたらこれを渡されて……」
段々と南郷の目がどこか遠くに移って行き焦点が合わなくなる。
「声が聞こえるんだって頻りに訴えてたのに、私も夫も全然取り合わないであしらっちゃって……日に日に言葉の内容まで具体的になるのよ? それでもどうしたって子供の遊びだって思ったの。そうしたら梨香子いなくなっちゃった。おかしくなあい? 他にも沢山子供はいるのにどうしてうちの子なの……あの子もいなくなって夫もいなくなって……残ったのはお金と家だけって……昔はこの辺の地主の家から何年かに一人出してたって話で、ずっとそうしてくれれば梨香子がいなくなる事も無かったのに。自分が蒔いた種を他人に拾わせてるだけじゃない。結局馬鹿を見るのは下々なんだから……金なんか貰ったって何の役にも立たないのよ。上の堀越さんも二〇三の渡辺さんも、お金お金お金…………あなたもそう思うでしょ?」
頭をぐるっと真帆に向けて尋ねた。
思わぬ問いに「ええそうですね」としか答えられなかったが、特に意に介していない様子で顔を明るくし
「あ、そう言えばお茶の一つも出してなかったですねごめんなさい。今入れてきますから」
と有無を言わさずキッチンへと引っ込んでいった。思っていた以上の情報が手に入りはしたものの、南郷の姿はとても痛々しく映った。何かを奪われた人を多く見てきた真帆にはその一人に過ぎないが、至って順当に育った陽菜にとっては奇異な人物だった。
南郷が部屋からいなくなり、真帆は携帯に送信されていた写真を確認することにした。それらは光輝が町の歴史の本を映した物で、その後の連絡で町の地図を確認するとなっていた。一瞥しただけでは普通の集合写真にしか見えない。
「この写真見て何か分かる事ある?」
眼鏡橋なる石橋、初代町長と議員達、川の整備前整備後、新校舎建設時の写真。
「……あっ、これ見た事あります。校長室に同じのが飾ってあってちゃんと見た事無かったんですけど……この右端の人……お爺ちゃんの若い頃にそっくり……」
陽菜が写真の右端でしゃがみこんでいる男を指さした。一枚前の写真の文章から彼らが建設に携わった人物達であると判明しているが、名簿には長住の名前は無い。道中聞いた家柄から察するにそこに序列していないとは考えにくい。しかし、以前に見た祖父の若かりし頃の姿にそっくりだと長住は言う。他人の空似がこの狭い地域で発生した可能性もあるが、序列しなかった理由があると考えた方が理にかなっている。
突然光輝から電話が掛かってきた。
「もしもし、桑名君? 何か分かった?」
「色々分かったんだけど、先に伝えておきたい事があって。今近くに長住ちゃんはいる?」
「え? いるよ」
「ちょっと離れる事出来る?」
「まあ……ちょっと待って」
光輝に言われるがままリビングを離れ廊下に出る。
「……それで、何が分かったの?」
「結論付けるのは早いって頭では分かってるんだけど、そうとしか考えられなくて」
「急いでないから順序付けて話してくれる?」
「ああ、ごめん。いやでもまさか……とにかく町の地図を印刷してもらって、年代順に並べてて。一番新しいのが去年、一番古いのだと110年前」
「そんな前のもあったんだね」
「そう。で、去年から順々に見ていくと次第に家が減って、110年前まで遡ると粕會川にはもう一本大きな支流、むしろこっちが本流だったんじゃないかってサイズの川があったらしいってのが分かった」
「川? どこに?」
「金持ちロードの真下」
真帆は金持ちが暮らしている山の麓にある、別名の付いた太い道路を思い浮かべた。現在の道路にそんな面影はないし、その規模の川があったなんて信じられなかった。川があったという歴史を物語る物は一つも無い。光輝は更に続けた。
「その川は
「分かった。それで?」
光輝の説明口調に焦りが乗っているのを真帆は感じていた。相槌を最小限にする方が話が進むと思い、端的に返していく。
「今のが地形の話で今度は学校の話。校舎が立て替えられたって話はしたよね」
「した。さっき送ってきた写真で見る限りは54年前ってなってる」
「そう。それで手元にある地図が59年前。それには旧校舎の形が書いてあった」
「旧校舎の形? ……まさか」
「信じたくはないだろうけど、上から見れば旧校舎はコの字になってた」
ここで嘘をつく必要は無い。つまり本当に旧校舎はコの字の形をしていた。思い返せば先程見た写真に写る校舎は、直角に折れ曲がっている様に見えなくもない。誰かが意図的にその形に設計し造り上げた。だが光輝の話はそれで終わりではない。
「でもそれだけじゃなくて……寧ろこっちの方が大事かもしれない。長住ちゃんの実家が今どこにあるかは覚えてる?」
「分かる」
金持ち達が住む新興住宅地の一番北側、川の畔に建つ日本屋敷。
一呼吸置き、光輝は言った。
「110年前の地図じゃそこに長住ちゃんの家は無くて、今まさに御粕會小が建ってる位置に長住ちゃんの家はあったんだよ」
真帆は思わず身震いした。
「そんな……偶然同じ苗字だって可能性は」
「勿論その可能性もあるだろうけど、こういう場合の偶然は偶然じゃないって水城さんも分かるでしょ。そうだとすれば長住ちゃんのお爺ちゃんと両親が、霊を祓う方法を知っているのも本に名前が載ってないのも辻褄が合う」
「でもどうして」
「いや、それはまだ仮説の域を出ないって言うか……ただ、長住家が渦中のど真ん中なのはまず間違いないと思う」
「……まずい」
「どうしたの」
「後でかけ直す」
光輝との電話を切りリビングへ早足で戻る水城。
もしも光輝の話が正しければ、この家には加害者家族と被害者家族が存在している事になる。あのパンフレットに長住家の事が書かれていれば、いくらお金が支払われていても恨んでいるに違いない。玄関先で既に苗字を名乗ってしまってる以上、一人にするのは危険だ。必要とあればすぐにでもここから出た方が良い。
リビングへのドアを開けると南郷が丁度お茶を持ってきている所だった。幸い、南郷は陽菜が怪談の出所だとは気付いていないらしかった。自身の家について何も知らない彼女が口を滑らせる前に、南郷家からお暇しなければならない。
「お口に合えばいいけど」
出されたのは地元では有名な団子とお茶だった。まだ彼女があの長住家だとは気付いていないようだ。しかし念には念を入れて立ち去る方が賢明で、欲しい情報は手に入った。
「南郷さんすみません、押しかけてしまった手前大変申し訳ないんですが、私達急用が出来てしまいまして……」
「あら、お茶くらい飲まれてからでも」
「ああいえ、友人から急いで来て欲しいと頼まれてしまいまして。良ければまたお話を聞かせて頂ければ嬉しいです」
如何にも申し訳なさそうな苦々しい表情を作り、その場から立ち去ろうとする。陽菜はおどおどと南郷と真帆へ目線を動かして、深くお辞儀をし真帆の後に着いていくしかなかった。
「大丈夫? 送りましょうか?」
「いえ大丈夫です。すぐそこまで来てくれてるみたいなので」
「そう……もしその……何か解決しそうだったりもし解決したら……連絡貰ってもいいかしら。手助け出来そうな事があれば連絡してくれてもいいし」
「ご親切にありがとうございます、それでは失礼しました」
玄関のドアノブに手を掛けそそくさと出ようとする彼女らを、抑揚の無い声が静止した。
「ところであなたは何年生だったかしらね」
表情筋をこそぎ落とした南郷が薄い白色灯に照らされ、能面を付けている芸者の様に立っているのを見て真帆はぎょっとした。
その手には果物用の小さな包丁が握られている。キッチンに行きお茶とお菓子を持ってきた時に、背中に隠していたのだろう。
真帆はこういった、感情がスイッチしてしまうタイプの人を大勢見てきた。その勘から南郷が自分の手に包丁を握っている事を、自分でも理解していないのだと感じ取った。と同時に、彼女の頭の中で感情と理性が戦っている事も理解した。実の所では南郷は、陽菜が長住家の人間であると分かっている。しかし子供は関係が無いとも分かっている。故に壊れかけている彼女の脳内で長住家への復讐心と、関係無い子供を巻き込みたくない理性が鬩ぎ合った結果が今なのだ。
幸い陽菜には包丁が見えていない。出来るだけ刺激しないよう笑顔を作り、ほんの少し体を右にずらす。
「あ、えっと六年です」
陽菜がそう答えると南郷はぱっと表情を明るくし
「そうなんだ、今年卒業かあ」
と返した。真帆は再度別れを告げ南郷家を後にした。エレベーターを降りマンションが見えなくなる所まで進み、真帆は深く息を吐いて胸を撫で下ろす。隣で心配そうに見つめる陽菜には言えないが、玄関ドアを閉める寸前
「梨香子と同い年ね」
とぼそりと呟いたのが耳に届いていたからだ。包丁の事も陽菜には黙っておかなければ。
ポケットから携帯を取り出し光輝に電話を掛ける。数回コール音が鳴り光輝は返事をした。
「もしもし、さっきはどうしたの? 大丈夫?」
「いや……一先ずは大丈夫。今からそっちに向かおうと思ってるけど、まだ図書館?」
「いや、もう出ててスーパーに向かってる所。甲斐君もお腹空いてきたって言ってるし、お弁当でも買おうかなと。水城さん達も来るでしょ?」
その誘いを陽菜は一度断ったものの育ち盛りのお腹には逆らえず、道中にある美容室前で集合して向かう事になった。
道すがら南郷から貰ったパンフレットを読み進めるが、南郷の話を聞いていたとしても到底信じられる内容ではなかった。
15分程川沿いを歩いて橋を渡り、一つ目の交差点を右に曲がって5分弱で美容室に着いた。光輝と航は既に到着しており、呑気にコーラを飲んでいる。
所謂ハインリッヒの法則は怪談にも当てはまる。無数の小さな異常、目に見えて分かる変化、そして一つの悪意。それら全てに目を向ける事は到底適わない。
人間の脳は都合良く出来ている様で、身の回りの危険に鈍く思考の外に追いやる。自分に事故や災害が降りかかる可能性を見ずに過ごす事で、ストレスの無い通常通りの生活が送れている訳だ。あるいはそれらを認識しなければ現実にならないのではないか、という無意識的思考が常にあると言い換えても差し支えない。更その可能性に当たってしまったとしても、時が経つに連れ認識は緩くなっていく。
あまりの緊張感の無さに真帆は肩の力を抜き、二人と合流した。怪談の渦中にいても普段と変わらない光輝の姿によって『普通』に戻されてしまった。
だが、その緩んだ空気は一瞬にして掻き消された。
真帆と陽菜が歩いてきた方向から、一台の乗用車が四人を目掛けアクセルを全開で突っ込んで来たからだ。
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