第11話

 薄暗い地下室には更に三つの小部屋に繋がっており、内二つには木で出来た檻が備え付けられていた。その檻にくの字になって顔を埋うずめる白髪の男性が倒れており、後頭部に開いた穴から血とそれ以外の物が流れ落ちている。その丁度向かいの壁際には同じく倒れこむ老婆がいた。

 部屋の中央で毅が掌を背中で合わせたまま、こちらに驚きの表情を見せていた。毅のすぐ左には例の三本腕の男がおり、不自然に生えた右腕を地に付け一心不乱にお経を唱えている。唱えている先には家を解体した際に発見された仏像が、無数の腕を模った台座の上に鎮座していた。台座と相まって悪趣味ここに極まれりと言った見た目だが、優奈には最早そのどれもが視界に入っていない。

 胡坐をかく仏像のその脚の上、両足と股の窪みに奈緒が横たわっていたからだ。

 彼女の小さな心臓が彼女の小さな胸の上に置かれている。どういう訳か未だ脈打ち、胸元と心臓から流れ出す血は仏像へと染み込み、枯れた仏像がしっとりと息を吹き返している様にも見える。

 儀式めいたそれも、死に体の老夫婦も、全てが常軌を逸していた。

「こっ……ここで何ばしよっとかあ!!!!」

 先に我に返った毅が叫びながら突進してきた。特徴的なドタドタ走りと必死の形相がちぐはぐに見えて仕方ないが、この状況下で咄嗟の判断など出来ず、優奈はもろに体当たりを食らってしまった。ほぼ二倍の体格差がある毅とぶつかり、壁に吹き飛ばされ

「うぐっ!」

 と呻き声を上げて床にうずくまった。それを見た光輝は無謀にも毅に組みかかった。

「何してるはっ、てめえの方だろうが!!」

「せからしい! ぬしゃあぬくぬく育った癖してからっ! 何が分かっどか!!」

「知らん!! 何があった所でこれはやったらいかんて、くっ……警察なら分からんのか!? ふざけたこと抜かすな阿保が!!」

 普段特に何もしていない光輝と仮にも警察学校を卒業している毅とでは、体格の差はあまりなくても力が拮抗しているとは言い難い。

 その隙を伺っていた三本腕の男が、光輝達が入って来た入り口に向かって逃げ出した。

「おい!! あっ、このっ!!」

 光輝はまだ組み合っていて防げそうになく、優奈もまだうずくまったまま。残る文則に任せたいが、まだ尻餅をついたままなのか壁に隠れて姿が見えない。

 ここで逃がしたらまた誰かが被害に遭うかもしれないし、何より、報いを受けさせられない。

「お父さん!」

 姿が確認出来ないまま光輝は叫び、その警告はしっかりと文則の耳に届いていた。

 逃げようとする男の姿を二重扉の柵越しに確認していた文則は、男が入り口に来た瞬間を狙い、その柵を自分側に引き寄せ体重を乗せてぶつける事に成功した。男は真正面から柵にぶつかり、組み合う二人の方へ吹き飛んでいった。その際、不自然に生えた腕が枠にはまって折れ、骨が肉を突き破った。その突き破った骨が毅の太腿をざっくりと引き裂いた。

「あぁ……んんん!! んあぁあ! いあぁぁいいいいあいぉおにいはぁああん!!」

 床でのたうち回る男が声を初めて発した。余りに舌足らずで麻痺した様な、まだ声変わりを果たしていない幼く不安定な発音だった。

 光輝は自閉症患者を思い浮かべたが、それだけでは足りない耳障りな音が混じっているのも感じていた。本人から発されているが、どうにも本人の物とは思えない。カラオケのエコーかリバーブが掛かっているのかと錯覚を覚える奇妙さがあった。

雄二ゆうじ!!!」

「んああ! ほえがぁ、ほえがあああ!!」

 毅は男を抱き寄せて名前を呼んだ。島崎家と関係があるのは明白だったが、旧知の仲以上の物があったようだ。泥だらけになり血に塗れても気にも留めず、男の……雄二という名の付いた不気味な男を介抱しようとしていた。ざらつく悲鳴と刻々と変わる状況の中、ふらふらと優奈が立ち上がり奈緒の元へと駆け寄った。

「ああ……そんな、奈緒……奈緒! いや……そんな」

 胸から心臓が落ちない様抱きかかえ、震える手で心臓を胸の中に押し戻す。切れた無数の血管に圧力がかかり血が止めどなく溢れてくる。辛うじてあるらしい意識は敏感に痛みを感じさせ、奈緒の身体をびくびくと痙攣させた。

「駄目っ、いやなんで……お願いお願い死なないで、いやだぁ」

 口や胸から血を垂れ流しながら痙攣し、心臓を戻されてから数秒して全く動かなくなった。

 奈緒が死んだ。それをどうやって受け止めればいいのか優奈には分からず、ずっと張りつめていた緊張がプツリと切れた。目を開けたまま屍と化した我が子をただ茫然と抱いてるだけ。涙が頬を伝い奈緒へと落ちていくが、拭く余裕はほんの少しも残っていない。

「…………ふへっ」

 放心する三人を異常な現実へと引き戻したのは、一つの笑い声だった。

 雄二が二本の腕で折れた腕を持ったまま引き攣った笑みを見せている。

「こっ、こえでおうちたすかるねぇ、うれ、うれじいね、おにいひゃん」

「そうだなぁ! ようやったぞ雄二! 流石自慢の弟だ」

 何を一丁前に家族ごっこをしているのか全貌が分からないにしろ、一人の命が消えた事を喜び称賛する、さながら悪魔のいけにえのソーヤー一家のようだ。

 家を助ける為にやる儀式が、幼い子供の心臓を抉って仏像の上に供える事だと言うのだろうか。

 一昔前の言い方をすれば人柱だろう。迷信の中でも群を抜いて信ぴょう性の無い物の一つだが、この科学が進んだ世の中で盲目的に信じ、実行する人間がいるなどこの部屋を見ない限り信じられない。

 だが、今ここで重要なのは奈緒が死んだという事実だけだった。

「こっ……こ…………やる」

「……優奈さん?」

「こ……殺してやる」

 動かなくなった奈緒を地面にゆっくりと下ろし、優奈がゆらりと立ち上がった。泣き腫らし怒りで血走った目で、家族ごっこを興じる二人を睨みつけている。

 鬼子母神を彷彿させるその表情と気迫に、光輝は何も言えなくなってしまった。虫も殺せない程温厚な彼女の人相が、別人かと思う程歪んでいる。

 目線が動いた。優奈は地面に落ちているそれが何かを理解すると、それ目掛けて駆け出した。

 それは一丁の銃だった。

 毅が警官として携帯し、つい数分前に老人二人に向けて二発ずつ弾丸を放った。その後毅はホルスターに戻してはいたものの、留め具を掛けるのを失念していた。文則が雄二を扉をぶつけ突き飛ばして組み合う二人に倒れこんだ際、銃はホルスターを飛び出し地面に転がった。それに気付かない頭の弱さが毅が毅たる所以なのだろうが、瞬時の判断を鈍らせる材料として雄二の存在も大きかったようだ。

 数舜遅れて銃を取り戻そうと動き始めたが時既に遅く、銃は優奈の手に収まってしまった。

「そぎゃんこつせんでええ止めろ!!」

 文則の声は全く耳に届いていない。愛する我が子の笑顔や涙を見る事も、成長を感じ言い争う事も出来ない。人の子を攫い、更には家を助ける等とふざけた名目で娘を殺した人間など、一秒でも早く死んだほうがいい。夫だけでなく子供まで奪うのか。

 優奈は夫のわたるを事故で亡くしていた。

 今はドライブレコーダーの普及によって多少防げるようになったが、法が整備される前に、白いバンからの執拗な煽り運転の末亡くなっていた。渉は優奈と同じく温厚な人物で、常日頃から世話好きの苦労人というイメージを持たれていた。そこに優奈は惚れこんだ訳だったが、温厚とは裏を返せば気が弱いこととも繋がっている。

 そして気性の荒い四十代の男に難癖を付けられてしまい、5キロ程煽り続けられた後、ハンドル操作を誤り斜面から転落。救急が駆け付けた時には意識があり、優奈も急ぎ病院へと駆け付けたが

「人に優しくして、奈緒をよろしく、愛してる」

 と途切れ途切れに伝え、その言葉を最後に二時間を経たずして命を落とした。

 二日後、多くの目撃情報と監視カメラの映像が証拠となり、犯人の男は逮捕された。法整備がなされていない事もあり、現在よりも軽い刑罰となったが、それ以上を優奈は望まなかった。勿論、どれだけ正しい事を示したとしても、一切響かない人間がいると知っている。だからこそ重い刑に処されるべきだと思うが、それで夫が戻って来る訳ではない。

 しかし辛く押し潰されそうな心を奮い立たせ、優奈は夫の最後の言葉を自分なりに大事にしようと誓ったのだ。犯人についての情報はそれ以上聞かない様にして、奈緒への愛情へと転化させた。

 その矢先だった。優奈は毅か、あるいは雄二と呼ばれる奇形の男に向けて銃弾を放つ事しか頭に無かった。

 優奈は引き金を引き、数分前に聞いた音と同じ爆音が地下室内に響き渡った。

 警察が使用する拳銃はリボルバー式で、装弾数は五発の物が一般的だ。日本の犯罪は銃を使用しなければならない程危険性の高い物が、アメリカやその他の国に比べて少ないと言える。アメリカは特に銃社会でもある為、犯人が銃を所持している可能性があり、その場を制圧する為に装弾数の多いセミオートが使用されている。

 簡単に言えば、リボルバーは携帯と取り扱いがし易く、セミオートは取り扱いが難しいものの、複数回射撃に向いている。ここで付け加えるならば、日本の警察が使用する拳銃は引き金が固く、銃身長が短い為反動も大きいのが特徴でもある。

 訓練していない一般の、しかも非力な女性がこれを撃つとなると相当な力を籠めなければ発砲は難しいだろう。

 ところが火事場の馬鹿力とでも言うべき力を出した優奈は、ややあって引き金を引く事が出来てしまった。力を込めた際に照準が上がり、かつ、銃の反動によって銃身が大きく上に逸れた。結果、銃弾は本来なら当たるであろう毅と雄二の腹部辺りではなく、それから20センチ程上に向けて発射された。

 驚く事に発砲する寸前に雄二が毅を守る様に上体を起こした為、雄二の右頸動脈を貫通し、毅の右鎖骨と第一胸骨の間に着弾した。

 銃の反動で背中から倒れた優奈は「だめだ!」と叫んだ光輝の声を聞き逃していたが、すぐに訪れた短い沈黙によって自分が何をしたのかはっきりと理解した。

「……ぐぷっ……えぁっ」

 音にならない雄二の血を吐く音を皮切りに、地下室にまた騒がしさが戻って来た。

「ゆ、雄二!! 雄二!! おい! ああ、いかんいかん死ぬな! こっ、このくそ女が! なして雄二ば撃ったつや!!」

 そう叫びながら雄二の首元を押さえ、どうにかして血が流れ出るのを止めようとしている。

「な、なあ光輝! 救急ば呼んでくれ! 早う! こんままじゃ雄二が死ぬる!!」

 毅は光輝に向かってそう言った。しかし、光輝は何を言っているのか一文字たりとも理解出来なかった。純粋にこいつらは頭がおかしいのだと、偶然日本語を話すだけで別の生き物なのだと思った。

 後ろで佇む文則は半ば俯瞰した気持ちで見ていたが、別の要因で我に返った。

 倒れこんでいる優奈の右側の檻、そこから皺だらけの腕がぬうっと現れたからだ。綱藤家の老夫婦、八悟朗とユメは地面に伏している。息子夫婦の所在は不明だが彼らではない。では一体誰が監禁されているのか。

 現れた皺だらけの左手には、大きな怪我の跡が痛々しく残っていた。

「親父……?」

 その傷跡は震災で付いた物にそっくりだった。失踪前と肌の色も変わり痩せ細っているが、あの傷跡は見間違いようがない。

 悶える雄二と毅を横目に、途中放心状態の優奈を起こして檻へと走り寄る。

「………せからしか……せからしか……夕飯はまだ来んのか……」

 そこには口元に泡を溜め、同じ台詞を呟き続ける繁巳の姿があった。頬がこけ痩せ細り、焦点の合わない虚ろな目、髪や髭も整えられず全身から悪臭を漂わせていた。再会の喜びと誘拐監禁への怒り、早く見つけてあげられなかった自責の念。様々な思いが文則の中に渦巻いていた。

「すぐ出してやっけんが……あと少しだけ我慢ばしとってくれ」

 息子が目の前にいるのに認識出来なくなっている。失踪するまではまだそれなりに働いていた頭も、長い監禁生活で完全に駄目になってしまったようだ。

 だが、それで見捨てる選択肢が出て来はしない。

 振り返り、悶え苦しむ二人に向かって言った。

「今から救急ば呼んでやるけんが、この牢屋んごたっとこの鍵ば渡しなっせ。じゃなきゃあ助かるもんも助からんし、おっどんにゃあ聞かないかん事がたいがあっけんな」

 毅は反論しようとしたがそれを遮るように雄二が血を吐いた為、無言で鍵を指さした。鍵が掛かっている場所には小さめの古いキッチンがあり、空になった食器類、血濡れた包丁、何に使用したのか考えたくも無い工具が並べられていた。

「光輝、毅ば見張っとけ、なんすっか分からん」

 檻の錠を開け、立ち上がるのすら困難な身体になった繁巳を連れ、出口へと向かっていく。肩から感じられる体重や、これまであった繁巳の強さがすっかりと無くなってしまっていた。命に別状は無さそうだが、一刻も早く病院へと連れて行かなければならない。

 改めて文則は雄二の姿を上階への道すがら観察した。全裸で修行僧の様に痩せ細り、奇妙に生えた腕。毛は上から下まで一本も生えておらず、どこからどう見ても異質で、有り体に言って気持ちが悪い。取って付けた様なアンバランスさが心をざわつかせる。

 その雄二の体を見たからだろうか。あの仏像を見ると完成されている・・・・・・・と感じてしまう自分がいる。あるべき頭が無く替わりに腕を生やし、初めて見た時にはおぞましく奇妙でしかなかった。だが、あの台座と合わさると妙にしっくりくる。

「俺が今から電話ば掛くっけん、お前はお母さんに連絡し。優奈ば出してから、話ばするばい」

 それから十数分後、聞き慣れたサイレンが下河区の住人を野次馬へと変え、一連の事件を収束へと導いた。


 新たな情報として、地下室にいたのは老夫婦と島崎家の兄弟、繁巳だけではなかった。繁巳の隣にも同じく監禁されていた人物が二人いたのだ。

 その人物とは綱藤八悟朗の息子と娘である光成みつなり光子みつこだった。光成と光子は一卵性の双子であり、とても良く似ていた。彼らは何かしらの薬を使用されており、保護されてから禁断症状に苦しんだが、数か月の後に回復する事が出来た。

 更に、銃で腹部を撃たれ項垂うなだれていたユメは辛うじて命を取り留めていた。残念なことに術後に一度目覚めたが、一言だけ残し死んでしまった為に重要参考人にはならなかった。また、救急が到着した時点で雄二は事切れており、こちらからも何一つ聞く事は出来なかった。

 あの地下室で生き残った人物、島崎家夫婦、桑名家の全ての証言を合わせた事実は衝撃的な物となった。中でも一番の重要参考人は、桑名カネだった。

 取り調べにも応じず家族にもだんまりを決め込んでいたカネだったが、地下室の惨状と病院で点滴を受ける繁巳、綱藤兄弟の姿を見てやっと口を開いた。

「あっが見つからんなら、それで終いだったとばってんね」

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