罪刑法定主義・違法性阻却事由
モーナが去った後、ウルリカは天を仰いだ。
「……あれで反逆罪に問われるというのなら、貴女は反逆罪の塊ね」
「左様でございます」
アンナは自らのスカートの裾を持ち上げ、慇懃無礼にカーテシーをしてみせる。
「貴女やルーカスがそうしていられるのは、結局、貴女達異世界人はこの世界の者が命を害せる存在ではないからなのね」
「それもありますが、ウルリカ様が守ってくださると信じているからです。リサがあのように王宮で伸び伸びと働けるのも、ウルリカ様のおかげです」
幼くして奉公に出されたリサは、今日も愛想を振り撒きながら小動物のように王宮を駆け回っている。その元気な声を耳にしない日はない。近衛兵も穏やかに見守っているし、合間合間で文字や護身術まで教えているようだ。しかし、これらは、ウルリカの意向を汲んでのことであるのは否めない。
「……。けれど、個人的な繋がりだけで庇護の対象となるのは不平等だわね。貴女の国の法律ではどうなっているのかしら」
アンナは少し考えてから答える。
「まあ、連座制はないことになっています」
「ないことに? 実態としてはあるのかしら」
「国の法律としてはありません。しかし、一部の民の中では、犯罪者の家族には何をしても良いという認識があり、犯罪者の家族の家に石を投げたり、脅迫状を送ったりし、その地域から出て行くまで、あるいは死に至るまで追い詰める者がいます」
「陰湿だわ。それに何の意義があって?」
「不満のガス抜きですよ。和を乱すのは罪。家族は運命共同体。故に家族を罰するのです。例え無実であっても、警察……つまり憲兵に捕まった時点で和を乱したことになります。まあ、愚民共の娯楽ですね」
アンナの言葉をすべて鵜呑みにするわけではないが、想像はできる。正義の鉄槌を下すことほど気持ちの良い娯楽はないからだ。
「反逆罪についてはどうなの?」
「反逆罪はありませんが、それに当たる罪はあります。内乱罪と外患罪です。いずれも死刑になり得ます」
「貴女の国の王に対して拳を振り上げれば、死刑になるのかしら?」
「いいえ。拳を振り上げただけでは、無罪か、せいぜい暴行罪のあたりで、死刑にはなりません。例え殺めても、恐らく内乱罪ではなく普通の殺人罪が適用されます」
「不思議だわ。我が国の処罰件数は反逆罪が最も多いわよ」
「それは、『王や王族に害をなそうとした』という、何にでも当てはまるような要件しかないからです」
「そうね、過去には外見が不愉快で、気分を『害した』というだけの理由で反逆罪に処されたものもいるぐらいだわ」
「だからこそ、罪の要件を詳しく法に定めなければならないのです。現行の内乱罪や外患罪で、過去に有罪になったものは一人もおりません。なぜなら、要件が厳しいからです」
「どのような要件なの?」
「例えば、内乱罪は内乱といえるほどの暴動、外患罪は外国の武力行使が要件です」
「それなら滅多に該当しないわね」
「はい。このように、何がどの罪に該当し、どのような刑を処すかは法律に細かく定められております。これを『罪刑法定主義』といいます」
「我が国の法をそのレベルに持っていくには何年かかるのかしら」
「少なくとも、あと百年はかかるでしょう。ええと……誰だったかな。開発者コンソール、オープン」
アンナは開発者コンソールに指を走らせる。
「――史実では、百数十年後、チェーザレ・ベッカリーアという法学者が『犯罪と刑罰』という書籍を出版します。これが世界を変えていくきっかけになります」
そう言って、アンナは、チェーザレ・ベッカリーアという男の肖像画を、ウルリカに見せた。
「……その前に、国が滅んでしまうわ」
ウルリカは頭を抱えた。
アンナはスッと、開発者コンソールを消す。
「殿下、アスファルトがなければ、ローマン・コンクリートを使えばいいのです」
ウルリカは首をかしげた。
「どういうことかしら?」
「古くからの不文律を、明文化するのです。例えば、『違法性阻却事由』を明文化なさってはいかがでしょう」
「『違法性阻却事由』?」
「はい。例えば、もし殿下が病になられて、外科手術を受けられるとします。外科医は、殿下に刃を向け、お身体を切り裂きます。その外科医は反逆罪に問われますか?」
「いいえ。なぜなら、医師として、わたくしを救うためにそうしているのですから」
「つまり、正当な職務上の行為は罰するべきではないのです」
「当たり前のことだわ」
「裁判官は死刑判決を下しても殺人罪には問われません。当然それが罪を犯した王族相手でも、反逆罪には問われません」
「それも当たり前ね。旧王家の弾劾裁判の裁判官は反逆者とは見られていないわ」
「では、中央銀行の役職員が、この国の経済を維持するために、王に不都合な政策を実施した場合、反逆罪に問われるべきでしょうか?」
「いいえ、反逆罪に問うべきではありませんわ。けれど、反逆罪に問う者もいるでしょうね」
「なぜですか?」
「その人の気分としかいいようがないわね」
「はい。『正当な職務上の行為は罰しない』と明記されていないせいで、前例のないものは気分次第になってしまっているのです」
「なるほど。当たり前のことであっても、明文化することに意味があるのね」
「その通りです。ちなみに、違法性阻却事由には三つの柱があり、今説明した『正当業務行為』の他にも、自らの身を守るためにやむを得ずした『正当防衛』や『緊急避難』という事由もあります。いずれも遠い昔から、人々が当然と受け入れていることです」
「確かに、それならばまだ抵抗は少ないでしょうね。その……『罪刑法定主義』の導入に比べれば」
「新しく創設する罪から少しずつ進めていくしかありません」
「ありがとう。法政担当の役人に中央銀行関連法案の起案を依頼するわ。彼は現行法のエキスパートだから、無難にまとめてくれるはずよ」
「いえ、こちらこそ」
「それにしても、貴女の国では、法学まで学園で学ぶのね」
「いえ、これは独学です。新しい技術をとりあえず規制しようという国でしたので、身を守るために」
「その独学も『インターネットアーカイブ』とやらで?」
「はい。当時はまだ文明が崩壊していなかったので、生きた『インターネット』でしたが」
こうして、中央銀行設立関連法案が作成された。
当初、頭を抱えていた法制担当の役人だったが、「違法性阻却事由」の導入によって様々な例外規定に筋が通ることを発見し、俄然目を輝かせはじめた。最後には、彼が一人で踊っている姿まで目撃された。
結果的に、この法案は大きく三つの内容にまとまった。
一つ目は、一般法典の改正。違法性阻却事由を明記し、例外規定を整理した。
二つ目は、官吏職務法の改正。「裁判官及び個別の法律で定められる特別官吏」は、職務の独立性を根拠に、個人の民事責任を免責とし、なおかつ連座制を適用しないこととされた。
三つ目は、中央銀行法の新設。中央銀行の理事は、その職務においては官吏職務法上の特別官吏に該当すると明確化された。その一方で故意もしくは重過失による中央銀行法違反(任務懈怠、利益供与、機密漏洩等)が処罰の対象となった。ここに罪刑法定主義が部分的に取り込まれた。
御前会議は紛糾したものの、ウルリカと法制担当の役人の説明により、徐々に不文律を明文化しただけであることが理解されるようになった。そして、中央銀行法の議論に移る頃には皆疲れ果てており、よく分からないが南離宮の財政負担問題が片付くならと、特段の反対意見なく成立した。
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