離宮


 月日は巡り、スムサーリンにも冬が訪れた。


 この季節になると、日照時間は僅か六時間ほどで、日の出から日の入りまで黄昏れ時となる。あまつさえ、高い山々に囲まれたこの王都には、一日中、日が昇らない。薄暗いこの季節は、どうしても陰気臭くなりがちである。


 しかし、雪景色の今日は街が少しだけ明るい雰囲気に包まれていた。


 ふわふわと舞い降る雪の中、街を王室の馬車が駆け抜ける。ウルリカはアンナと近衛兵を引き連れて、スムサーリン王国の離宮の一つ、南離宮に訪れていた。


 雪化粧が美しい広大な前庭。その奥に、バロック様式の壮麗な宮殿がどっしりと構えていた。真新しい純白の壁が雪明かりに照らされて目に眩しい。


 壁面や柱に施された細やかな彫刻には、希少な凝灰岩がふんだんに使用されている。贅の限りを尽くすとはまさにこのことだ。


 この淡く美しい乳白色の凝灰岩はビュンドニス同盟の商船を何十隻・何十往復も貸し切って大量に輸入したもので、その中でも特に良質のものが使用されている。建設の際には少しでも色が悪ければ容赦なく捨てられたほどの贅沢ぶりであった。なぜなら、この王国では伝統的に凝灰岩を用いた建築が富と権力の象徴であり、この離宮も例に漏れず、前王が権力を見せびらかせるためのものであったからだ。恐らく、国庫の備蓄食糧が消えた一因でもあるだろう。


 しかし、いくら豪華であっても、少人数のレイクロフト王家にとっては無用の長物であった。幽閉する第二夫人や第三夫人も存在しなければ、余暇に興じる暇もない。まあ、両親にはウルリカの前でラブラブされるよりは、離宮で自由奔放に過ごして、弟や妹の二人や三人でも作って貰った方が良いような気がするし、実際、両親の年齢からしても今が最後のチャンスであるが、しかし、女王陛下を離宮に幽閉したとささやかれてはウルリカの外聞が悪い。そのような訳で、国庫の金を食うだけの存在になり果てていた。


 離宮は権威を誇示する目的のため、一階部分は、ダンスホールや応接間、会議室といった来客用の設備に割かれている。その分、来客を前提として、地下金庫などは頑丈に作られていた。


 それは、ウルリカの考えた有効活用法にとっても都合がよかった。


「お初にお目にかかります、南離宮長官クロックルンド伯爵。わたくしは王太女、そして女王陛下の共同統治者のウルリカ・レイクロフトと申します。以後お見知りおきくださいませ」


「これはこれは、ようお越しくださいました。本日は離宮の今後についてのご相談と伺っておりますが」


 クロックルンド伯爵は、好好爺然としてウルリカを招き入れた。


「ええ、この離宮の今後について、内々にご相談させていただきたく参りましたの」

「どうぞおかけください。しかし、ご相談いただくまでもなく、もしこの離宮の廃止をお考えでしたら、遠慮なく廃止なさってください。この離宮は王室の負担になっております」


 二人が席に掛けると、離宮のメイドが紅茶を差し出した。金の縁取りも絵柄もない、質素なティーカップであった。


「クロックルンド伯爵、貴方は公正に物事を判断される御方だとお見受けしますわ。そこで、この離宮の転用と、新たな機関の設立についての内々のご相談ですの」

「転用ですか」

「ええ。貴方は長年、造幣局長を務められ、造幣技術だけでなく経済学や会計学についても造詣が深いと存じております。けれど、前王家の失脚に巻き込まれて退任され、今のポストに就かれたと伺いましたわ」

「ええ、この年で転職というのも中々辛いものですな。はっはっは」

「お察しいたしますわ。けれど、この離宮もそうですが、貴方の知識を埋もれさせるのも、この国にとって宝の持ち腐れ、いやむしろ機会損失ですらありますわ」

「いやいや、何を仰いますやら」

「実はわたくし、この離宮を現在計画中の『スムサーリン中央銀行』の本店に転用し、貴方にその理事の一人にご就任いただきたいと考えておりますのよ」 

「『中央銀行』とな」

「ええ、前造幣局長としてご存知かと思いますが、王室や国庫の金現物の保有量は危機的な水準にありますわ。そこで、最終的には、金に頼らない『紙の貨幣』を発行する機関が必要となると考えておりますの」

「それは無期限の定額手形のようなものですかな」

「ええ、さすがよくご存知ですわね」

「造幣に携わる者なら一度は見る夢ですからな。私も夢想したことはありますが、改鋳などの外的変動に弱く、空手形は無限に発行できてしまう。それ故、常に割引との戦いからは逃れられません。現実的とはいえませんな」

「しかし、それは銀貨や金貨を価値の基準とするから起きることですわ」

「ほう」

「たとえば、その手形の額面を基準とすれば、金と銀の金額が変動しているということになりますわよね」

「ふむ、それは興味深い。つまり、例えば紙の貨幣一枚を基準にすれば、あるとき金貨一枚は紙十枚、あるとき紙十二枚となったりするわけですな」

「ええ。銅貨と銀貨、銀貨と金貨の交換レートは日々変化いたしますが、その度に銅貨や銀貨を改鋳することはありませんわよね。それは紙も同じではなくて?」

「しかしどのように紙の貨幣の価値を保つのですかな」

「その点については、詳しくはこちらの資料をご確認くださいまし。要点は、中央銀行が貨幣鋳造権を持ち、裁判所のように独立した立場で発行枚数を管理することで、信用と希少性を保つのです。そのためには、貴方のような、王族と距離を置く公正な方が適任ですわ」


 資料に書かれた、ド下手な、いや、微笑ましいルーカスのサインを見て、クロックルンド伯爵は眼光を鋭くする。


「なるほど、レッドフォード公爵への叙爵はこれが目的でしたか」 

「ええ。厳密にいえば、レッドフォード公爵領という経済特区を作り、この『管理通貨制』を実証することが主な目的ですわ」

「これが実現すれば、経済革命が起きるでしょうな。経済が成長しても、銀貨が不足することもない」

「ええ」

「しかし、一つ問題があるとすれば、これは夢物語ということですな」

「その通り、これはまだ夢物語の段階です。夢を実現するには、夢想家と地に足着ける実務家が必要ですわ。だからこそ、貴方のお力をお借りしたいのです」

「ふむ」

「それに、わたくしとて、そこまで拙速に事を進めるつもりはありませんのよ。まずは、貴族にも平民にも広く戸口を開いた預金サービスから始めて、国の経済を可視化することから始めようと考えておりますの。それが分からなければ、紙の貨幣をどれだけ発行して良いのか分かりませんもの」

「ふむ。それは良い心がけですな」

「そして、もし、実証実験が失敗しても、中央銀行には預金サービスを提供するという意義は残りますわ」

「……仰ることは分かりました。少し考えさせて頂けませんかな」

「ええ、もちろん。良いお返事をいただけることを願っておりますわ。今日はお時間をいただきありがとうございました」

「こちらこそ。陛下と殿下の治世に、栄光と繁栄があらんことを」


 ウルリカは退室する前に、足を止めて振り返る。


「それから、一つだけ。この機関は三人の理事による合議制にする予定ですの。一人は平民の実務家にしたいと考えておりますわ。それもご承知おきの上、ご検討くださいませ」

「やはり貴女は夢想家だ」

「ええ。けれど、きっとこれは悪夢ではありませんわ」

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