第三章 中央銀行編
経済特区
「殿下、お話があります」
ウルリカがスムサーリンの世界に帰還するなり、刺々しい口調のアンナに腕を引っ張られた。
「あんな男のどこがよろしいので?」
「何の話かしら」
「ハグしてらっしゃったじゃないですか」
「そういうのではありませんわよ。目の前に泣いている人がいて、放っておけまして?」
「……殿下。では、もしあの者に惚れられたらどうするんですか。殿下は身分差を気になさらないかもしれませんが、平民と結婚でもしようものなら、政治上の大失点になりますよ?」
「安心して頂戴。わたくしは誰とも恋仲になるつもりも、結婚するつもりもなくてよ」
「どうだか」
「けれど、平民故に彼を政府役職に登用できない、という点については解決しそうだわ」
ルーカスの部屋でシーランド公国の叙爵状を見たと説明するすると、アンナは心底呆れた表情を浮かべる。
「シーランド公国? 自称国家ですよ」
「異世界でどうかは知らないわ。開発者コンソールで、この世界にもシーランド公国の設定を追加してほしいのよ。例えば、『シーランド公国は、アルビオン王国の属国でありながら、本国とは対立していた。数年前に災害で領土が消失。アルビオン王国としては救援を申し出たが、難民はそれを断り各地に散っている。レッドフォード公爵はその一人』とか」
「随分簡単に仰いますね。まあ、外国の設定を追加するだけですし、国土が消えているということなら物理的にも影響はありませんから、技術的には可能です」
「ならば――」
だが、ムスッとした表情で、アンナは言葉を遮る。
「しかし、私の気が乗りません。そんなことをして何が嬉しいのですか?」
すると、ウルリカは即答した。
「まず、貴女の世界の難民をスムサーリン王国に迎え入れる理由になるわ。ベータテスター?とやらを増やせるのではなくて?」
「……確かに」
「そして、スムサーリン王国としても、アルビオン王国に恩を売れるわ。ミスター・レッドフォードを我が国の公爵として迎え入れ、シーランド公国の難民を受け入れるのに必要な最低限の領地を与える。アルビオン王国に代わって厄介事を引き受ける形になるわね」
「それでも、公爵位なんて与えて反対されませんか? 男爵ぐらいがいいのでは?」
「むしろ、公爵位を与えなければ、外交上の非礼に当たるわ。それに、この国の貴族の特権というのは、爵位というよりも領地の面積によって決まるから、極めて小さな領地なら、めぼしい特権は得られないわ。事実上、儀礼爵位とみなされて他の貴族達も反対しないわね。しかも、アルビオン王国の関心を引くことは国益に適うもの。反対する理由がないわ」
「なるほど。しかし、殿下にメリットは?」
「レッドフォード公爵領を経済特区として、『管理通貨制』の実証実験を行うのはどうかしら」
アンナは渋い表情のまましばらく考え込む。
「……まあ、それならば。承知いたしました」
そして、書簡でアルビオン王国の意向を確認した後、シーランド公国公爵ルーカス・レッドフォードに対し、スムサーリン王国の公爵位が叙爵された。彼に与えられた土地は、直轄領のうち一平方オットンデルミール(約一・五平方キロメートル)の土地で、レイクロフト公爵領に接する位置である。
「おめでとう、レッドフォード公爵。ここが貴方の領地ですわ」
ウルリカがそう言うと、ルーカスは恐縮した様子で尋ねた。
「……あの、本当によろしいので? シーランド公国の爵位ですよ?」
「これから貴方は、貴方の世界からやってくる異世界人の皆様をお迎えする大切な役割を担うのよ。一商会ではできないことも領主としてならできますわ」
「例えばどのような?」
「ここを経済特区として、貴方の提案を実証実験いたしますわよ。紙幣に慣れた異世界人の皆様に実践して頂ければ、きっと、『管理通貨制』を普及啓発する拠点になりますわね」
「……しかし、空き地ですよ」
「国の難民支援事業から交付金を出して、街の建設を貴方に任せますわ。もう一つ、貴方を経済政策顧問に任命いたします。その報酬も充ててくださいまし。スムサーリン王国の王太女として、そして女王陛下の共同統治者として、レッドフォード公爵、貴方の手腕に期待しております」
「光栄にございます、殿下」
「それから、もう一つ」
「……殿下、光栄ですが、さすがにこれ以上は」
「個人的なお願いよ。ルーカス、これからお茶はいかがかしら。レイクロフト領に良いカフェテリアがあるのよ」
すかさずアンナが割り込む。
「いけません、殿下! ただでさえ危ない橋を渡っているのです。レッドフォード公爵と親しくなさっている姿を、しかもレイクロフト公爵領で見られては、計画の支障になり得ます」
ルーカスも同意する。
「……お誘いいただけるのは光栄ですが、私もそう思います」
「そう……残念だわ」
「では、こうしましょう。街が出来上がってから、私から改めて殿下をご招待いたします」
「約束ですわよ」
「ええ、もちろん」
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