幕間
アンナのお宅訪問(一)
ある日の「商談」でのこと。
ウルリカは、そうですわ!と手を叩く。
「ところで、ミスター・レッドフォードとアンナ。二人は異世界からこの世界に来られているのですわよね。逆にわたくしが異世界に行くということはできませんの?」
アンナは怪訝そうに問い返す。
「……なぜです?」
「二人の本当の生活を見てみたいわ」
アンナは、少し考える。
「モバイル端末の投影機を使えば、遠隔投影で殿下のみを一時的に連れ出すことは可能です。開発者コンソール、オープン」
アンナはコンソールに素早く指を走らせる。
「では、準備はよろしいですか、殿下」
「ええ」
ウルリカが気付くと、轟音を発する黒い石碑のようなものに囲まれていた。まるで宮殿のように広い空間に、それは墓標のように規則正しく立ち並んでおり、ピカピカと小さな光を発していた。
手を前に伸ばすと、指先の像が乱れて消え、慌てて手を引っ込める。歩こうとしても足が滑り、前に進めない。手足を見ると、ウルリカの身体が半透明に透けていた。まるで自らが蜃気楼になったかのようだった。
「アンナ! アンナ! ……どこにいるのかしら」
背後でガチャリと音が鳴る。
驚いて振り返ると、そこには白い半球体がでんと鎮座していた。その扉が開かれようとしている。
「あ。殿下。こっちでは
杏菜はその中から、素足でヒタヒタと足音を立てて出てきた。
「まあ! 貴女、なんて格好! お召し物はどうしましたの!? はしたありませんわ!」
「ああ、これ? いいよ、どうせ誰も見てないんでね。……よっと」
杏菜は気にする様子もなく、半球体に差し込まれていた円筒形の何かを交換する。
「私がいますわよ! 少しは恥じらってくださいまし」
「この方が合理的なんだよ。このホログラムチェンバーで生活するなら」
「合理的って貴女……」
「清潔な水を服の洗濯に使うのは勿体ないでしょ。身体もホログラムのお風呂で洗えるし、老廃物や排泄物はこのチェンバーがリサイクルしてくれるから、ホログラム……つまりスムサーリンの世界の服だけを着るのが合理的ってわけ」
杏菜は空になった円筒形の何かを、棚に整然と積み上げる。カランという軽い音が響いた。薪の積み方で性格が分かるというが、杏菜は間違いなく几帳面な性格だ。しかし、杏菜はアンナと同一人物とは思えないような、やさぐれた口調で説明を続ける。
「ちなみに、これはビルトインフードレプリケータの原料カートリッジ。スムサーリンで何かを食べたときは、この中身が胃の中に転送される仕組みで、二十四時間この中にいても餓死しないようになってる」
ウルリカは目のやり場に困る。
「分かったから、せめて何か羽織って頂戴」
「だから、服が汚れると洗濯が面倒なんだってば」
「せめて、わたくしの前では、人としての最低限の尊厳と礼儀を保ちなさい!」
「えぇ~」
杏菜は面倒くさそうにコンテナからコートを引っ張り出して羽織った。
「二年ぶりかな。はぁ、これも加水分解しちゃってる。ネチョネチョして気持ち悪い」
これ以上は何も言うまい、とウルリカは溜息をついた。
「……それで、ここは貴女の屋敷ですの? 随分と広いわね。王族か何かでして?」
「あー……ここ? 勝手に住んでる」
「勝手に!?」
「もう誰もいないからね。百パーセント自然エネルギーの、サステナブル(笑)なデータセンター。馬鹿みたいだよね。みんないなくなったのに、まだ動いてるなんて」
「データセンター?」
「んー、説明が難しいかな。『ヴィルヘルム・シッカートの計算時計』って知ってる?」
「ええ、王妃教育で聞いたことがありますわ。天文学のために作られた、自ら計算ができる機械だとか」
「ここにあるのは、その五百年後のバージョンだよ。ここの通りにずらっと並んでる黒いラックに、沢山のコンピューティングノード……つまり計算時計が入ってて、クラスターを組んでスムサーリンの世界を作ってる。ウルリカのプログラムが走ってるノードはこの辺。ああ、これ」
杏菜がラックの扉を開くと、その棚にはぎっしりとピカピカと光る箱が詰まっていた。その上から二段目を指さして、彼女は言う。
「ある意味、これが殿下だよ」
「これが、わたくし?」
「そう。ショックだったらごめんね。でも殿下なら真実を知りたいと思って」
「……わたくしは姿形は違えど、ここに実在しているのですわね。少し安心しましたわ」
むしろ、貴女の生活の方がショックだわ、と言いかけて言葉を呑み込む。
それにしても、実在するということはどれだけ心強いことなのか。虚ろな存在であったとしても、ウルリカは確かに実在する。姿形は違うけれど。
同時に、管理通貨制の難しさも感じる。政府の債務だけでなく、やはり金や銀の現物も通貨の裏付け資産の一部とするべきなのだろう。見せ金というやつだ。
「……この建物には貴女一人ですの?」
「うーん、多分、この国で一人かな。実際確かめたわけじゃないけど、まぁ、少なくとも関東平野には誰もいないっぽいよ」
「どうしてですの?」
「外、ちょっと散歩しよっか」
杏菜は、机に置かれていた黒い板を掴むとコートのポケットに突っ込んだ。
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