アンナのお宅訪問(二)


「OKコンピューター、モバイル投影をインタラクティブモードに」


 杏奈がそう言うと、半ば透けていたウルリカの身体が、ハッキリと像を結ぶ。ウルリカは、まじまじと自らの手を見る。


「もう歩けるよ。でも私から離れないでね、投影範囲外に出ちゃうと何も見えなくなるし、こっちも探すの面倒だから」


 アンナに引き連れられて、ラックが立ち並ぶ大部屋から外に出る。ひとりでに開く扉、強風が吹き荒れる恐ろしい部屋を通り、窓のない薄暗い廊下を進んで行く。まるで砦の中を歩いているようだ。杏菜のヒタヒタという足音と、ウルリカのヒールが立てるコツコツという足音が反響する。


 しばらくすると、前方から青白い光を放つ、腰丈のガーゴイルのような何かが、音楽を奏でながら迫ってきた。ウルリカは咄嗟に杏菜を庇おうと前に躍り出る。


「大丈夫、あれは掃除ロボットだから、襲ってこないよ」


 杏菜が呑気な声でそう言う。


『邪魔だニャー♪ どいてニャー♪』

「しゃ、喋りましたわ!」

「横に避けると通り過ぎていくよ」


 ウルリカが避けるとロボットと呼ばれた物体はそのまま通り過ぎていった。


「ロボットって何ですの?」

「オートマタの系譜にある実用品だよ。あれは自分で掃除をしてくれる機械」

「……不気味だわ」

「でも守ってくれてありがとう」

「当然ですわ」


 ウルリカは一周目の王妃教育で、王太子殿下を身を挺して庇うように叩き込まれていた。自分が王太女になったあとも、こういう状況になると、まず身体が反応してしまうのである。今のままだと、近衛兵すら身を挺して守ってしまいそうだとウルリカは心の中で自嘲した。



 やがて、二人は金属製の重厚な扉にたどり着いた。杏菜は脇にあるパネルに手を伸ばし、下三角形の描かれた四角形に触れる。するとその四角形が発光した。『立太子』が脳裏を過る。


 チーンとベルの音が鳴ると、扉が滑らかにスライドして開いた。中は使用人の控え小部屋のように狭い空間だ。奥には梯子やロープ、工具箱のようなものが几帳面に揃えて置かれている。杏菜が置いたものだろう。


 しかし、中には誰もいない。扉はひとりでに開いたようだ。


「エレベーターだよ、入って」


 杏菜がウルリカの手を引く。


 背後で扉がひとりでに閉まったので、ウルリカはびくりとする。閉じ込められたのかと思ったが、杏菜に慌てた様子はない。


「ふわっとするけど大丈夫」


 杏菜の言葉の通り、ふわっとした感覚の後、しばらくして、扉が再び開いた。さきほどとは扉の向こうの景色が変わっている。


「……! 何かの魔法ですの!?」

「びっくりした? 滑車で籠を上下させてるだけだよ。電気というエネルギーを使って」

「……そういえば、錘で動かすものは見たことがありますわ」


 再び廊下を歩み出す。ここには、窓から太陽の光が差し込んでいる。


 大理石のように光沢があるのに、どこか柔らかい感触のある不思議な床。そして、歪み一つ無い白い壁。優秀な佐官職人が仕上げた高級建築のように見えるのに、壁画の一つもない。ウルリカは首を捻った。


「不思議だわ。宮廷のようでいて、砦よりも質素な雰囲気ね」

「まあ、データセンターだから、砦寄りの実用建築だよね。耐震構造で頑丈だし」


 ようやく絵画を見つけ、アンナに問う。


「この鮮やかな版画はどなたの作品ですの?」

「作品というか、張り紙の類だね。私がここを乗っ取る前から貼ってある、社畜啓発ポスターだよ」

「社畜?」

「『あれない、これないは工夫が足りない』って書いてある。外すのも面倒いし、そのまま」

「……なんだか国家憲兵の駐屯地の張り紙のようだわ」


 ゲートを抜けると、玄関ホールに出た。


 玄関は大きなガラス引き戸だった。格子のない、これほどまでの大きさのガラスは初めて見る。


 杏菜が前に立つと、ガラス戸はひとりでに開いた。


「貴女の世界では、扉を電気?が開けますのね」

「うん、場所に寄るけどね。こういう商用施設は自動扉が多いかな」 


 杏菜は木製の下駄を履き、カランコロンと足音を立てながら、表通りに出る。ウルリカはすぐ後を追った。 


 ウルリカは初めて見る舗装に驚く。王都の石畳とは異なる、押し固められた黒い土。しかし、それは干ばつ地帯のようにひび割れており、その隙間からは、草がひしめくように生えていた。


「さあ、これが私の住む世界だよ」


 杏菜に促されて顔を上げる。


 そこには人の存在がぽっかりと抜けた廃墟の街があった。


「スーパーマーケットに行くよ」


 杏菜に手を引かれ、街へと歩みを進めた。

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